【呼称による故障で詐称による殺傷】

第48話

【呼称による故障で詐称による殺傷】


「君は言葉の力をどこまで信じているかい?」男は説くような口調で口にした。

 胡散臭そうな男に捕まってしまったなぁ、と僕は鼻から嘆息を漏らす。

 ***

 久しぶりの休日。友達のいない僕は一人で街中へと出向いていた。特に目的があったわけではない。ただなんとなく、休日という貴重な時間を家で消費することに抵抗があっただけのこと。淋しい人生だな、なんて嘆くような時期はとうの昔に乗り越えており、この孤独を如何に楽しむか、という嗜好に僕の思考は現在移ろっている。

 商店街から外れて裏路地へと足を踏み入れた――その時。

「ちょっとそこのお兄さん、面白い話を聞かせてあげよう。こっちにきいさい」と声を掛けられた。

 視線を声のした方へ向けると、薄汚いオッサンが占い師の使っていそうな机と椅子に座っていた。ここって屋外だよな、と僕は顎を上げて天井が無いことを確認する。うん――ここは立派な屋外でしかも道路で、更に人通りの少ない路地裏という奴だ。室内でもないのに机を出し、椅子に座り、胡散臭そうな服装をして、あまつさえこんなところで客引きするような輩は大抵、一般人にとって害にしかならないような商売をしているに違いない――完全に歪んだ偏見ではあるけれど、それでもこの男が真っ当な業種ではないだろう。僕はその小汚いオッサンを怪訝に睨む。

「いからこっちきいさい。金は要らんがね、話聞くだけよって、損はなかね、中々ね」オッサンは妙な言葉遣いで手招きをしている。

 僕は興味半分、からかい半分でオッサンの前へ立つ。

「なんですか、話って」

「まずは君、この紙にこの色鉛筆で信号機の絵を描いてみいさい」

 差し出された白紙と色鉛筆セット。僕は気兼ねしながらも信号機の絵を描き、青黄赤と左から順々に色を塗った。

「ふむ。君はなぜこの信号機の色を、青黄赤で塗ったのかいな」

「だって信号機ってこの色でしょうに」

「本当にそうかいね? 青と言っても実際の色は緑ではないけ?」

「ああ。まぁそうですね。単に間違っただけです。で、それが何なんです?」僕は努めて威圧的な口調で答える。

「君は言葉の力をどこまで信じているかい?」

「はい? なに、えっと――宗教の勧誘かなんかですか?」僕は更に訝しがり、揶揄を込めて、「それとも無料で催眠術の講義でもやってるんですか、あなたは?」

「催眠術。はっはー、面白い。そういう言葉もあるんかいね。まぁ、いいさね。さっき君に描かせた絵はだね、言葉によって事実が歪まされるということを示すテストじゃ。君は普段よく目にしているはずの信号機の色を言葉によって歪まされていた。そうじゃないかや?」

「偶然です。それに、仮にそうだとしても、その程度のことでしかありませんよ。だったら何なんです?」

「ほっほ。まぁいいさね。そうそう、ところで君、名前は?」

「教えるわけがないでしょ」こんな怪しげな見ず知らずの他人に。

「教えない、ということはつまり君には今、名前が無いということだがね。よし、ではワシが君に名を付けてしんぜようぞ。そうなぁ――ふむ。君の名はジャック・ザ・リッパー。いいかい、今からこれが君の名だ」

「馬鹿馬鹿しい」私は苛立ちその場を去った。

 男は何も言わなかった。

 少し歩いて振り返ると、男は黙したままで遠ざかる私をただ見送っていた。路地裏から表の道へと出る時に、もう一度だけ振り返ると、男はまた他の人間へと話しかけていた。酔狂な男だ。世の中には理解し難い行動原理に従って生きている者が少なからずいる。けれどそれらは決して個性というものではないだろう。個性とはあまねくして共有し得るものだからだ。理解もできず、共有もできず、許容もされない個性などは存在しない。それらは総じて病気、或いは狂気として認識され、扱われる。あの男もそういった世間から弾かれた存在なのだろう。惨めなものだ。男によって齎された不愉快な感情を私は、嘆息として吐き出し、そして頬を緩めた。気持ちが沈んでいても笑うことで高揚することもある。形というのは存在へと干渉する。むしろ「形」こそがその存在の本質に他ならない。礼儀や儀式も同じようものである。規則や法則といった「型」があることで存在が確かなものになるのだろう。「型」とは「形」である。ならば、名前などの呼称もそういった存在へ干渉を及ぼす「形」なのかもしれないな、と私は思考を巡らせる。巡らせつつも、だから何だというのだ、とその無意義な思考を一蹴して、視線を裏路地から――男の元から外した。

 表通りへ踵を返した私は立ち止まり、街中を見渡す。街は若い奴らで賑わっている。女子高生に女子大生。

 ふむ、中々の光景だ。と舌なめずりをしてから、そうだった、と私は思い出す。

 早く買い物を済ませなくては――。

 街まで私は、ナイフを仕入れに来たのだから。

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