【初めての交戦と困惑】

第36話

【初めての交戦と困惑】


「いいか、落ち着け、まずは落ち着け。息を吐け、そして吸え。呼吸を整えて、精神を、それから身体を楽にしろ。ふっ飛ばされはしたが、奴からの攻撃は俺が相殺した。ダメージは殆どないはずなんだ、自分で自分を追い込んでんじゃねぇよ」

 キィの切迫した、けれど押し殺したような声が聞こえる。

 聞こえる、聞こえるのだけれど、わたしにはそれがさっきから音としてしか認識できず、言葉としての機能は果たされていなかった。


 ほんの数秒前。

 雷の様な槍。

 いや、槍の様な雷が、ユキの胸を貫こうとした。

 間一髪のところで、影が飛び出し、シールドのようにそれを弾いた。

 ユキはその衝撃で吹っ飛び、瓦礫の中へと突っ込む。

 影は黒い猫の形となり、ユキの元へと駆け寄った。

 周囲は新月の夜の様に暗く、その闇を粉塵が霧のように覆っている。

 暗闇であるが、雷の槍が地面へと幾つも付き刺さって光源と化し、周囲の形を闇に浮かび上がらせていた。

 ユキは瓦礫に埋もれていた。

 自力で出ることは可能だが、しかし今は横たわったままだった。急いで体制を整えて、逃げなくてはと身体を起こそうとしたのだが、飛ぶように駆け寄ってきたキィが、このまま身を隠すようにしていろ、と力づくで抑えつけていたからだ。見た目は猫だったが、その力は大型の獣並みだった。

 ユキは困惑してはいたが、混乱しているわけではなかった。現状を把握し、相手と自分との力の差を十分に見定めることができている。見定めることができているからこそ、ユキは次に自分が執るべき対処を見失っていた。

 いくら考えても、いくら思考してみても、脳内で幾通りのシミュレーションを重ねてみても、一向に最善の選択が、最良の行為が、有効な攻防が、見つからなかったのだ。その糸口すら、まったく見つからない。

 焦りが募る。

 既にその焦りが恐怖へと変質し始めていた。そのことが、身体の自由と思考の潤滑を酷く鈍らせているのである。

「おい、聞いてんのか、しっかりしろよ!」一向に返答を示さないユキに痺れを切らし、キィは声量を抑えたままで声を荒げた。「奴はまだ俺たちを見失ってはいるが、このままやり過ごすのは無理がある。見つかるのも時間の問題だぞ。見つかったが最期、奴は今度こそ俺達の息の根を止めるまで攻撃を緩めることをしない。次でこちらも決める覚悟で挑まなければ、俺たちも、お前が守りたい者たちだって、明日を迎えることなんてできねーんだぞ! いいのかよそれで」

 わかっている。

 いいわけがない。そんなことは、絶対にさせない。

 そんなことは解り切っているのだ。

 けれど、けれど一体わたしはどうすればいいというのか。

 わたしはまだ水を操る能力しか会得していない。しかも、それは基本中の基本、初歩中の初歩だという。

 実践へ向けての戦闘訓練、バトル練習すらまだやっていないのだ。というよりも、今日がその初練習の日だった。キィを相手に、会得したばかりの水の魔術で、基本的な攻防戦を交える予定だったのだ。それがどうだろう。どうしてこんな、試し合いとも殺し合いとも違う、一方的な暴力を振るわれなくてはならないのだろうか。どうしてこんな虐待を受けなくてはならないのだろうか。

 どうして、どうして、わたしがきちんと戦えるようになるまで、待ってくれないのだろうか。

 現実がそんなに甘くないことは、解っている。

 むしろ時には残酷なまでに冷たくわたしたちに立ちはだかることがあることくらい、わたしだって解っている。

 解っている、と思っていた。言葉では理解していた。

 だが、ここまで理不尽な力の差が、圧倒的な能力の差がありながら、相手が容赦なく本気で破壊を実行してくる現実があるとは思わなかった。

 心のどこかでユキは、話し合えば解り合える、と思っていた。

 戦闘のあとは、互いに握手をし合って、友情のような爽やかな絆が生まれるかもしれない、とそんな淡い願望を夢見ていたことも確かだ。しかし、現状は、そんな奇麗で穢れの無い妄想とは裏腹に、残酷で卑劣で醜悪だった。

