【魔法の呪文】

第35話

【魔法の呪文】


「ねぇ、魔法と超能力の違いって何だろうね?」

 わたしは振り返らず、足もとに集中を向けたままで聞く。歩道に沿って転々と置かれているブロックの上を、崖の頂に見立てて、わたしは歩いていた。スカートがヒラヒラと邪魔だ。髪も縛ってはいるが、馬の尻尾みたいに揺れて、今は煩わしく感じていた。わたしの後ろを同じように、雄志とその弟のアッちゃんが両手を開いて、バランスを取りながら続いている。

「う~ん、超能力は科学で説明できそうだけど、魔法だとさ、他の異世界の力って感じがするよな」雄志の声が背中に響く。かなり追いつかれたみたい。雄志は夏でも絶対に半ズボンを履かない変な奴だ。昔からそうだった。変なこだわりがある。他にも、外に出るときに帽子は必需品だとか言って年中被っていたりとか、マンホールを絶対に踏まないとか、色々あるけど、とりあえず、変な奴だ。変な奴に憧れる変な女子がわたしの学年に多いせいで、こんな奴でもそれなりにモテる。みんな男を見る目がないよ。

 雄志の更に後ろの方から、「おっと」とか「あぶないあぶない」とか、明らかにブロックから落ちていながらそう呟いているアッちゃんの幼い声が聞こえる。ズルをしても、まだ小さいし、可愛いから許す。

「だったらさ、ユウシのあの魔法の呪文ってさ、異世界の力なの?」

「え、あれ?」意表を突かれたかのような雄志の反応だった。一瞬ブロックから落ちたような気配がしたけれど、今は追及しない。さっきの返答を聞きたいからだ。雄志は、そうだなぁ、と考えて続ける。「そうだなぁ……あれは俺たちには逆らえない力だから、たぶん……魔法だな」


 幼馴染。それがわたしと雄志との関係を表すのに一番手っ取り早くて、誤解のない表現だと思う。互いの家が向かい合わせで、親同士も昔からの付き合いらしく、未だに仲がいい。だからわたし達は赤ちゃんの頃からお互いの家でじゃれ合う仲だった。雄志の弟、通称アッちゃんは、わたし達が小学校へ入学する年に生まれた。その時からわたしは本当の弟のように接していたし、可愛がっていて、それはアッちゃんが五歳になった今でも変わらない。今ではアッちゃんはわたし達の後をヒナのようにどへこでも、どこまでだって付いてこようとする。

 けれど小学校高学年になったわたし達が五才児に見合った場所ばかりで遊ぶわけもなく、わたし達の遊びに付いてこられなくなったアッちゃんは、わたし達へ向けて最終兵器を放つのだ。その最終兵器は無差別な故に、無視ができない。広域まで響き渡る、悲鳴とも付かない鳴き声、改め、泣き声。それがアッちゃんの最終兵器だった。

「おにぃちゃんが~、ユキねぇが~」とわたし達が泣かせたかのように喚き散らすのだから、こちらは堪ったものではない。仕方なくアッちゃんをなだめに戻るが、ここから泣き止ますのが大変だった。アッちゃんは抗議する為に泣いているのではない、わたし達を困らすことが目的なのだ。詰まる所、自分を仲間外れにしたわたし達への復讐なのだから、(と言ってもわたしにそんな邪推な思いは微塵もないのだけれど)わたし達が急に優しく接した所で、最終兵器となったアッちゃんが機能を停止してくれるわけもなかった。

 ところがいつからか、雄志がアッちゃんの耳元で何かを囁くと、たちどころにアッちゃんは泣き止むようになった。わたしが、「何言ったの?」と尋ねると雄志は、「魔法の呪文」と口元を吊るして答えるだけだった。

 今日も、案の定アッちゃんは学校から帰宅したわたしと雄志の後を追っかけてきた。最近は友達のタカル君たちと秘密基地を造っていたのだけれど、そこは電線を伝わせる為の鉄塔が建っている小ぶりな山だった。わたしですら登るのに神経を擦り減らせる位なのだから、幼いアッちゃんが転ばず無傷で登頂するには無理があった。かといって、危ないから付いてくるな、と忠告すれば一瞬で”最終兵器アッちゃん”に変身し、すぐさま発動してしまうのだから連れて行くしかない。

