【無言】

第51話

【無言】


 二人は車から降り、山中の廃村へと歩いた。

 雲が月を薄く覆い、空から滲む月光が暗い森林の中に影を生みだしている。ホラー映画のような造られた雰囲気が自然の中へ不自然さを演出し、さらに不気味な印象を彼女に与えていた。

 女はこの廃村に、彼氏と二人で来た。肝試しという名目ではあったが、気候はすっかり肌寒くなり、言わずもがな季節はずれである。

 廃村の民家の一軒に入り、二人は寄り添って探索をしていた。

「きみがわるい……」女は震える声で呟いた。

 しばらくして、彼女の前で彼はじっと動かなくなった。無言のまま彼は、すぐ側の彼女へじっと瞳を向けている。暗くてよくは見えないが、心なしか睨んでいるように、彼女には見えた。

「戻りたい」瞳を潤ませながら彼女は彼に訴えた。「きみがわるいの……」彼の腕を強く握っても彼はその場から一歩も動かない。

「本当にきみがわるいのよ。だから、わたし――」瞳から滴る涙。「戻りたいよ」今にも消え入りそうな声で女は訴えた。

 彼はそんな彼女を慰めるでもなく、近づいて抱き寄せるでもなく、腕を払いのけるでもなく、ただ彼女に瞳を向けているだけ。じっと、動かず目を見開いたままだった。

 彼女は「きみがわるいのよ――」と、それから何度も彼に嘆き、呟き、囁いた。

 瞳から涙を溢れさせながら、ずっと。雀たちがさえずり始めるまで、ずっと。

「きみがわるいのに……どうして、どうして」

 彼は一向に彼女へ言葉を返さなかった。冷たいまでに、そして血も涙もないかの様に。言葉を返さないだけでなく、彼女が握っていた左手も今では、そっけなく、力なく、けれど固まった様に添えてあるだけだった。

 徐々に朝日の寒光が空へ染み出し、家屋の中にまで陽が差し込み始め、二人の姿が彩られる。

 女は、時の止まった様に動かなくなった彼氏を見詰め、彼氏の瞳に怯え、彼氏の冷たさにぞっとした。

 廃村を囲む森林の中にまで光が行き渡り始めた頃、彼女は走って車まで戻った。

 彼氏をその場に置いて。

 彼氏から逃げる様に。

 女は走って、車まで戻った。

 彼氏の瞳は最後まで見開いたままだった。走る彼女の背を、追いかける様に、じっと見開いたままだった。

 家に帰り着くまでの車内。再び女は涙を流していた。

 今は自分に呟きながら、ずっと。

 瞬きをする度に浮かぶ、彼の瞳が閉じるまで、ずっと。

 彼の視線が、闇に消えてくれるまで、ずっと。

「――きみがわるいの、きみが、きみが」


「わたしは、わるくない」

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