【墓場まで】

第43話

【墓場まで】


「死体を隠すなら海よりも山だぜ」

 土塗れになりながらも私は、あの男が言っていた言葉を再び思い出していた。


 昨夜。私は居酒屋で、如何にも堅気ではなさそうな男と意気投合した。スーツを脱げば大仰な彫り物が身体を装飾しているだろうその男は、「海は沈めても腐敗したガスで浮き上がってくっからよ、駄目なんだ」とそんな話を楽しそうに嘯いていた。

 彼と別れてすぐ、私は自宅へ向かった。飲酒していたので車は置いてきた。この時間帯では電車などの交通機関は使えない。かと言ってタクシーを使うには懐が心もとない。結果私は徒歩で家路を進んでいた。

 しかし足取りは自覚できる程に「千鳥足」で、酔った直後の運動というのは、徒歩であろうと身体に負担をかけるものらしい。私は河川の静かな小道を朦朧とした視界のまま歩き、そして意識を失った。

 気が付いた時、私の隣には女性が転がっていた。そう、寝ているのではなく、転がっていた。

 そして私の手には包丁。赤く染まった包丁。

 鼓動が止まる。

 時間が止まる。

 風が頬を撫でる。

 鼓動が大きく脈打った。

 徐々に加速する鼓動。

 溜まった、血液、疑問、焦燥。

 それらを全身へ分散させようと、躍る様に脈打つ。

「私が……やったのか?」

 客観的に見ればそれが受け入れるべき現実なのだろう。しかし、主観的にはどうしても受け入れることができない。

 なぜなら、記憶がないのだから。殺した記憶が、無いのだから。

 けれどそれと共に、殺していない、という記憶も無かった。

 それが私を酷く、不安にさせる。

「警察に……いや」容疑者になるのも今はまずい。

 曲りなりにも私は会社の役員だった。

「コレさえなければ」と私は胸を赤黒く化粧した女性を見遣る。

 途端。

 男の言葉が脳裡を掠めた。

 掠めた程度で、私の思考は酷く――ぐらついた。

 ***

「それは可笑しな話だな。手に包丁持ってたってことはさ、女性から包丁を引き抜いたってことだろ? それなら返り血を浴びていたはずだよ。なのに君は血で汚れていなかった。それがどういうことか、わかるよね?」

 私は悩んだ挙句、親友に相談していた。

「ああ――はめられたってことか」やっぱり。

「多分ね。でもよかったじゃないか、君は人を殺していない。となれば、ほら、匿名で警察に知らせよう。仮に、そのことをネタに脅迫されたら厄介だ。場所はどこなんだ?」

「いや……駄目だ」

「なぜ?」

「埋めた場所がさ」――妻が埋まっている山なんだ、とは流石に言えなかった。

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