 ただただ邪悪で。

 ただただ破壊だった。

 普段は、敵対している相手との間でも、互いに確認するまでもなく、当たり前に通じ合えていたはずの良心や良識といった我々が暴力を行使しようとする意思を拘束している普段の常識が、まったく通用しなくなっていた。それら常識が、如何に奇麗事で、己の手を汚さない人間が言う詭弁かということを、ユキは今、酷く痛感していた。

 殺さなくては、殺される。

 命は平等で、命は大切で、だからこそ命を奪ってはいけない。

 そんなこと、知ったことではない。

 そんなこと、今のこの現状では、なんの役にも、慰めにもならない。

 むしろ、邪魔な戯言でしかない。

 どんな手を使ってでも、それこそ相手の弱みが露見した瞬間に、躊躇なくそれを掌握し、切り刻み、破壊の限りを尽くし、相手を停止させることに全力を注ぐ。

 今はそればかりを望んでいた。

 欲していた。

 軟弱な部位。

 付け込める脆さ。

 不意を付けるような絶好の機会。

 それだけが、相手に望む、唯一だった。

 そんな邪なことを考えていては駄目だ、と思う自分が、どんどん崩れていく。瓦解していく。その都度、自分が自分で無くなっていくような、皮膚が硬化し、剥がれ落ちていくような、人型が崩れていくような、そんな自分からの乖離的な変質を、心の奥底で、無意識と意識との境界の表層で、焦りと困惑と動揺と冷徹の傍らで、ユキは僅かに感じていた。目前に迫る死の恐怖よりも、そのことの方が恐ろしい。そう思う自分がいた。

 しかし、それは一瞬の浮上と下降を繰り返し、今は再び、無意識の領海へと沈んでいき、死の恐怖の影に覆われていくのだった。

 呼吸器官に水を含ませて、呼吸困難にさせて窒息死させようか。それとも、地面に刺さったままの雷の槍を引き抜いて、奴の心臓めがけて投げつけてやろうか。もしくは、水を浴びせて、自らの電撃で感電させ、身動きの鈍っている間に、奴の心臓へと雷の槍をぶっ挿してやろうか。

 幾通りの殺人計画を考えてみるものの、どれも確実性に欠けていた。もっと確実に、そして、瞬殺でなければ、自分が殺されてしまう。

「おい、ユキ。何を考えているかは解らねぇが、まずは身を守ることだけを考えろ。攻撃は最大の防御なんて言ってはいるがな、防御さえ完璧なら、まず負けることはないんだ、死ぬことはないんだ。まずは身を守れ、殺すことじゃなく、まずは生きることを考えるんだ」

「違うでしょ」ユキはぼそっと呟いた。「生きる為に殺すのよ」殺さなくちゃ、奴を殺さなくちゃわたしが、と自分に言い聞かせるように。

「……いいかユキ、俺たちの目的を忘れるな。俺たちは向かってくる者を倒す為に戦うことを決意したわけじゃない、守りたい者を守る為に戦うんだ、そうだろ?」

「だからって、わたしが死んだら意味ないじゃない! わたしが死んだら、誰一人だって守ることなんてできないじゃない! わたしは死ねないの、死にたくないの!」ユキは怒鳴った。声を、荒げてしまった。身を隠していることを忘れてしまっていた。現状から、眼を逸らしてしまった。