 その結果わたしと雄志は、危なっかしく登るアッちゃんが無事に何事もなく登り切れますように、と祈りながら自らも登頂する羽目になった。

 わたしは先頭に立って邪魔な草を掻き分け、雄志はアッちゃんが万が一転がり落ちた時の為に、最後尾で、どこからか拾ってきた木の棒を振り回していた。

「アッちゃんさ、疲れない? やっぱり戻ろうか?」今にも泣き出しそうなアッちゃんに気が付いてわたしは慌てて近づいた。アッちゃんは斜面の草を掴むように蹲っていた。

「だいじょうぶ」首を振りながら意気地な皺を眉間に寄せて、アッっちゃんは答える。

「べそ掻くなよー、メンドくさいから」雄志が後ろから千切った紫色の花ビラを投げつけてきた。

「なかないもん!!」アッちゃんは掠れた声で強く首を振る。

 余計なこと言うなよバカ雄志、と内心で毒づく。それを聞いていたかのように、「コケんなよー」と雄志はまた花ビラを投げつけてきた。

「コケあいもん!!!」とアッちゃんが顔を上げて後ろを睨みつけようと、身体を起こしたその時、アッちゃんの掴んでいた草が根こそぎ抜けた。支えの無くなったアッちゃんは、雄志に吸い込まれるようにゴロンゴロン、と転げた。体育で「優」を貰えるくらい見事な、後ろ向きでんぐり返りだった。

 わたしは瞬間的に手を差し出していた。そのやり場のない手に気が付くまで、一瞬のこの出来事に、放心していた。心臓だけが踊っていた。雄志は笑っていた。アッちゃんは何が起こったのかを数秒考えた後、大きく息を吸い込み、最終兵器アッちゃんへと、変貌した。

「だーから言わんこっちゃない」雄志はアッちゃんの服に着いた泥や草を払った。

 聴覚が麻痺することを覚悟で「大丈夫?」とわたしは斜面を滑り降りる。「大丈夫、アッちゃん?」アッちゃんの泣きっ面を見つめながらもう一度、言う。

「大丈夫、大丈夫。こいつ、受け身だけは一丁前だから。俺が布団の上で投げ飛ばしてるからさ、毎晩」雄志は撫でていたアッちゃんの頭をぽんぽん、と叩く。

 まーた余計なことを、と顔を顰めたのと同時に、最終兵器アッちゃんが出力を最大にした。

「もう、なんでもっと心配してあげないの?」しゃがんで、わたしもアッちゃんの頭を撫でながら「あーごめんねアッちゃん、ほら、怪我ないし、血も出てないよ、アッちゃんは強いなぁー」と宥めにかかる。

しかし、雄志が火に油を注いだこともあり、もはや大気を吹き飛ばし兼ねない人間振動機と化したアッちゃんを、わたしは止められない。ジャイアンはこれよりも酷いのだろうか? と逃避したいわたしが余計なことを考える。

「しゃーない、あれの出番だな」雄志はアッちゃんの耳元に顔を寄せる。

 雄志のこめかみが動く。

 その動きと連動するように、最終兵器アッちゃんがただの五才児へ戻っていく。

 声が、涙が、嘘のように弾いていき、一瞬目と口を見開き、その後、表情に明るさが灯る。

 一体何がそこまで楽しいのか、と尋ねたくなるほど、アッちゃんは活き活きと立ち上がり、わたしを恥ずかしそうに見上げると、「ユキねぇ、いこ」と何事もなかったかのように登頂を促した。

 雄志のこの”魔法の呪文”は度々最終兵器アッちゃんへ使われていたのだが、効果は覿面だった。少なくともわたしが見ているときは百発百中だった。

 今日は今までにない位のアッちゃんの泣きっぷりだったのだが、それでも魔法の呪文は効力を誇示した。不思議で仕方がない。何と唱えているのだろうか。今までも何度か雄志に聞いてみたが、教えてくれなかった。呪文の言葉を他人に教えると、魔力が消えるのだそうだ。

