【依頼はつぶやきから】

第59話

【依頼はつぶやきから】


色々考えてみても、僕の考えることなんかきっと

誰かが既に考えたことのあることなんだ


でも大抵の人間は考えるだけで終えてしまう


だから僕は行動に移してみようと思う

例えそれが現在許されないことだと知っていても


 これが兄の机に残されていた手紙です。

 私が朝、兄を起こしに部屋へ入ったときにこれを見つけました。そのとき既におにぃちゃんの・・・あ、いえ兄の姿はありませんでした。

 兄はその一年ほど前に雷に打たれ、それは右腕に直撃し・・・病室で私が見た兄の身体には右腕がありませんでした。

 それを医師から知らされても兄は毅然と振舞っており、少なくとも私にはその後の兄はいつもの陽気な優しいおにぃちゃんでした。

 退院した後も家に閉じこもることも無く、以前と同様に外で遊びまわっていたようです。でも家にいるときは自室に篭る時間が以前より格段に増え、私は兄と遊べなくなりました。それは、はい正直淋しかったですね。けれど朝に兄を起こすのは私の役目であり、あの頃はそのときが一番わくわくしていまして、私・・・朝が毎日楽しみでした。おにぃちゃんの右手には触れないように気を使い、窓際に回って兄を揺さぶるんです。

 兄からしたら余計な気遣いだったのだと思いますが、それでもおにぃちゃんは起きたら必ず頭を撫でてくれるんです。そのときに私はいつも目を瞑ってしまっていたのですが、今思い出してみるとやはり不思議なのです。あ、いえ些細なことなので関係はないと思います。

 それから兄が居なくなり、家にいるとき私は兄の部屋にいることが多くなりました。朝が待ち遠しかったのもこの頃はまだ変わっていません。朝になればおにぃちゃんがまた寝ているのではないかという気がしていたのです。健気ですよね、自分でも可愛いと思ってしまうくらい。けれどそれから二度と私が兄を起こすことはありませんでした。

 しばらくすると私は兄の部屋へ入らなくなりました。それは兄を忘れたわけでなく、あの部屋にいると時々気味が悪くなるようになったからです。誰かが私を見ているような、私以外の誰かが同じこの部屋にいるような。それは視線とか気配というよりは存在感、その私以外の何者かの見えない影とでも言いましょうか・・・。私、そのことは親にも言ったのですが「怖いのなら入らなければいい」と、なんとも泣きそうな顔で言うのです。それはそうですよね。両親は雷の事故で大事な息子を失うことを一旦は覚悟していたようです。それがまた心の安らぎを取り戻し始めていた矢先に失ってしまったのですから・・・。

 それがどれほどの精神的苦痛だったでしょう。大人になった今の私でもそれは計り知れません。

 私はもう家で兄の話をすることをやめました。幼いながらに親が心配だったのです。それに私は兄を失ったとは考えていませんでしたし。出て行ったことと死んでしまったことは大きく違いますよね、だからです。ですが両親はそう考える度に兄が出て行ったことが親である自分たちのせいであるかのように自分を責めてしまっていたようです。

 そういう経緯がありまして私は両親からは今まで以上に大切にされました。それも兄が出て行った影響であることは間違いありません。もちろん兄がいても私は大切にされていましたし、兄が居たほうが家族全員幸せだったはずです。けれど、兄が出て行ったことを私は責めたくは無かったのでしょうね、こういう考えをすることで兄が私を置いて出て行ったことを正当化しようとしているのです。

 すみません中々話が進みませんね・・・。ええここからが本題です。私が中学生のときです。友人二人と一緒に街へ遊びに行った帰りでした。既に辺りは暗くなり、田舎の冬でしたし雪も降っていました。真っ暗に近い中で私たちは手を繋いで歩いていたのです。そのときに私は三人の真ん中で二人と手を繋いでいたと思っていました。だって私の両手は確かに握られ、塞がっていたのですから。しかし友人たちは二人とも私の左側にいました。私は一番右端で手を繋いでいたのです。私の右手が友人ではないと知った数秒後でした。あと少しで電灯の明かりが照らしている場所まで辿り着く手前であれが起こったのです。

 それが、紙森村大雪崩です。遠くから雪球が飛んできて・・・でも最初はそれも友人が投げていたのかと考えていましたし、右手の人物が怖くてそれどころではありませんでした。けれど今度は遠くのほうから何かが這いずり回っているような音がしてそれが次第に大きくなってきて、それと共に地震も・・・。次の瞬間には巨大な霧の山が目の前に現れていました。

「動くなよ」そう耳元で誰かの囁きが聞こえました。言われなくとも私は動けませんでしたけれど。

 ただあの時どうして私は左手を・・・友人の手を・・美奈の手を離してしまったのでしょう。それが今でも・・・悔やまれて、悔やんでも悔やみきれなくて仕方がありません。ええ、はい。ええ・・・。すみません今考えても仕方のないことはわかっております。ただあのときのことを考えると今でも・・・お恥ずかしながら涙が・・・・・・。

 ・・・すみません何度も。お話の続きですが、私は気を失っていて、気がついたときには一面がデコボコの雪の草原に横たわっていました。それからは新聞やニュースなどの報道の通りです。私の村はその大雪崩のせいで一夜にして消えて無くなりました。大勢の方もお亡くなりになりました。私の友人二人も・・・。大丈夫です、もう泣きません、私。