「そうだな、お前は死んじゃ駄目だ。だからって、お前はあいつを殺すのか? 元が誰だかは知っているだろうに」

 うぅ、と嗚咽を漏らすユキ。「知ってる、解ってるよ、あいつが元はタツキくんだって、知っているよそんなこと。だからってどうすることもできないじゃない! どうしようもないじゃない! どうすればいいってのよ」もう嫌だよ……と、ユキは頭を強く抱えて蹲る。両手で握るように、両手を食い込ませるように。

「お前が死ななければいいんだ。あいつを殺さず、そしてお前の守りたい人たちを守るために、お前はお前を守ればいいんだよ」キィは諭すように静かに優しく口にした。

「だから、無理なんだよ……そんなこと」

「どうだかな」キィはユキの肩へ飛び乗り、「やってみなけやわからねぇ」と無責任なことを言った。「無理か無理じゃないか、できるかできないか。それは今こうやって蹲ってがたがた震えていることで決まることじゃない。今こうやって、自分ができることからも眼を逸らして、結末を時間の経過に委ねて、それでわかることと言えば、自分が如何に臆病で、自分が如何に卑怯で卑小な存在かってことくらいだ。このままじゃ、反省できる機会は訪れない、後悔すらできなくなる。たとえユキがこの場で死なずとも、この後に訪れるだろう結末を目前にして、自分を許すことができずに、自分を呪って、今よりも救いようのない、拭いようのない絶望を味わうのが関の山だ。それくらい想像できるだろ」思い出せ、とキィは訴える。「お前に見せたあの未来が、現実のものになるんだぞ? お前はそれを、許せるのか?」

「……許せない」ユキはいつの間にか流れていた涙を拭う。「絶対、そんなことは許せない……わたしは、それを、許さない」

「そうだ、お前が許さないのは、人じゃない、理不尽な結末だ、到底納得することのできない結末だ。誰を恨むことはない、お前はお前の守りたい者を守ろうとする、それでいいじゃねぇか」

「そんな甘いことで……いいのかなぁ」できるのかなぁ、とユキは泣き言を溢す。

「善いか悪いかは、お前が決めることだ。納得できることを納得できるだけやればいい。その結果もしも最悪な結末を防げなくとも、誰もユキを責めることはできないし、責めようなんて思わないさ」それよりも、とキィは声を太くする。「それよりも、ユキが全力を出さず、目の前の可能性から眼を逸らして、自分で自分を許せないような結果になった時は、少なくとも俺はお前を許さない。使命とかそんな強制的な事情を抜きにして、俺はお前を許さない。それだけは知っておいてくれ」

 ユキは顔を上げ、「うん」と頷いた。小さく、けれど大きな決意がこもっているようにキィには聞こえた。

「つってもな、散々偉そうなこと言ってみたわけだが、お前をこんなキツイ環境に置いたのは、俺たちの身勝手な理由だし、そもそも俺がお前を選んだのなんて、ただの偶然。俺の独断と偏見なんだけどな」

「へ?」とユキは素っ頓狂な声を出す。「そうなの?」

「単細胞の熱血馬鹿の奴の方が、契約しやすいからな。契約しちまえば、否が応でもこの戦いに身をおくしかないし、戦わざるを得ないしな」と、からかうようにキィは言った。

 呆気にとられた様にユキは口を空けて、数秒間停止。

 しばらくして我に返って彼女は、「そんな理由だったの? 信じらんない!」と呪文を口走り、ほくそ笑んでいるキィに、水をかけた。キィが肩に乗っていたので、ユキ自身も水を被った。

 けれど、それで良かった。

 頭を冷やす為に。

 涙を洗い流す為に。

 この時になって、漸くユキは、身体を巡る鈍痛に気が付いた。打撲や擦過傷の存在を今になって認識した。痛みすら麻痺していたのだ。思考が麻痺していたのだから、それもそうなのかもしれない。