 昔はそれを素直に信じていたわたしだが、サンタの正体を知った今年のわたしは、そんな理由で納得できるほど甘くはない。アッちゃんに尋ねてみても、アッちゃんは頑なに口を閉ざして、悪戯に頬っぺを膨らますだけだった。だから、今日こそは、とわたしは決意を抱いていた。

 帰り道、三人で「道路に落ちたら死ぬごっこ」をしていた時に、わたしは唐突に雄志へ投げ掛けてみた。魔法と超能力の違いって何だろうね、と。もちろんそれは、魔法の呪文について聞き出す為の布石だ。

 雄志は言葉を濁すばかりで、いつものように、話を有耶無耶にしようとする。けれど今日は聞き出せそうな気がした。トドメの言葉をわたしは放つ。

「ユウシが去年までオネショしてたこと、ユウミちゃんに言っちゃおっかなぁー」

 バカヤロー、と、やめてください、を足して半分にしたような雄志の必死な叫びが聞こえた。

「だったら教えなよ」わたしはブロックからひょい、と飛び降りて、雄志の前に立ちはだかり、見上げる。

 う~ん、とこの期に及んで口ごもる雄志。「教えてもいけどさ、怒らない?」

「なんでわたしが怒るのさ」意味が解らない。分数の足し算よりも解らない。呪文とわたしとが、どう関係があるのだろうか。

「いいから教えてよ」わたしは詰め寄る。

 しばらく夕焼けを眺めていた雄志は、まぁいっか、と頷き、あれはな、と始めた。「あれはな、お前がその時履いてるパンツの色や柄を教えてたんだよ。大人しく後ろから付いてきたら見えるかもよ、ってな。んで今日は流石にパンツの色や柄ぐらいじゃ泣き止みそうになかったからさ、今日はユキ、パンツ履いてないんだぞ、って言っておいた」雄志は頭を掻いて、さも、どうでもいいじゃねーか、と言いたげに、淡々と話し終えた。

 直後。

 夕日と同じ位大きなクラッカーが破裂したかのような音が、街中に響き渡った。

 街は夕日に染められて、赤かった。けれど、雄志の頬っぺたは、ビルや他のどの街並みよりも赤く染まっていた。

 用事があるから、と雄志とアッちゃんを先に帰らせた。二人と別れてからまた鉄塔山へと踵を返す。

道端のポストを眺めて「雄志の頬っぺた、あれと同じくらいかな」、とわたしがそんなことを考え出した頃には既に、空は紺色に変わっていて、日中の暑さはすっかり引っ込み、涼しくなっていた。

 心地よい風が流れる。

 明日は雄志と遊ぶのは中止だ。お母さんに頼んで、新しいお洋服を買いに行こう。ついでに新しい……、とここまで考えて、顔が綻んでいることに気が付き、唇を噛んでわたしは抑えた。

 歩みを止めずに空を仰ぎ見る。

「あーあ、くっだらない。何が魔法の呪文だよぉー」

 わたしは堪えかねて吹き出す。

 呼吸を整える。

 一番星に向かって、唱える。

 音にはならない言葉。

 魔法の呪文。

 星が流れ、空から消える。

「よう、どうだった?」足元の影が猫の形に浮き上がる。

「知ってたんでしょ? ユウシがただのスケベだってこと。あいつは魔術師かもしれない、なんてキィが言い出すから真に受けちゃったじゃない」すっかり黒猫と化した影は、わたしの肩に飛び乗る。影だから、とても軽い。

「仲間が欲しかったんだろ? 普通に考えたら解るだろ、あんな餓鬼が魔術師なわけないだろうが」耳元に近いせいで、キィの声がくすぐったかった。

「うん、そうかも。少し寂しかったのかな……わたし」キィを困らそうとして口にしたこの言葉が、予想外にわたし自身を動揺させた。目頭が熱くなった。

「……まぁ、なんだ俺がいる。そうだ、今日はな、バトルの修行じゃなくてだな、お前が知りたがっていた空の飛び方、あれ、教えてやるよ」

「え、本当? だってそれはまだ危険だって言ってたよね?」高ぶる鼓動で滲んでいた涙も瞬時に気化した。我ながら現金だな、と苦笑するも、「いいの? 本当にいいの?」と舞い上がる。そのまま空を飛べそうな程に。しかしやはりこのままで飛べるわけもなく、空の飛び方をキィから習うことが重要だった。とにかく、重要だった。なにせ、空を飛べるのだから。いくらか危険でも、これは習う価値が十分にあった。やる気が起きるというものだ。最近はめっきりとふて寝気味だった「やる気」だ。

