【缶トロフィー】

第65話

【缶トロフィー】


 歓声と咆哮の渦巻く室内。地下だろうか。窓が見当たらず、天井や壁までもコンクリートだ。

 その室内に、人がこれでもか、と押し込められている。いや、彼等は自主的に、ここへ集まっているのだ。

 ダンスバトル。その激戦、劇闘を見届ける為に。

 観客は円を取り巻くように立ち並び、さながら人間コロセウムを形成している。今はそのコロセウム内の、半径五メートル四方のフロアだけが、ライトアップされていた。

 アオイはその円内に足を踏み入れ、喉を潤す為に、ペットボトルに唇を付け、僅かな水を口に含んだ。

 対極に立つ、今夜最後の対戦相手、スグル。彼はアオイを剣呑な眼で睨んでいた。

 接触行為は原則禁止、純粋なダンスだけでの戦いであり、闘い。それでも、相手を倒す、潰す、殺す、そういった意気込みでダンサーたちはバトルに挑んでいた。アオイただ一人を除いて、であるが。

 こんなにも騒がしく、こんなにも荒々しいのに、アオイの心は波紋一つ浮かんでいなかった。喧騒の中でも、彼は静かな世界にいた。観客に囲まれながらも、アオイは一人、独りの世界にいた。自分だけの世界、それこそが、入口だからである。躍る為の、解放の為の。

 部屋が揺れた。断続的に、揺れ出した。

 リズムよく、テンポよく、軽快に、けれど、重圧的に、重低音が。

 遅れてメロディが耳へ届き、鼓膜へ届き、脳内へ届き、心に届く。

 アオイの心に波紋が浮かぶ。

 次第に、徐々に、加速を増すように。

 波紋の振幅は幅を広げ、山と谷がひしめきあう。

 音は波で、波動で、振動だ。

 空気を揺らし、くすぶり、歪め、時に優しく、時に激しく、アオイの元へと音楽を届ける。

 そして今は、巨人の心臓内にいるような、空間を揺らす地震のような音の衝撃を全身で感じ、ミュージックという空気の振動をエネルギィに変換し、アオイは心を踊らせる。エンジンは既に全開で、アオイの全身を躍動させ始めた。

 しかしスグルが既に、フロアの中心に立ち、爆発させるように激しく身体を躍動させていた。それから流れるようなフットワークへ移行し、「だん、弾、ダン」と段階的に音に合わせてフリーズ。

 激震、緩慢、氷結。

 ここぞというタイミングで、アオイからしてみてもあり得ない体勢から、片手で全体重を支え、彫刻の様に、かつ生命力漲らせて停止していた。

 今までの激しい流動からの、劇的な変化、変質。

 重力を利用した加速からの、瞬間的な無重力。

 空間の支配。

 それを彷彿とさせるに十分な躍りだった。

 人は急激な変化に美を感じる。それは桜が散る際に抱く感慨や、朝起きた時に一面白銀に染まった雪景色を見た時の感動。或いは、野球でバッターがピッチャーの高速投球を真逆に打ち返した時の爽快さや、打ち上げ花火の開花した瞬間の圧倒的な迫力、それだ。そういった瞬間的で落差的な変化に、我々人間は心惹かれ、眼を奪われ、美意識を抱くのである。

 そういった美しさが、アオイの目の前でたった今、現れたのだった。それはたった一瞬の刹那の出来事、創造物、芸術ではあったが、しかしだからこそ、彼の心を土石流の如く脈動させた。

 対戦相手のアオイがそう思うのだから、観客にだってそれは存分に伝わっている。この会場という巨大な生き物が叫んだかのような、盛大な歓声が上がった。決して広いとは言えない閉鎖された室内。咆哮によって膨張した空気が、空間を歪ませているかのようだった。

 アオイはスグルに対するこの壮大な歓声に身を包ませながら、そんな相手に感謝と尊敬を込めて、しかしそれ以上に、自分にこんな感動を与えたことに対する嫉妬に似た感情を抱きながらも彼は、音楽を燃料に、円の中心へ、威風堂々躍り出た。