 動けないほどの痛みではないが、やはり痛む。

 それも今のこのわたしには、いい気つけ、戒めだ。

 ユキは短く嘆息をつき、「もう、どうなっても知らないから」と決意の眼差しを、キィへ向けた。

 キィは口元を吊るし、小さな牙を覗かせる。「おう、いったれや」

 背中を優しく押された気がした。

「うん」ユキは力強く頷くと、瓦礫を押しのけて、駆けだした。

 策は何もない。猪突猛進もいいところ。

 当たって砕けろ、だ。

 けれど。

 それでもわたしは砕けない。

 それでもわたしは、挫けない。

 砕けるのは、わたしじゃない。

 砕けたのは、意気地なしなわたし。

 わたしの内の弱虫。

 そして、タツキくんの中の獣。

 雷のケダモノ。魔獣の偽物。雷獣もどき。

 ――麒麟の鱗の寄生蟲。

 五十メートル先に、奴が見えた。既にこちらへ殺気を放っている。

 手元には今までとは比べ物にならないくらいの巨大で、強烈な光を放っている槍が。それも、二本。

 奴は更にそれを一つに融合し、三日月の様な、巨大な剣の様な、神々しい雷の槍へと変質させた。

 だが、ユキは怯まない。

 さらに加速を付けて、駆け抜ける。

 全速力で、駆け抜ける。

 わたしは守る。

 家族を、友達を、その友達の家族を、そして――この街の人々を。

 だから、タツキくんだって、守ってみせる。

 救うことはできなくとも、守ることはできるのだから。

 それが、わたしを守るということなのだから。

 刹那。

 背筋に悪寒が走った。

 前方の砂塵が切り裂かれる。何かがこちらへ飛んでくる。

 冷や汗が一瞬で噴き出た。

 槍が目前に迫っていた。

 到底避けられる距離ではない。

 槍の大きさも、スピードも、電力すらも全てが桁はずれだった。

 桁外れだと、理解した。瞬時に理解、できてしまった。刹那に身体で感じてしまった。

 けれどユキは、避けるという選択を度外視し、力いっぱい飛び込んだ。

 逃げるなんて――もうしない。したくない。

 その槍の奥にいるであろう、偽雷獣となったクラスメート、タツキくんへ向かって。

 力一杯、飛び込んだ。


 ***

 とある一室。ここは書斎。

 天井が高く、部屋を囲むように本棚が配置されており、そこに本が隙間なくびっしりと収まっていた。

 梯子を使用しなくては手に取ることのできない高さにも、もちろん本がびっしりと並んでいて、実際この部屋には梯子が設置されていた。部屋の中央部にはテーブルがあり、その卓上には実験室の様なビーカーや試験管が置いてあった。横にはホワイトボードが立っており、白面には暗号の様な数式や図形が書き込まれていた。

 ユキはその更に横のソファーに寝転び、この部屋には似つかわしくの無い、少年漫画を読んでいた。

「ねぇ、キィ。どうしてあの時あいつの槍、わたしから外れたんだろう?」思い出したようにユキは言った。先日の戦闘。死闘とも死線とも付かない初めての体験だった。あれが本当に起こった、現実の出来事だったのかすら、今では曖昧である。

 最後の突進時。特大の雷の槍が当たると思った。けれど、当たらなかった。それをユキは不思議に思ったのだ。

「いや、当たってたよ。完全にユキは喰らってた」キィはソファーの淵にちょこんと座って、前足を舐めて毛繕いをしている。

「そうなの? ならどうして無事だったのかなぁ、わたし? 今考えて見たら、わたしの身体びしょ濡れだったし、それこそわたしが絶体絶命、危機一髪だったんだと思うんだけれど……もしかしてキィが何かしてくれたの?」

「いんや、なんもしてないよ」キィは淡々と答える。

「なら、どうしてだろ? わたしが危機に直面して隠された真の力か何かが覚醒したとか?」ユキは漫画から視線を外す。

「お前にそんな力はないよ、それは保障する」キィは尻尾をピンと立てて、苦笑するように言った。「まぁ、その後ユキが飛びついて奴を抑えつけている間に、お前のエネルギィを利用して、奴を封じたのは俺だけどな。奴を押さえつけることができれば、まぁ最初から勝機はあったわけだが、偽とは言え、仮にも雷を司る魔獣なだけに、直接触れるのは自殺行為なんだよ」

