【ませた少女】

第53話

【ませた少女】


「将来どんな人間になりたいのか」という題目で作文を書くように、と私は子どもたちに宿題を出した。

 私が何も言わずとも、皆各々に自分の「夢」について書いてくる。もちろん教育委員会の指導方針は元々そういうものだったし、小学三年生という年齢では将来なんて、ましてや、自分と社会との繋がりなんて考えていないものだ、と私は思っていた。

 しかし、佐々木伸世、彼女は違っていた。ただ一言。「五円玉の穴だったもの」と書いてきた。

 そのときの私は正直嬉しかった。なぜなら彼女は普段からあまりにも大人しい。それに優秀。どんな宿題もどんな授業もテストも完璧にこなす、こなそうとする。そんな彼女が初めて不真面目にも宿題の作文に、一行にも満たない文を書いてきただけなのだ。実に子どもらしい。

 この年齢の子どもは学校できちんと学べばそれでいい。放課後はもっとたくさん遊んで身体を通して得られる経験で人格を育てなければいけない時期なのだ、と私は常々思っている。

 しかしだからといって課せられたことを蔑ろにしてはいけない、ということを私は教師として彼女に指導しなくてはならない。

 放課後、彼女を教室に残らせた。

「なぜちゃんと宿題を書いてこなかったんですか?」私は椅子に腰掛けたまま彼女を見下ろす。

「わたしちゃんとかきましたよ」彼女はランドセルを背負ったまま不思議そうな顔で私を見つめる。

「そうだね、一文だけ書いていましたね。でもみんなはもっと一杯、原稿用紙の最後まで書いてきましたよ」

 彼女は、あぁそういうことか、といった納得の顔を私にして見せた。

「一文ではダメだというならわたし、かきなおしてきます。原稿用紙をかえしてくれますか?」

 私は引き出しから、彼女の一文しか書かれていない作文の原稿用紙を取り出した。そのときにふと考えた。私は子どもたちに「作文を書いて来い」と言っただけで、彼女はちゃんと書いてきた。だから、原稿用紙一杯に書いて来い、と言わなかった私の方に不備があったのではないかと。

「これはどういう意味で書いたのかな?これが伸世さんのなりたいもの?」私は彼女の書いてきた一文の意味を聞いてみた。

「はい、それは比喩です。本当になりたいわけではなく、そのような大人になりたいという意味です」

 もう生意気どころの話ではない。こいつ本当に子どもか?たまに彼女と会話をするたびに私は考えてしまう。けれど私は冷静を装い聞く。

「そうでしたか。先生にもう少し詳しく説明してくれないかな?」笑顔も忘れずに飾って。

「あしたまでにはかいてきますが、いま説明しますか?」

 とりあえず聞いてみようじゃないか。「お願いできるかな?」笑顔は崩さない。

「はい、わかりました。そうですね、五円玉が五円玉であるにはまず穴があいていなければなりません。けれどその穴をあけるには、誰かが削られるということなんです。それが”五円玉の穴だったもの”の意味です」

「ということは、伸世さんは他の人の役に立ちたいということだね?でもだからといって伸世さんが削られていいのかな?それじゃあ伸世さんは幸せにはなれないと思うよ」私は率直な感想を言った。

「そうです、このままではわたしの意志はみのっても、わたしはむくわれません。ですが、じっさいは削られた五円玉だったものは、またあつめられ、五円玉の原料になるのです。わたしはそういった社会のシステムの中で誰かを助け、わたしが助けられる。そんな人間関係をえんかつにきずける大人に、わたしはなりたいのです。けれどそれは、誰かのために犠牲になるのではなく、このわたしのために、なのです。”情けは人のためならず”正にこの言葉どおりです。けれどそれにはそういった相互関係を保つようなシステムが、わたしたちの住む社会でしっかりと、はたらいていなくてはなりません。それをわたしは五円玉を作る機械に投影し、これらの意味をその一文に比喩してあらわしました」

 絶句、とはこのことだろうか。それにしても大丈夫だろうかこの子は?と私は改めて不安になった。

 この場合子どものことを考えれば、教師として生徒の新たな能力と才能の発見を素直に喜ぶべきだろう。だが私はそれができなかった。他の教師たちもそれをしなかっただろう。

 言っていることは解らなくもない。彼女の場合、「夢」ではなく「理想」なのだ。それも、より広範囲に適用されるような。しかし現代に生きる小学生なら誰だって社会に対してある程度の漠然とした理想を考えることはよくある。他の子どもたちだって考えるくらいは日常的にしているだろう。ただこの子の場合、考えすぎている。十分な知識の無いうちからこういった思想を構築することは、後々の人格構成に支障をきたす恐れがある、と何かで読んだ気がする。その本の著者の意見に私は賛成ではないのだが、身近で彼女を見ていると、この本の内容が頭に浮かんでくるのである。問題なのは知識を知りえないような現代にあるのだが・・・。

 それに今、世間ではアダルトチルドレンなどと問題にされているが、佐々木伸世、この少女はそれらとはもっと懸け離れた異質なものに感じる。病的でもある。私はそんなことを考えてしまった。

 ただ誤解しないでもらいたいのは、これは言いすぎとかでもなく、彼女を侮辱しているのでもなく、偏に私は彼女が心配なのだ、ということだ。このことはわかって頂きたい。

 それにこれも私の考えすぎなのかもしれないが、彼女が比喩したものが五円玉という極めて付加価値の低い硬貨を選んだことが腑に落ちない。彼女くらい考えているのなら、せめて五千円玉くらいにするものではないだろうか。