「お疲れさーん、いやぁ、かっこよかったよー」チカがアオイの肩をぽんぽん、軽く叩きながら言った。

 会場のあるビルから少し離れた路上のベンチにアオイは腰掛けていた。彼女はアオイを押しのけて隣に座ってきたのだ。

「うん、ありがとう」アオイは俯いたまま答えた。

「あらら、落ち込んでんの?」チカは持っていた缶コーヒーを空けながら、彼の顔を覗き込む。

「ん~。いや、疲れただけ」言ってアオイは顔を上げ、チカのコーヒーを取り上げた。ごくごく、と一気に飲み干す。

「ちょっと、自分の飲み物あるんなら、そっち飲めばいいじゃん」チカはアオイのリュックを指差す。隙間からペットボトルが顔を覗かせていた。

「いや、だから疲れた時はコーヒーだろ?」

「それって、眠い時じゃないっけ?」

「疲れた上に、眠いんだよ」

「ああ、まぁだろうね。決勝までいったんだから、そりゃ疲れて当たり前だよね。それってつまり、今日ここに来たダンサーの中で、一番躍ってたってことなんだよね。いや、だとしたら優勝した人も同じか」

「スグルさんおかしいわ。あれは人じゃない」揶揄するでもなく遠くを見る様にアオイは呟いた。決勝の時の映像が脳裡に浮かぶ。何度再生してみても、勝てる気がしなかった。

「ん~確かに優勝はできなかったけどさ、アオも十分凄かったよ。かなりやばかった!」ご褒美にこの空き缶を進呈しよう、と先ほどアオイの飲み干した空の缶コーヒーを両手で丁寧に手渡す。

 それをぞんざいに片手で受け取りアオイは、「どこらへんが?」と訊ねる。

「強いて言うならそうだなぁ……う~ん、顔かな。必死な形相がヤバかった。寝起きに見たらショック死しそうなくらいヤバかった」

「言うねぇ」アオイは口を吊るす。

「それくらい酷い顔でも、わたしにはアオが格好良く見えたんだよ? それで十分じゃない」あんまし欲張るなよな、とアオイの足を小突く。

「そうだな」アオイは立ち上がり、リュックを背負うと「ありがとうな」とチカの頭をくしゅくしゅと撫でて、駅の方角と歩きだした。

「え、ちょっと、どこ行くの? ご飯一緒に食べようよ、ヨウヘイ達も一緒だよ?」

「ん、ごめん。今日は先帰るわ」アオイは逃げる様にその場を後にした。


***

 車道を流れるヘッドライトを眺めながら、アオイは考えていた。

 俺は自分の為に躍るのであって、誰かに認められたいとか、格好良く思われたいとか、そういうんじゃないんだよな、と。

 頭の中の理想の躍りを具現化したい、表現したい、それだけなんだ。結局自己満足なんだけれど。

 なのにどうして俺はバトルに出るのか。他人と自分の躍りを誰かにジャッジしてもらう。どちらが上手いのか、どちらがより優れているのか、それを第三者の目から決めてもらう。そんな物に意味はないだろうに、そう思うのだ。思うのに、思っているのに、どうして俺はバトルに出ようとするのだろう。

 初めてチカをバトルに誘った時のことを思い出す。

 あの時アオイは準決勝で負けて、すぐに会場を後にした。悔しいからだし、惨めだったからだ。その後チカと二人で、居酒屋に入り、反省会のような愚痴を言い合いながら杯を交わした。

 最近バトルが楽しくないんだよね。そんな小さな、そして私的な愚痴を、俺は沢山溢していたと思う。チカも、バイト先の店長のことや政治家に対する漠然とした愚痴を溢していた。会場でそのまま解散でも良かったがそうしなかったのは、優勝できなかったことへ悔しさよりも、ダンサーの世界とはかけ離れた素人の感想を一度聞いてみたかったからだ。彼女の感想を聞いてみたかったからだ。

 俺は彼女に「どうだった?」と訊ねると「何が?」とすぐに聞き返すチカ。酔っているとは言え、思考の周りは鈍っていない。

「なんていうか、今日のバトル。ていうか、俺の躍りっていうか……」

「ん~まずね、踊りっていう自己表現に優劣つけるってことが頂けないよね」

 予想外の返答に俺は驚いた。いきなりの批判展開だ。

「どうして? ていうか、どういうこと?」

「アオさ、前に言ってたよね、『踊りは楽しむモノだ』って」

 確かに俺はよくそう言って、自分が躍る理由が自己顕示欲からくるものではないことを主張していた。それは裏を返せば、自己顕示を誰よりも意識していることに他ならないのだけれど、それでも俺はそれを否定した。自己顕示ではなく、自己満足。それなのだと。

