【ゆき&ゆうしは小学三年生】

第27話

【ゆき&ゆうしは小学三年生】


「選択はいつも突然。だからつくねん、それは不健全」


 夏休みも残り三日。

 今日は昼飯を、幼馴染であるユウシの家で頂いて、その後ウチで、未だ残っている宿題を一緒に片づけていた。

 お腹に入った昼食のオムライスと、デザートの生チョコレートが程良く消化され始めたころ。机を挟んであたしの対面に座っていたユウシが、「ああ、もうだめだー」と言って、仰向けに倒れた。「あぁ~すね毛かいー。マジで痒すぎぬー」これじゃ集中できねーよ、と喚き始める。

「過ぎぬって、結局痒くないんでしょ? だったら黙って宿題しなよ」

 てかすね毛ってなんだよ!

 毛に神経なんて通ってないし!

 ユウシは腹を出したまま、仰向けで床に転がり、ボリボリと背中を掻いていた。

「つうか痒いのって背中じゃん!」思わずあたしは突っ込んでしまう。

 ひひ、と嬉しそうにユウシは笑って「嘘うそ。本当に痒いのはすね毛だからさ」と言って脛をさする。けれど、そこにはすね毛どころか産毛一本生えていなかった。そりゃそうだ、小学三年生にすね毛が生えていたら、それだけで飛び級できてしまう。いや、できないけど。

 あたしが中々突っ込まないのでユウシは、「あ、すね毛生えてね―じゃん!」と自分で口にした。

 情けないを通り越して哀れだ。

 ユウシはもう一度、大袈裟に言う。「生えてねーじゃん!」

 煩いことこの上ない。

「あのねぇ、レディの前で、すね毛スネゲ連呼しないでくれない?」

「お前だって言ってんじゃん」それも二回もさ、とユウシは唇を尖らせる。「つうか自分で自分のことレディなんて言ってさ、恥ずかしくねーのかよ?」

 不意な攻撃に思わずあたしは口籠る。「じ、自分で言わなきゃ、誰もレディなんて呼んでくれないじゃない!」いや、何を言っているのだ、あたしは? 言い訳するつもりが逆に自分の首を絞めてしまった。これは痛い!

 が、ユウシはなぜか申し訳なさそうに眉を顰め、「あぁ、そっか、そうだよなぁ」と納得しながら「うん、俺が悪かった。今度からはユキのこと、レディと呼ぶことにするわ」と全く嬉しくもなんともないことを公約した。

「いいよ、やめて。今まで通りユキでいいし」気恥しくも丁重にお断りする。

「遠慮すんなよレディだろ? これはさ、レディファーストって奴だ」悪戯な歯を覗かせて、ユウシは答えた。

「断固拒否する」

 ユウシは寝かしていた身体を起こして、「レディの癖にお固いなぁ」

「レディ言いたいだけちゃうんか己は? 起きてくんなや、一生寝てろ」あたしは座ったまま脚を伸ばして、ユウシを蹴り飛ばす。

 振り子のようにユウシは床へ、背中からひっくり返った。

 ユウシの後頭部は、緩やかな弧を描いて、落下していく。

 その落下地点には、床に置かれていた壺が。

「あ」ぶない、あたしは声を上げる。

 壺の割れる音が、鈍く響き渡った。

 部屋は静寂に、包まれた。


 ***

 あたしは今、猛烈に焦っていた。人生最大の二択を突き付けられている真っ最中なのだ。


 壺に頭をぶつけたユウシはその後、へらへらと「いってぇなぁもう」あーびっくりしたぁ、と左手で頭を押さえ、右手でズボンや服を整えながら、起き上った。それから確認するように両手で頭を掻いていた。

 ところが、あたしはそんな陽気なユウシの姿を見て、心臓が止まってしまいそうなほどに驚いた。頭を押さえていたユウシの左手は、粘着質な黒い液体で汚れていたのだ。

 その黒い液体はどう見ても、血だった。

「ちょっとユウシ! それ、血! 血!」大丈夫なの? とあたしは引き攣った声をかける。

 うーん? と左手を見たユウシは、固まった。それから暫く考える様に停止し、すぐに、「大丈夫だよ」と言いながら、がくん、と横に倒れてしまった。

 全然大丈夫じゃ無いじゃん! あたしはうろたえる。

「どうしよう、お父さんとお母さん、今いないし。えっとぉ……そうだ、救急車!」いや、ユウシのおばさんが先か、などと逡巡していると「なぁ、ユキ。俺、もう、駄目かもしれない……」ユウシが掠れた声を出した。