「いや、危険なのは空を飛ぶ為に召喚しなきゃいけない翼竜なんだ。でも、ま、今のユキなら扱えるだろう、多分。それに、サンタの時みたく空が飛べないと、何かと不利だからな」

 そうだった。去年の暮。紅い魔女と闘った時のあの不憫さといったら。思い出したくもない。あれ以来、クリスマスが嫌いになった位だ。

「まったくだよね、あんなの相手じゃいくら命があったって足りないよ」

「怒りなさんって。ほら、あれだよ、お前が良く言う、えっとぉ、タンキは?」

「ソンキ」素っ気ない声しか出ない。

「それだそれ、短気は損気。本質を捉えている文句だよなぁ」

「キィの為にあるような言葉だよ」

「はぁー? 俺のどこがタンキだってんだよ?」

 自分たちの声量が大きくなっていたことに気が付き、抑えるように、とキィに言い聞かせる。更に、これくらいで頭に血が上るなんて、まるで子どもじゃないか、と自分も戒める。ひと気はないと言っても、子どもの声がこんな時間にこんな暗い山から聞こえてきたら、それだけで大騒ぎになりかねない。先日の誘拐事件のせいだ。魔術も、人の行動や記憶が操れないんじゃ、ただの兵器だ。

「嘘だよ、ウソ。キィは仏よりも寛容だよ」とキィを立てる。

「そりゃあ死人になに言っても無駄だからな」

 そういう意味の仏じゃないよ、と反論はせずに、「それでさ、ヨクリュウって竜なの? ドラゴン?」と話題を元に戻す。このままじゃ空を飛べなくなるどころか、今夜も修行することになりそうだった。危ない、危ない。

「そうだなぁ……ドラゴンとはまた違うが、小型のって感じだな。ドラゴンが恐竜なら、翼竜はトカゲだ」落ち着いた声だ。キィは熱しやすくて冷めやすい。ホント、扱いやすい性格だ。その分面倒でもあるけど。

「ふうん。じゃ可愛いんだ」

「お前、トカゲが可愛いのか?」肩から飛び降りるとキィは背伸びをした。本物の猫みたいだ。でもそう言うとキィはへそを曲げてしまうから、口には出さない。

「トカゲっていうかカナヘビは可愛いと思うよ。それにさ、小さいってことでしょ、翼竜?」

「小さいな、ユキの耳くらいの大きさかな」

「そんなに? それで飛べるの?」

「乗って飛ぶわけじゃないしな、大きさは問題じゃない。ユキの魔力で翼竜を風に換えるんだよ。まぁなんにせよ、まずは召喚できるかどうかだ。それに小さいとはいえ風を司る魔物だからな、気性は荒いぞ。気を抜くなよ」

「わかってるよぉ」しゃがんで、キィを撫でる。ごろごろと喉を鳴らす。やっぱり、猫だ。でも今日は口に出さない。だって、空を飛べるんだもの。いつもの退屈できつい修行じゃない。何としてでも、教えてもらわないと。

「じゃあ、まずは方陣を開かなきゃ、でしょ?」束ねていた髪を解く。「いくよ?」

「ああ。風だからな、間違えんなよ」

 うん、と頷き、しゃがんだままで両手を地面に翳す。

 青白い線が地面を伝う。浮き出る様に。

 両手を空へ掲げる。

 応じるように持ち上がる。描かれた方陣が。

 青白い幾何学模様が真上にくる。

 言葉を唱える。

 音にはならない風の呪文。

 方陣が下りてくる。抽象的に崩れながら。

 わたしを覆うように。

 キィが足元に寄り添う。

 今宵も扉は、開かれる。

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