【和人君は正直者】

第57話

【和人君は正直者】


 ぼくの友達は正直者です。名前は和人君。

 失敗しても言い訳なんかしないし、知らないこともきちんと知らないと言う。彼が自分で考えたことと、みんなが本当だと信じていることとを彼はちゃんと区別して話すから、聞いていてとても勉強になる。

 けれど彼と話していると「なぜ?」がいっぱい出てきて頭の中の巨大迷路をどんどん複雑にしていく。しかも行き止まりばかりの崖ばかり。教えてもらっているのに解らないことがどんどん増えてしまっている。勉強するほど頭が悪くなっていくんじゃないだろうか、とぼくは心配になる。

「みんなが本当のことだと信じていること」とは、例えばリンゴは木から外れたら地面に落ちるとか、物は完全に無くなったり、無いところから現れたりしないとか、地球は丸いとかそういったことだ。万有引力や質量保存の法則とか言うみたい。大人はそれらを事実と呼んでいるけど、本当にそうなのかはわからないとぼくは思う。

 この間テレビで偉そうなおじさんが、「漫画は空想や夢物語すぎて現実離れしすぎている。これでは子どもたちが現実を正しく認識できなくなり、現実から目を背け続けてしまう」と漫画を悪く言っていた。時々大人たちは、漫画を目の敵にしているように思うことがある。目の敵ってなんだろうね?目薬だろうか?

 大人は夢を見ろ、とか言っておきながらずるい。これは無責任という意味だ。

 けれど、さっきの万有引力や質量保存の法則とかいう難しそうな、用語も意味もぼくは漫画から知った。

 最初は他の漫画の特殊能力や特殊な世界設定のように考えていたのに、先生にその話をしたら「それは本当のことだよ」と教えられた。「事実なの?」と聞いたら「事実だよ」と先生は言った。それでもぼくにはそれらが本当のことだとは思えなかった。

 万有引力や、質量保存の法則なんて見えないし触れない、確認の仕様もない、そんな不思議な出来事が本当にあるのかなんて、どうして大人たちは信じているのだろうか。そうそう、「出来事」のことを大人は難しく「現象」と言うからぼくも背伸びをして使ってみようと思う。本当に背伸びをして書いているわけではないので足の指が痛くなる心配はありません、大丈夫です。

 大人たちは質量保存の法則などの不思議なことが本当のことかをちゃんと知っているのだろうか。空気は見えないけど、水の中とかで呼吸をしないと苦しくなるし、冬は息が白くなるから、見えない何かがぼくの周りにあることをぼくは前から知っていたけど、そういうことなのだろうか。何か違うような気がする。理屈はどうあれそうなのだから仕方がない、といった諦めに近いのかもしれない。だとしたら、万有引力や質量保存の法則っていうのは、事実ではなくて、現象をうまく説明するために考えた推測なんだ。だからその推測がたとえ間違っていても結果はかわらないから、困らないというだけのことなのかもしれない。

 現象があっての理屈だから、漫画のような理屈あっての現象は納得できないんだ。理屈って言えば、この間先生に「論理的と理屈は違う」と怒られた。どう違うかを教えてもらえなかったけれど、ぼくの話は理屈で、その中でも屁理屈って言われるものみたいだ。いい意味ではなさそうなので少し残念だ。あれ、何の話だっけ?そうそう、漫画の理屈じゃ大人は納得してくれない、って話だ。

 でもさ、現実の現象に不思議を見つけ出して読者も納得するような理屈の漫画もあるよね。つまり作者の持論だ。現象という先にある答えを元にして、その答えにたどり着くような推論を考えたら、そんなの無数にあると思う。その中で、一番実験をしてそれっぽいのを選び出して採用する、そして一番納得できる推論を事実だと大人は思っているんだ。だから「本当」というのはその人が一番安心する、しかも納得できる推論のことで、やっぱり一つだけではないとぼくは思う。

 それでも無数にある「本当」から大体みんな同じ「本当」を信じているのは、その「本当」が「唯一無二の本当」なのだからかもしれないとも思う。もしかしたら大人になると子どもには見えないオーラとかエネルギーが見えるようになるのかもしれない。