「でもわたし、アレを押さえつけている間、何ともなかったよ?」

「知っているか、ユキ?」キィはフロアに飛び降りて、ユキを見上げた。「純粋な水ってのはな、電気を通さない絶縁体なんだぜ」

 あ、とユキは眼を見開く。「そうだった、この間お父さんと実験したばかりだった!」自らの失態に気が付き、「なんでそんな大事なこと忘れてたんだろう」と頭を抱えて悔やんだ。

「まぁ、だから雷の槍もユキに触れて無効化したんだろうな」

「はぁなるほどねぇ。てかそんな簡単な処置で対抗できるなら、最初からやってればあんな苦労せずに済んだのに! どうして教えてくれなかったのよ」不服とばかりにユキは唇を窄ませる。

「最初のユキには無理だったからだ。不純物なしの純度の高い超純水を生み出すには、邪心を滅し、清らかな心でなくては無理なんだよ。超純水ってのは要するに、聖水だな」

「セイスイ」ユキは復唱する。

「そうだ、聖水だ。ユキの遣えるあの水の魔術、あれは基本的なもので、純度の低い水なんだ。とどのつまり、ただの水だな。そんな水を被って雷をくらったら、それこそ丸焦げさ。聖水を操る魔術はそれよりも高等魔術に位置する。だからまぁ、そういう意味では、覚醒したってのはあながち間違いではないな」更に付け足して、「覚醒ってよりは、火事場の馬鹿力って感じだけど」キィは揶揄するように指摘した。

「もしかして、キィ、お父さんとの実験、覚えてたの?」先日この部屋で、ユキの父はユキにイオン分解の実験を見せていた。イオンの化学式に思考の大半を費やしていて、その時に使用した純水を、電解質の溶液にする為に、水酸化ナトリウムを触媒として混ぜていたことを、すっかり忘れていた。

 水道水などの水は不純物が多く混じっていて、電気を通しやすいが、純水は電気を通しにくい。更にそれ以上の純粋な水、超純水となると、絶縁体並みに電気を遮断するのである。実験の時、ユキは父からそういったことも教えられていた。

「まぁな、俺様とお前のようなガキんちょの記憶力を同列にしてもっらちゃ困るぜ。むしろ博学な俺様は、元々知っていたけどな」

「だったらあの時教えてくれればよかったじゃない」

「それだと、試験にならねぇだろうが」

「ん? 試験……?」

 あ、と今度はキィが小さく漏らした。「いや、試験管ってほら、あれだよな、便利だから一家に一台は欲しいところだよなぁ、なんてさ、思ったり思わなかったり」

 ユキはキィを見詰める。

 キィの眼は泳いでいた。あっぷあっぷと、溺れそうなくらいに泳いでいた。

「ちょっと、どういうことよ。今、試験って言ったよね? まさか一昨日のアレ、キィの仕組んだことだったなんて言わないでしょうね? むしろ、アレ自体が私を試す為の戦闘訓練だった、なんて言い出さないでしょうねぇ?」

「言わない、言わない、言えるわけがない。あ、ところでユキさん、髪切りました? いつも可愛いけど、今日は一段と美少女に磨きがかかっていらっしゃるようで」

「お前の尻尾でも噛み切ってやろうか?」とユキは凄む。

「いや、ご遠慮させて頂きます」キィはトンっと本棚へと飛び乗った。

 こうなると、ユキには手が出せない。届かないので、文字通り、手が出せないのだ。

「はぁ。いいよ、済んだことは仕方がないし、怒らないから本当のことを教えて」一転してユキは切実な口調で言った。キィを見上げながらしかし、どこか伏し目がちに。「もしアレがキィの仕組んだことなのだとしたら、わたしはタツキくんに償いをしなくちゃいけない。だって、そうでしょ? だから、もしもキィがわたしにこの先も魔術師として、魔女として修行して、力を貸してほしいのだとしたら、正直に本当のことを教えてほしいの」

