【マントルは巡るよ】

第33話

【マントルは巡るよ】


 季節は夏。わたしはユキ。名前と相反するこの季節がわたしは好きだった。

 名前の由来と、その人物との性格には明らかな矛盾が起こる、と私は確信している。

 例えば、同じクラスの樹君。読み方はタツキで、名前の由来は大木のように立派で根のしっかりとした人間になりますように、だそうだ。しかし、その本人はと言えば、ひょろっひょろの優柔不断な男の子。あだ名はもやし君。可哀想に。それから、近所の高校生の勇さん。名前の由来はそのまんま、勇ましい男であれ。けれど勇さん本人は、子猫にも触れないほどの臆病者だ。この間なんか、捕まえた小さな蛇(多分ヤマカガシ)を見せたら女の子でも上げないような黄色い悲鳴を上げて大げさに尻餅をついていたの。ホント信じられなかったなぁ、あれは。普段のわたしなら笑っていたかもしれないけど、さすがに呆れてしまった。

 どうしてわたしがこんな他人の名前の由来を知っているかと言えば、わたしの両親が地区内会長だから。町内会長さんたちが集まる集会の会長だ。うちの親はどうしてだか昔から役職に付きたがるみたい。悪く言えば出しゃばり、良く言えば働き屋さん。

 幼馴染の雄志のお父さんとわたしの両親は学生時代からの友人だそうで。だからか、昔のお父さんたちの話を良く聞かされた。あいつはひどい奴だったぞとか、世間付き合いの好きな学者なんて学者じゃないとか、おじさんは意気揚々と話す。口は悪いけれどおじさんは、とってもお父さんたちのことを好きなんだ、と幼心に感じていた。

 昼間。お父さんたちの町内会長集会に付いて行った。でも退屈ですぐに会場を出てきてしまった。黙って出てきてしまったけれど、気をつけて帰りなさいね、と樹君のお母さんが声をかけてくれたから、お父さんにもそのうち知れるだろう。

 何か楽しいことがないかなぁ、と捜し歩いた揚句、やはり暇を拭い去ることはできずに、今日も雄志の家に遊び行くか、とやっと妥協した頃には、神社のある丘からわたしは町を見下ろしていた。日中あれだけ放っていた熱を吸収しながら、太陽が、夕日へ熟そうとしていた。

「プレートテクトニクスって知っているか?」

 突然声を掛けられた。背中へ。身体が小さく跳ねる。

 プレート? え……なに? わたしは脊髄反射のごとく振り返る。

 そこには誰もいなかった。いや、いるにはいるのだが、え? こいつ?

「あんなのは出鱈目だ」また声がした。今度は声の出所を視認できた。やはりこいつだ。

 こんな暑い日に全身真っ黒な出立ち。怪し過ぎる。ブラックジャックも顔負けだよ。見ているだけで汗が滲み出てきそうだ、せっかく引いたのに、と驚きと同時にそんなどうでもいいことが脳裏に浮かんだ。思考が混乱している、とすぐに自己分析する。

「何のよなし?」何の用?と、何の話し?が混ざってしまった。動揺を自覚したところで治まるわけじゃないのか、とまたも余計な考察をしている自分に呆れる。

「重力の存在、エントロピィ増大の法則、質量・エネルギィ保存の法則。なぜこうも地球が人類にとって都合のいい環境になっているか知っているか?」目の前のこいつはそう続けた。

 わたしの質問は無視か、と苛立ちが芽生える前に、あああれじゃ何を言っているか伝わるわけがないな、と先ほど自分の発した言葉を恥じる。

「だってそれは宇宙の法則でしょ?」曲がりなりにもわたしは学者の娘。小学生といえども、こういった話には耐性がある。

「馬鹿言っちゃなんねーよ」こいつ、わたしを笑いやがった。「これらが宇宙の法則だってか。太陽系の外に行ってみろよ、物質なんか無からヒョイと現れたり、消滅したり、エネルギィなんか無限に発生、連鎖、同調してんだぜ?」