 チカは俺の顔を見詰め、うん、と頷き話を続ける。「だけどその楽しさっていうのは、誰より上手いだの凄いだのって客観的な付加価値を得て、他人を見下すことじゃないでしょ? 躍ることそれ自体でしょ? そうだよね? けれどもしもアオがどうしても優勝とか一番に拘りたいのなら、それはそんな陳腐な評価とかじゃなくってさ、『一番自由で一番楽しんだ奴』を目指しなさいよ。まぁ、あれだよね、アオがアスリートではなく、表現者、つまりはアーティストなのだとしたらの話だけれど」彼女は一端話を区切り、焼き鳥を頬張った。その竹串を指揮棒のように振りながら更に、「バトルがアオ達ダンサーにとってどんな意味合いのあるモノかは解らないけれど、少なくとも他人からの評価を得る為に踊るって発想を持っているのなら、バトルなんて下らないとわたしは思うな」と否定した。

 俺が弁解しようと口を開く前にチカはすかさず、でもね、と竹串をぴし、と突き出した。「でもね、もちろん誰かに認められるっていうのは嬉しいことだよ? でもそれを踊る理由にするのは変だってこと。まずは踊り自体を楽しむ。その延長線上で、認められたら嬉しいな、くらいがベストだよね。それなのに、認められたいという願望だけが残って、先行して、暴走して、踊るのが楽しくない、なんて事態にアオは今、陥っているんだ。本末転倒だよねそれってさ」彼女は俺を見透かしたように言い放った。

「……そうだな」俺はなんとか相槌を打つ。だが実際心中では自己弁護を構築するのに必死で、それからしばらく放心するように空のジョッキを口元に運んでいた。

 チカはそんな俺に追い打ちをかける様に「楽しくないのならいっそのことやめちゃえばいいよ」と飄々と辛辣な言葉を投げ掛けた。その時は気が付かなかったが、きっとそれは、『ダンスを辞めろ』ではなく『バトルに出るのを止めろ』とチカは言いたかったのだと思う。それから寂しそうに、だってさ、と付け足すように続けた。「だってさ、他人の目を気にして踊ってるアオほど、無様なモノはないからね」と言って彼女は机に突っ伏した。


***

「無様……か」

 あの時はものすごく動揺したし、落ち込んだ。それでも、それだからこそ今は……。チカの言葉がとても肯定的な励ましの箴言として、アオイの心に刻まれていた。

 気づくとアオイは、街中にある小さな公園の段差に腰かけていた。

 周りを見渡すと、水飲み場の近く、街灯の横に自販機が見えた。更にその横には空き缶入れ。

 アオイはずっと左手に握っていたままの、空の缶コーヒーを思い出す。

 立ち上がり、空き缶入れへ近づくも、左手を伸ばしてから思い止まった。

 短く嘆息を吐く。

 水飲み場まで移動して、水を流した。

 今度は深い溜息を吐く。

 会場から十五分は歩いただろうか。

 蛇口を捻って水を止める。

 空の缶コーヒーを左手に握ったままアオイは、足早に、今来た道へ踵を返した。


「あれ、どうしたの? 忘れ物?」嬉しそうに言うチカは、まださっきのベンチに座っていた。

 チカの髪の毛を両手で撫で回すように、くしゃくしゃと乱す。やめてよぉー、とチカの小さな抵抗を物ともせず、それでもアオイは彼女の頭を撫で続けながら、おどけた口調で、「あぁ、忘れていたよ。俺は今、疲れているし、眠い。だがそれ以上に腹が減っているってことをね」

 どうにかアオイの両手を封じチカは、そっかー、とご機嫌に笑って、並びのいい白い歯を覗かせる。「よし、今日はわたしが奢ってしんぜよう。ヨウヘイ達は先に行っちゃったから、今日は二人で飲み明かそうぜい」言って、アオイを引っ張るように立ち上がった。

チカに連行されるようにしてアオイは繁華街の路地裏へ入って行った。

 アオイのリュックの中には、ダンスに必要なシューズやサポーター、着替え、音楽再生用の小型スピーカーが入っている。

 そして今は、その空間に、新たなアイテムが加わっていた。

 中身の洗われた、空の缶コーヒー。

 それが仕舞ってあった。

 まるで、大切なトロフィーを持ち帰るように。

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