 でも大人に「なぜ?」って説明を求めても結局最後は、「これは本当のことだから本当なの。だからあなたも信じなさい」というようなことを言われてしまう。けれどこんな曖昧にしか説明できないような現象は大人の言うことに多いわけじゃなくて、きっとこの世界にはきちんと確認できないことのほうが圧倒的に多いんだ。違う言い方でいうなら、漫画みたいな不思議なことで現実もいっぱいなんだ。

 だとしたら漫画が大好きで、漫画に夢中になれるぼくら子どもが、現実から目を背けるなんてことはしないと思うんだけどなぁ。


 そうだぼくの周りには漫画みたいな不思議なものがいっぱいある。見えないし触れなくて、確認の仕様もないものだらけなんだ。そしてやっぱり大人が信じていて、僕らに教えることにそんなのが多いように思う。

 ぼくがよく身近で聞くのが「愛」とか「幸せ」とか「正義」だ。そんなもの人によって違うんじゃないのかな?人によって違う色々なものをどうして、たった一つの大切な物の様に扱うのだろう。これって人によって食べるものは違うけれど、何か食べないと死んでしまうから、食べ物は大切だ、ってことと同じなのだろうか?そんなの教えられなくたって食べるのに。

 でも無くなってしまう危険があるから、大切だから大事にしましょう、ってことかも。でもそれって生きるために大切だってことであって、大人の言う「愛」とか「幸せ」とかとは違うんだよね。

 だって生きるためには生き物を殺さなくちゃいけないし、そのためには人を殺すこともあるかもしれない。けど命を奪うことは「愛」でも「幸せ」でもないと大人は言う。特に人の命を奪うことに関してはひどく敏感なんだ。痺れた足を触るくらい敏感。でもそれはきっと自分たちが人だからだ。それを許してしまうと自分が殺される可能性も高くなるんだ。そういえば可能性って女性と男性の間の性なのだとつい最近まで思ってたんだぼく。でもどうでも良いよねこんなこと、ごめんなさい。

 でもどうして人を殺すことにそんなに敏感なのかというとそれはみんなが「私はあなたを殺さないから、あなたも私を殺さないでね」ってことを約束しているからだと思う。命を失う危険のある生活はしたくないと誰もがみんな考えていて、できるだけみんなに助けてほしいと望んでいるんだ。そういう人たちがいっぱいいて、助け合いをすることを良いよって了解をして、約束をして、いまの社会ができたんだ。約束を破ったら駄目だっていうのはこういうところから来ているんだと思う。こういうみんなが約束することを、合意をするって言うのかなあ?

 こんな話を和人君に聞いたんだけど、やっぱりぼくは自分が人を助けたのにあんまり自分が助けられないのは嫌だし、自分だけがずっと助けっぱなしというのはもっと嫌なんだ。人より損をしたくない、人より良いことをいっぱい持っていたいと考えるのはなぜだろう?とりあえず、それは今度考えるとして。

 だから、「私はあなたを助けるから、あなたも私を助けてね」という約束をみんながしている。この考えに合意しているんだ。これが協力という言葉の意味なのかもしれない。

 そして、そうじゃない人たちを取り締まっている。なにで取り締まっているかといえば、警察とか法律とかルールとか核爆弾とか、そういった罰や権力でだ。それって暴力とどう違うのだろう?個人に向けられるものか集団に向けられるものかの違いだろうか?これも今度考えてみよう。

 自分が効率よく、安全に生き延びるにはどうしたらいいかを考え抜いた末に、多くの人がみんなと仕事を手分けして、できた利益を分け合うのが好いと考えたんだ。でもこれって自分のことを一番に考えた結果であって、とても打算的なずるい考えと根本的には同じなんだとぼくは思う。

 でも、「違うよ、自分の為じゃないよ、100%みんなのためだよ」と言う人がいるかもしれない。そういう人は自分の利益を一切求めないで、他人の命に尽くすような、奴隷みたいなことをするのが好きな人なんだろうな。それって「私は殺されてもいいから私は人を殺す」と考えて迷惑なことをする人間と同じ感じがする。でも何が同じなんだろう?また「なぜ?」が増えてしまった。これも今度考えてみよう。


 それで今は「自分が効率よく、安全に生き延びるにはどうしたらいいか」これを人は「アゴ」じゃなくて「囲碁」じゃなくて、ヤゴでもなくってえっと・・・エゴ、そうそう、「エゴ」と呼ぶんだ。「利己的な幸せの追求」と先生は言っていたけれど、長いし意味が解らないから、「エゴ」でぼくは済ますことにする。