 しばらく項垂れる様に考えていたキィは、妥協したように溜息を吐いて、「これは、ユキが本当に魔術を使いこなせるかどうかを判断する為の試験だったんだよ」と話し出した。「俺たちはこの地球へ直接的に干渉できない。それは前に説明したよな? それで、俺たちはこの地球に生息する原住民に、つまりユキたち人類に協力を要請するわけなんだが、それには厳格に定められた基準があるんだ。規則なもんで俺もこれ以上詳しく教えることができねぇが、その中でも、魔術を会得した際に、どういった遣い方をするのか、というのが大きな問題になるんだよ。ユキだって解っているとは思うが、誰かを傷つける為に、そして誰かを支配する為に魔術を遣うっていうのは、絶対避けなくてはならないことだ。それこそ敵に塩を送ることになっちまう。本末転倒なのさ、戦うべき敵を増やすだけだからな」

「だから慎重に見定めなくちゃならなかった、てこと?」

「そうだ」

「私を騙すようなことをして?」

 一瞬キィは言い淀む。「……そうだ。いや、俺だって心痛まなかったわけじゃないんだ。むしろ痛んださ、それこそ心臓を針で突かれる位に痛かった。いくら試験だとしても、ユキを危険な目に合わせるわけだし、これでも俺だって罰則ぎりぎりでお前に助言してたんだぜ?」感謝の一つも欲しい位だよ、と謝罪なのか拗ねているのか、どちらともつかない物言いをする。

「うん、実際あの時は助かったよ、ありがとう。でもそれは解ったけど、だからってタツキくんを利用したことは許されることじゃないよね?」あの後、偽雷獣が消えも、その場にタツキくんの姿は現れなかった。一緒に消えてしまった、と焦ったが、キィに言われるままにタツキくんの家へ行って窓から部屋を覗くと、何事もなかったかのように、ベッドで眠っているタツキくんの姿がそこにはあった。

「う~ん、説明が難しいんだが。アレは、ユキの戦っていた偽雷獣は、ユキのクラスメートのタツキって小僧じゃないし、小僧に憑依していたわけでもないんだ」

「どういうことよ、だって、タツキくんだったじゃない。タツキくんの身体が膨れ上がって、体つきが変化していくのをこの目で私は見てたわよ」

「逆なんだよ。小僧が偽雷獣に変態したんじゃなくって、偽雷獣が小僧に変態してたんだよ」

「あ」なるほど。ユキは合点した。「でもさ、ていうかそもそもさ、その偽雷獣はどこからきたのさ?」

「いや、あれは魔術によって召喚されたんだ。魔獣は召喚されなくっちゃこの地球に現れることはできないからな」

「そうなの? だったらあの近くに他の魔術師がいたってこと? そいつがわたしを殺そうとしたってわけ?」

「いや、殺そうとはしてないんだけど……試験なわけだし。ユキを試そうとしてだな」

「どうしてキィが肩持つようなこと言うのよ」ユキはキィの言葉を遮ぎった。「あれはわたしを殺そうとしてたじゃない! あぁ、もう、思い出したらまた腹立ってきた! そいつが目の前に現れたら、絶対に潰してやるんだから。死なない程度に痛めつけて、二度とわたしたちに干渉しないよう、契約させてやる」

「あのですね、ユキさん、でもですよ、ユキさん? もしかしたらそいつも悪気があったわけではなくて、むしろ避けては通れないような、どう仕様もない事情があったのかもしれませんし」