「あに言っでんのよ、頭切っただけでしょ! すぐ助け呼んでくるから待ってて」揺らぎだした視界を両手で拭ってクリアにし、あたしは立ち上がった。

「いや、もういいんだ。なぁ、ユキ……どうせダメなら、側に……いてくれよ」ユウシは赤子のように拙い口調で、途切れ途切れ言う。

「ばか!」なに言ってんのよ、と言葉が続かなかった。

 どうすれば良いのかを混線した思考で模索する。そのせいで余計、混乱してしまう。

 この場合、どちらが良いのだろうか?

 ユウシの最後になるかもしれない望みを叶えるのと。

 それを擲ってでも助けを呼びに行き、一縷の望みに託すのと。

 一体どちらがよりユウシの為になるのだろうか……。

 どちらが…………。

 ぐったりと横たわったユウシを濁った視界で見詰めつつあたしは、決意の唾液を呑み込んだ。

 あたしは走った。

 部屋を出て、靴を跳び越え、玄関を飛び出し、裸足のまま道路を横断して、向かいのユウシの家へ、逃げ込むように駆け込んだ。

「おばさん! ユウシが、ユウシが死んじゃうよぉ」あたしはユウシの家の扉を引いて、大声で叫んだ。

「あらあらユキちゃん、今日は一段と元気がいいわねぇ。もしかして、デザートのお代りかな?」おばさんは明るい顔を出す。

「ユウシが、ユウシが」続けるべき言葉が見つからず、そのままあたしは俯いて、無様な嗚咽を漏らす。

 あたしの様子を見て、只ならぬ雰囲気を悟ったおばさんは、サンダルを履いて、あたしのウチへと入っていった。あたしも後ろから追うように続く。

 おばさんは迷わず、真っ直ぐとあたしの部屋へ向かった。

 扉を開いてのおばさんの第一声は、「ユキちゃん泣かした男はお前か!」だった。

 そして部屋に響いた第二声目は、おばさんの怒号ではなく、悲鳴でもなく、ユウシの「聞いてくれよ母ちゃん、ユキったら薄情なんだぜ」という間抜けた声だった。

 あたしは驚嘆の声を上げる。「なんで? あれ、さっきは死にそうだったじゃん!」どうしちゃったの、と嬉しさとも気が抜けるとも付かない口調で投げ掛ける。

「俺が名演技で瀕死のヒロインやったのに、こいつ、俺のこと置いて逃げ出したんだぜ母ちゃん。信じられるかよ」

 男のくせしてヒロイン気取りか、とは流石に突っ込めなかった。未だに現状を把握できない。

「どうでもいいけどあんた、また服汚したの!?」おばさんが指さして声を張り上げる。

 あたしはその指先を辿って視線をユウシへ向けると、ユウシの服は黒く汚れていた。特に、ズボンが。

「いやぁ、その……倒れたらさ、ポケットに入れてた生チョコ、はみ出しちゃって」ユウシは言い訳がましく弁解する。

「それって、ユキちゃんに食べさせるようにって、お母さんが持たせた奴じゃないの? どうしてすぐに渡さなかったの!」

 えっとそのぉ、と口籠るユウシ。

「どうせ、後でこっそり、自分で食べようとしてたんでしょ!」おばさんが捲し立てる。

 図星とばかりにユウシは項垂れた。

 一人取り残されたみたいに蚊帳の外のあたし。が、状況が大分読めてきた。と同時に、なんとも言えない怒りが沸々と湧き出してくる。

「ユウシ、あたしに何か言っておくことがあるんじゃない?」

「そんなんねぇよ。あっいや、あった」言うとユウシはビシッと人差し指をあたしへ向けて、「レディはとっても薄情だ!」

 目尻の皮が小刻みに痙攣したのが自分でもわかった。滲んでいた滴は消え失せていた。

 あたしは落ち着き払って言い放つ。

「あんたの壊したその壺、あたしの自由研究なんだけど」

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