 そのエゴがどうしたかというと、和人君に「大人の言う「愛」とか「幸せ」って何?」って聞いたらそのエゴの話をしていたんだけれど、ぼくには良くわからなかった。

「生物には皆自己保存という一番原始的な本能が備わっているんだ。それがエゴの源といっていい。そのエゴを追求した結果、みんなの生活の安定の保護に自分も協力することが、結局一番安定した自分の生命活動に繋がると判断するか、しないかの違いでしかない。問題なのは、判断した結果伴う、合意による義務を担うことにある。この義務は、自分が成さなければ、社会的恩恵が施されないということが多々あり、そういう意味で強制的であるんだ。この義務をこなした結果、自身の求める生命維持と生命活動がなされなかった場合は、この判断は間違いであると結論づけることは至って合理的である。こういった合理的決断を鈍らせるために「愛」とか「幸せ」などという、社会の構成と存続に優位な概念の刷り込みを、社会に適応した人間は無意識にしているんだよ」なんてすらすら和人君は言うんだ。もうぼくちんぷんかんぷん。だから自分で考えてみたんだけど、やっぱりわからない。

 でもこんなことをぼくが考えるようになったのも正直者の和人君の影響だ。いい影響だから、彼のおかげだとも言う。

 だとしたらやっぱり大人の言うとおりで「正直なことはいいこと」なんだ。あれ、案外やっぱり大人の言うことは正しいのかも。でもそれはぼくが今実感したことであってみんながそうだとは限らないよね。ぼくが実感したからといって今和人君も実感したわけじゃないもの。

 けど和人君のぼくが偉いと思うところは、彼ってどんなに自分の不利になることや、やましいことでも嘘はつかないってことなんだ。でもぼくは彼がやましいことをしているところを見たことがない。それがまたすごいと思う。

 和人君に「どうしてそんなに立派なの?」って聞いたら、和人君は「僕はね、自分のことが一番大切なんだ。それで一番自分に都合のいいことを考え抜いて行動すると、結果的にみんなから立派だねって言われるだけなんだよ」って言うんだ。それからぼくに聞き返してきた。

「でもそれは誰のためでもなく自分のために行動しているんだよ?他にも僕と同じように自分のことを一番に考えて行動する人もいるけれど、その人は大抵大人から怒られているよね?どうしてだと思う?」公園にある小屋型の公衆トイレの屋根にぼくらは上って話をしていた。和人君の話を聞くときはいつもここに上がる。本当は上がってはいけないとぼくが知ったのは、そのずっと後になってからだった。

 和人君はそこの段になっているところに腰掛けて、床に座っているぼくを見下ろしながら話す。ぼくはそんな和人君を、ぽかーんと口をあけながら見つめていたに違いない。

「ケント君とかそうだよね?ん~なんでだろう。和人君が大人の機嫌悪いときを見分けられるとか?」

「ああなるほどね、それもあるよ。でも一番の理由は僕がケント君や他の子たちよりも現実的な未来を予測して行動しているからさ」

「ふぅん。でもさ、それくらいぼくだってケント君だってしているよ」

「どんな?」

「未来ではね、車が空を飛んでいるんだ」

「それは予測じゃなくて願望だよ。いいかいヒチカ?僕たちはもっと先を見通す力があるんだ。そして過去を謙虚に捉えて学ぶこともできる」

「ぼくのと、どう違うの?」ぼくは床に落ちていた葉っぱをちぎりながら聞いた。

「ごめん、それは言葉で教えることじゃないんだ。だからヒチカがこれから色々な体験をして学んで、何が自分にとって一番正しいのか、自分が決めた選択がその先でどんな結末になっても後悔しないという決意をその選択に乗せることができるのかを、自分で考えて決めればいいよ」

「和人君ごめん、またわからなかった・・・。もう一回言って?」

「ううん、もう言わないよ。僕が何を言ったのか、それを君はちゃんと聞けていた。君が意味を解らなかったとしても、聞いたという事実は消えないんだ。それに君の脳には記憶されているはずだよ。何年後になるかはわからないけれど、僕の今の言葉を思い出すときがきっと来る。そのときに考えればいいさ」