「随分と庇うじゃない」ユキは訝しむ。「もしかしてキィ、そいつが誰だか知ってるんじゃないの?」

「知ってるっていうか、言いたくないっていうか、むしろ俺だっていうか」ごにょごにょと語尾を濁すキィ。

「え? よく聞こえないよ、もっかい言って」ユキは首を僅かに傾ける。

「怒らない?」棚の上から覗くように顔を出すキィ。

「どうしてわたしがキィのことを怒るのよ。むしろキィには感謝してるくらいなんだからさ、本当のことを言ってくれるなら、ますます感謝感激、雨あられだよ。それこそわたし、キィのこと見直すよ」ユキは照れくさそうに、へへ、と笑った。

 雨もあられも嫌だけど、とキィはぶつくさともったいぶる。「だったら言うけど……偽雷獣を召喚して、ユキを襲わせたのは、俺なんだ。魔術師候補者に試練を与えて、魔術師として、力を与えるのに相応しいかどうかを見定めるわけ。それが、ああいった魔獣を遣っての実践的な戦闘であって、試験対象者を極限の状況下、精神状態に置くことなんだ。まぁ、それで何を見るかとか、何を試すのかってのは俺の仕事じゃないし面倒だから説明を省くけど。まぁ俺は端からユキなら絶対クリアすると思っていたし、そもそも試験なんてやらなくたってユキが俺たちの協力者として、ってか魔術師として最適なことくらいわかっていたわけだけどな。それもこれも、つまりは俺がユキを信頼してるってことでさ。もうさ、なんて言うのかな、過ぎたことは水に流そうぜ、みたいな?」言ってキィは窺うようにユキの足元へと飛び降りた。

 ユキは何が起こったのか、というように目をパチクリとさせて、数秒間凍ったように停止した。キィが飛び降りたことに驚いたわけではもちろんない。キィが話した内容に対しての反応だった。

「あれ、えっとぉ、あの、ユキさん?」キィは恐る恐る声をかける。

「……られない」ユキは呟く。

 キィは心配そうに耳を欹てる。それこそ文字通り、耳を立てて。ユキのことを心配しているわけではなかった。この後の自分の処遇についての心配だった。俺はユキ、お前のことを信用しているぞ、怒らないと言ったお前の言葉を俺は信じるぞ、とキィは強く念じている。

「……じられない。ほんっと、信じられない!!」

 期待は裏切られた。

 ユキ様、怒り心頭。

 激怒激震。いや、そんな言葉はないか、と冷静に状況を把握するキィ。

「水に流せですって? よくもまぁ、ぬけぬけとそんなことを言えたもんだね、キィ! 謝罪の一言でも合っていいんじゃないのかな? ねぇ、どうなのかな?」腹に力の入った、ドスの効いた声だった。

「すみませんでしたユキ様」キィは前足を揃えて拝むように上げる。

「は? 馬鹿にしてんの?」

 ぶるぶると首を振るキィ。「いえいえ、滅相もない! とんでもございません、むしろ申し訳ございませんでした、ごめんなさい」しゃんと背筋を伸ばして座り、口早に言った。

 心なしか、ユキの髪が逆立って見える。肉体強化系の魔術は、まだ教えていませんが? キィは目をごしごしと擦る。

「さっき、あんたなんて言ってたっけ? 水に流せ、ですって?」

「あ、はい。申し上げました、が……」なんか嫌な予感がする。キィは身構えた。

 その一瞬の間で既にユキは呪文を唱え終えており、「犬かきは得意かな? あ、ごめん、あんたそういや猫だっけ」と竜の如く模られた水を操っていた。声は笑っているが、顔が笑っていない。

「俺は猫じゃない!」といつもなら突っ込んでいるところだが、今のキィにそんな余裕はなかった。

 怖い。

 とてつもなく怖い。

「ここは書斎ですよ?」水浸しになってしまいますよ、とキィは説得するように囁いたが、「言いたいことはそれだけか?」と意に反してユキは冷たく言い切った。もはや声すら笑っていない。

 ああ、俺は人選を誤ったかもしれない……。

 試練を乗り越え、試験を合格したユキに対して、キィが最初に抱いた感想だった。

 戦闘向きの魔術をこの子に教えるのは、当分の間控えよう。

 そう心に誓った、キィであった。

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