 行ったことあんのかよ、と反論する代わりに、もっと根本的な反論をすることにした。「じゃあなんで地球はこうも秩序よく回っているのさ。色んな、法則とされている決まった流れがあるからでしょ」物理法則は見えない力の流れなんだ、と前にお父さんから教わった。それをそのまま言ってやった。

「大陸で方陣を描いたんだ」

「はい?」

「物が捩じれ、崩壊する時に発生するエネルギィについてはここも外も変わりはない。原子炉とかはそれを利用しているだろ? 方陣も同じだ。大陸で方陣を描き、大陸が徐々に移動することで、方陣が引き起こしている力を揺さぶり、捩じれさせているんだ。崩壊しない程度にな。その時に生まれる膨大なエネルギィをこの地球へ枷として嵌めこんでいる。大陸が移動しているから、マントルが対流し、地球が自転し、磁場が生まれ、物質は秩序良く循環し、途中で消滅したり、発生したりしない。引力は質量に比例して増大し、重力加速度は一定に増加していく。エネルギィも同様だ」

「待って待って。それはおかしいよ」というよりも砂上の楼閣だよ。「仮定、多すぎじゃない?そもそもさ、その方陣が引き起こす力ってなんなの?」

「そもそも、と言うのなら、この世界は自由だ。宇宙の外も内も、その中間も、全ての世界は自由だ。本当の意味での自由だ。無秩序も秩序も相反するものが同一の座標に存在している。何もない空間から炎や水、風を引き起こすなんてのは、宇宙の方じゃ当たり前だ。むしろ、ダークマターとかそういった厄介なものが介入しないようにと、この地球という物理世界のほうが、制限を受けている異質な世界なんだからな」

 宇宙の外? 証明できないものは思考するな、じゃなかったけか。

 世界は自由? 話が抽象的すぎる。

 ダークマター? 確か、今解っている物質は宇宙を構成している物質の四%程度らしい。この間お父さんから教えられた。それ以外の未知の物質をダークマターと呼ぶみたい。なんだか漫画みたいな設定だなぁ、と思ったこと以外、後はよく覚えていない。反論するには乏し過ぎる自分の知識が恨めしい。

 続けてこいつは「形を矯正されてんだよ、ここの世界は」と付け足すように言った。

 ここまでの時間を要して、わたしはやっと冷静になってきた。この話を信じるかどうか、を今は置いといて、こいつの存在自体が怪し過ぎるのだから、そこから思考しなくては。だが、そうは問屋が卸さない。認めるしかないのだ。こいつの存在は。論より証拠、百聞は一見に如かずだ。国語は苦手だがこれくらいは知っている、わたしは無知じゃない、と密かに自分を励ます。

 やはり会話をしながら様子を見るしかない。というよりこいつの目的はなんなのだろうか?と漸く当初の疑問に回帰した。

「わたしに何か用があるの?ないのならわたし……そろそろ帰りたいです」

「お前、この町が好きか?」

「町が好きっていうか、みんなのことは好き」

「だったら、俺を手伝え」

「だったら、って何?まるで手伝わなかったらみんながどうにかなっちゃうみたいな言い方じゃない」

「そうだ。みんな消えるぞ」

「え?」うそ。

「とりあえず今は付いてこい、見せてやるよ。手伝うか、断るかを決めるのは、それからでも遅くはない。だろ?」

「何を? てかどこに?」うそ、本当に?

「本当の世界ってやつだ。いいから俺を信じて付いてこい」

 信じろ、って言われてもなぁ……。

 真上の空は既に紺色になっていて、さっきまで見下ろしていた町並みの向こう側に、熟しすぎて萎びた太陽が今にも消えようとしていた。

 口に出すことで認めることになる、そう思って言うまいとしていた言葉を、わたしは無意識に口走っていた。

「だってあなた……猫でしょ?」

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