 生存者も私を含めて数十人だけです。それも全て雪崩の被害のなかった最北に家があった方ばかりです。私の家も最北の地域だったので無事でしたが・・・両親はおじの家で夕食をご馳走になっていたために亡くなりました。仲の良かった叔父たちと一緒だったのがせめてもの救いでしょうか・・・。いえそれも私の自分勝手な正当化です。死んでしまっては全て無意味です、わかっています。

 あ、違います。その雪崩の原因の調査ではなく、といっても私は雪崩についても国の調査結果では納得していませんでしたが今日はそのことではないのです。

 雪崩の後、私のポケットにメモ用紙が入っていました。それは確かに雪崩の前には入っていなかったものです。はい、友人の悪戯とも考えました、けれど私は友人たちに兄の手紙のことはもちろん、兄のことすら話したことはありませんでした。見てもらったほうが早いですね、そのメモがこれです。



許されないという事象は、誰が許すかという問いにすぎない

なら兄ちゃんは全てを許そうと思う


だがその前に、今許してはならないことを兄ちゃんは無に返そうと思う


そのために、兄ちゃんが里美に辛い思いをさせたことはやはり正しいことだとは到底思えない

だから、兄ちゃんは二度と里美の前に現れないことをここに誓う


本当にすまなかった、ごめんなさい



 私がどうして流れてくる雪崩の中央部にいたのにも拘らず、たった一人だけ助かったのか。きっとお兄ちゃんが助けてくれたんです。もちろんこのことは消防の方にも警察の方にも話しました。けれど真面目に聞いてくれた人はいませんでした。みんな「奇跡的なんだ。もっと命が助かったことを喜びなさい」と励ましだか哀れみなのかわからないようなことしか私に言いませんでした。

 警察はもはや当てにはしていません。それにどこの探偵事務所も私の話を聞くだけで仕事として引き受けてくれませんでした。たらい回しにされてようやくここに辿り着いたのです。「ここに行けばきっと力になってくれる」いつもお世話になっていた仲介屋さんにやっと特別に教えてもらって来れたのです。

 どうか兄を探し出して、今やろうとしていることを止めてください。私にはどうしても兄のやろうとしていることが恐ろしいことのように思えてなりません。私に残されたたった一人の肉親、兄なのです。どうか、どうかよろしくお願いいたします。


***

 ずっと話をしていた若い女性は椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。

 その様子をしばらく黙ってみていた女。「はぁ・・・」と小さく溜息を吐くとその若い女性に対し、もう一度座るよう言いつけた。

「ええ、お引き受けいたしましょう。そのためにも何かお兄様のお写真やお使いになられていたものは残っていますでしょうか?」

「本当ですか!!ありがとうございます!!!」若い女性はまた立ち上がり、頭を下げた。

「いいからお座りください。で、どうなのでございましょう?お写真はお持ちですか?」女は上品に微笑みながら手のひらを上に向け、彼女の椅子を指した。

「何度もすみません、でも私嬉しくって。写真は兄が出て行ったときに全て兄によって処分されてしまい、残っていません。小学校を卒業する前だったので学校のアルバムにも映っていませんし・・・。ただ家に帰れば兄の使っていた部屋はそのままにしてあります」彼女は座りながら先ほどよりも早口で言った。

「ええ。それで構いませんわ。ではこちらから出向きましょう。ご一緒にご実家に行かれてもよろしいでしょうか?」

「今からですか?」

「はい。早ければ早いほうがよろしいのでは?」女は僅かに首を傾げてみせた。

「確かにそうですが・・・無理言ってお願いしている手前とても気が引けます。あ、あのこれは迷惑だという意味ではなくてですね、とてもありがたすぎて逆にご迷惑ではないでしょうか、という意味です」

「はい、理解していますよ。それにこれは仕事をお引き受けしたからには当たり前の心構えなのです。どうかお気になさらずに。もしよろしいのでしたら、ええっと・・・」女は時計を見る。「それでは準備をしてらして、三時間後にまたここでお会いするというのはどうでしょうか?」

「構いません、全然構いません!!本当にありがとうございます!では私ホテルに荷物を取りに戻ってすぐに帰ってまいりますので、これで失礼します。では後ほどということですね。本当にありがとうございます」

 女性はコートとカバンを手に抱えるとまた深く頭を下げ、伝票を持ってカウンターに向かった。そして店を出る前にもう一度、店の奥のテーブルに座る女に対してお辞儀をしてから『Ding an sich』と描かれた扉を開き出て行った。

「こんなところで意外な手がかりが見つかりましたね」

 髭の素敵な笑顔の紳士が紅茶の御代わりを持って女のテーブルの前にやってきた。この店のマスターであろう。先ほどの若い女性が勘定をしたときに対応していたのを見ると、この店にはマスター以外の店員はいないのかもしれない。

 マスターの言葉にもマスター自身にも見向きもせず、その女は運ばれてきた紅茶に口をつけた。

 頭のバケツが邪魔で飲みにくそうだ、というのは先ほどの若い女性が思ったことである。そのことをこの人は解っているのだろうか?そんなことをマスターが考えていると女は口元だけを微笑ませて呟いた。

「ええ本当に」

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