「ごめんねいつも・・・。ぼく頭が悪いから和人君の話、ちゃんと聞けないんだ・・・」

「なにを言っているのさ。ヒチカ、君にしかこんな話はできないんだ。それに僕よりヒチカのほうがよっぽど立派なんだよ?」

「え、どうして?」葉っぱを投げ捨ててぼくは聞いた。

「僕はね、こんな世界はぶっ壊れたほうがいいと思っているんだ。でもこの本心は絶対に大人には言わないし、行動もしない。それに引き換えヒチカは自分の心に嘘をつかない」

「ぼく、嘘は一杯ついてるよ。それに和人君が世界を壊したほうがいいと思うならきっとそうなんだよ」

「ヒチカの嘘は心の抑圧じゃない。それに僕が壊したいのは・・・いやなんでもない。今の会話は忘れてくれ」

「ヨクアツって?忘れるも何も和人君の話、ぼく全然理解できないんだもん」

「そっか、なら良いんだ。それからもし思い出しても絶対に他の人には言っちゃ駄目だよ?僕が話していたってことをじゃなくて、ヒチカの口からこの話はしちゃ駄目だってことだからね」

「だから、和人君みたいな話は喋れないってばー」

「はは、ヒチカはかわいいなぁ」

「痛いよ、あたまごしごし、しないでよぅ」

「あっ、ほらもうこんな時間だよ。帰らなきゃおばさん心配するよ?」

 和人君は屋根から見える電柱の掛け時計を見て言う。時刻は五時を過ぎていた。

「ホントだ、ぼく帰らなきゃ。じゃあ明日学校でね、またね和人君」

「うん、じゃあね。さようなら」

 次の日も和人君は学校にちゃんと来た。その日も先生に褒められていたけど、和人君はどこか上の空に見えた。

 それから夏休みまで和人君はぼくと口を利いてくれなくなった。なんでだろう?そう考えてたらあっという間に夏休みになってしまった。

 夏休みもぼくは他の友達と海に泳ぎに行ったり、山へキャンプに行ったりしていて和人君とは遊ばなかった。たくさん遊んだつもりだったけど、夏休みは全然物足りなく感じた。もしかしたら和人君はぼくの頭が悪いから、愛想を尽かしてしまったのかもしれないと思って、ぼくは宿題も頑張って終わらせた。

 学校が始まったら和人君にキャンプで捕まえたミヤマクワガタと、海で拾った綺麗な貝殻をお土産に持っていってあげようと考えていた。できたらまた遊んでもらえるように頼もうと思っていた。

 でも和人君は夏休みが終わってからは学校に来なくなった。先生たちは「和人君は転校しました」と言っていた。

 お手紙と、お土産を送ろうと思って引越し先の住所を聞いたのに先生たちは「分からない」と言って教えてもらえなかった。お母さんに聞いてみても、和人君の話をしたとたんに機嫌が悪くなって、「あんな子のことなんか忘れなさい」とぼくに怒鳴る。

 あんなに偉いとか賢いと褒めていた和人君を大人はすっかり嫌いになって、忘れようとしていた。

 ぼくは悲しい。それに淋しい・・・。こんなに和人君に会いたいのに、こんなにぼくは辛いのに、それを言い表せる言葉をぼくは知らない。それもこれも全部ぼくの頭が悪いからだ。ぼくがいけないんだ。それなのに、こんなぼくを和人君は立派だと言ってくれた。ぼくとしか話せないと言ってくれた。とても嬉しかった。嬉しかったはずなのに・・・そのことを思い出すと、考えると、涙が溢れてくるのは、いっぱい溢れてくるのは、なんでなんだろう。

 こんな疑問に答えてくれる人はもういない。それでぼくはまた・・・また泣いてしまうんだ。これじゃあいつになってもぼくは泣きやめないや・・・。

 和人君。

 ぼく、淋しい。

 また教えてもらえるように、またお話しをしてもらえるように、ぼくいっぱい勉強をして、和人君みたいに人に教えられるくらいに勉強をして、和人君が言っていたことをちゃんと理解できるようになるから・・・だから、そしたらまた、ぼくにだけ話してくれますか?ぼくとお話してくれますか?そうなるまで、ぼく、お土産の貝殻はとっておくから。だから、それまで、ぼくが立派になるまで、和人君とぼくが・・・ぼくたちが無事でいられますようにって、祈ってるから。ずっと、ずっと・・・・・・。

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