 しかしこんなことが心配なのではない、これらはどうでもいいことだ。問題なのはこの戦争の最中、彼女のような思想が危険思想とされることだ。

 およそ百年前に起こった世界的大恐慌。その中で企業の合併どころか国の合併が次々と連鎖して起こった。最初は実質的に崩壊している国を比較的安定している国が受け入れるといった経済援助の延長だった。しかしそのうち国の数は数国の国土の拡大と反比例するように減少し、紆余曲折を得て現在は12カ国に治まっている。その過程で資源国の資源の権利をどうするのかの問題になり、奪い合いへと発展した。これが現在わが国で第三次世界大戦と一般に呼ばれている戦争だ。だが意外にもこの戦争に核兵器の使用や、人道破壊兵器の導入はなされなかった。戦争には12カ国が同意している戦争のルールがあり、それを遵守して戦争をしているらしい。

 当時の政治家は「しかしそんな国同士の戦争にルールを決められたのは、戦争をしなくてはならない理由が今までのような、軍需産業によって生み出される利益による経済発展ではなく、純粋に自身たちの存続のためだと誰もが認識していたからだろう。この考えを持っている限り戦争がなくなるのは時間の問題だ」などと国民に演説していた。

 けれどそのルールは国同士のためのものではなく、国民を戦争に納得させるための一時しのぎの策なのだ、と私は考えている。

 当時、国民を戦争に狩り出させることが国には出来なかった。国が巨大化しすぎたらしい。今までのような情報操作によるマインドコントロールや洗脳は、国土の広さと多文化や多宗教のおかげで、同時に進行できず、効果が無かったようなのだ。むしろ内紛や暴動に発展しかねなかった。

 そのため国は国民が納得するような戦争についての規約を明文化させ、国民の反乱と暴動を防ぎながら戦争を続けることに力を注いだ。戦争の相手である他の国々と会談を設けてまで。

 そんなことで団結できるのなら戦争をしない相談でもすればいいのだ。これでは戦争の目的が平穏な秩序ではなく戦争をすること自体が目的になってしまっている。それでも、だからこそ人間の本質は争いではないと私は信じたい。いや信じなければならない。

 今の国民たちは皆、この戦争が義務化された世界に何の疑問も抱かず、身近な物資の循環にだけ興味を抱いている。それが国の与えている甘い飴であり、自分たちが消費するだけの奴隷だということに気が付いてはいないのだ。自分たちがいつ戦争に狩り出されるやも知れない、といった恐怖から目を逸らすように。

 頭が痛い。こんなに熱く考えてしまったのはこの子に感化されたせいだろう。

「そうですか、わかりました。立派な夢ですね、先生感心しました。これで伸世さんは宿題をきちんとやっていたことは先生、よ~っくわかりました。もう家で書き直さなくてもいいですよ」そう言って私は彼女から原稿用紙を返してもらおうと腕を伸ばす。

 彼女はにっこり笑うと原稿用紙を私に手渡した。

「もう帰っていいですか?」

「いいですよ。気をつけて帰りましょうね。ではさようなら」

「はい、先生さようなら」彼女はランドセルが頭から落ちそうなくらい深くお辞儀をし、手を振りながら帰っていった。


 私は正直嬉しかった。彼女の最後の笑みと、さようならと手を振る彼女は無邪気などこにでもいる可愛い少女に見えた。そしてなによりも、私のように今の世の中を変えたいと思うだけでなく、誰かに伝わるように行動を起こしている者が、たとえ子どもであろうと身近にいたことが私は嬉しかった。彼女のような人間を失ってはいけない。

 私は彼女の夢が描かれた白紙に近い原稿用紙を、机の横にあったシュレッダーへ丁寧に入れた。


 それからしばらく私は教室で来週行なう授業の指導法案をまとめていた。

「もうこんな時間だ」気が付くと時刻は八時を回っていた。私は誰もいない教室にそう呟くと帰る支度を始めた。

 昇降口を出るとすっかりあたりは暗くなり、見上げると星が綺麗に見える。

「橋本ヒチカさんですか?」

 いきなり横から声をかけられる。黒いスーツ姿の男が三人並んでいた。

「・・・はい」嫌な予感がする。でもまさかな。たとえ、もしものことがあったとしても私の家は火事になり、証拠は何も残らない。そういう保険はすでにしてある。それに・・・もう、心残りは・・・無い。

「罪名、国家反逆思想の人民洗脳、国家反逆未遂および、国家反逆の容疑により橋本ヒチカを連行する」男は手錠を私の両手にかけた。

「午後二十時二十四分、容疑者確保」

「今から予定通りそちらに向かう」

 男たちの無線越しの会話をバックミュージックに私は車に押し込まれる。

 最後になるかもしれない、もう一度私は星を見ようと顔を上げた。胸のペンダントを握りながら。私の小さい頃の記憶のまま、星は綺麗だった。

 満足して顔を下げたとき、それは目に入った。

 校舎を取り囲む塀に続く花壇の歩道。その横の電柱に佇む少女。

 ちょうど私の目にそれが映ったとき、電灯に光が灯った。

 彼女はにっこりと笑い、手を振っていた。口はわずかに動いていた。

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