【残り二か月の死闘】

第23話

【残り二か月の死闘】


「悪魔は神に遣われて、僕は道化で踊らされ。絶望」


 僕は死にたかった。

 けれど、死ねなかった。

 意思が弱かったなどというそんな身勝手な理由で死ねないのではない。死ぬことが許されない現状が僕の自由意思を束縛し、僕を死なせてくれないのだ。

 僕が死ねば人類はまず滅ぶだろう。いや、そもそも僕が死なずとも人類の九十九%以上が死滅する。僕が生きていることで変わることがあるとすればそれは、僕の村が、僕の大切な人たちが生き残る、ということ。

 そして残り二カ月間。僕が生きている限り、僕に近寄る者は抵抗の余地が全くないままに死んでしまう、ということだ。否、この表現は不適切だ。死んでしまうのではない、殺されてしまうのだ。

 誰によって?

 答えは神によってだ。この世界は既に悪魔たちの侵略によって人類の大半が殲滅され、虐殺された。しかしその一方で僕の周囲では、神によっての人殺しが引き起こっている。

 なぜか?

 その答えは、神にとって僕が邪魔者だったからだ。けれど神には直接僕を殺すことのできない理由があった。というよりも、悪魔にばれないように僕を殺す必要があった、と言うべきだろう。だから神は、自然な死を演出しようと僕の周囲を操っている。それは例えば、事故死や人為的な病死、或いは「自殺」などを僕が行うように。もしかしたら、僕以外の者にならある程度の直接的な死を与えても悪魔には感知されない、といった背景があるのかもしれない。

 兎にも角にも僕の現状は孤独であり、予断の許されない状況であり、劣悪な環境だった。

 死にたくても死ねない。そんな「死」に片想いを寄せている僕が、迫りくる幾多の危機を乗り越えるには極限の精神力と、忍耐力、なによりも、村に生き残る僕にとって大切な、とても大切なみんなへの想いがあったからこそ。けれど僕は、そのうちの一人を、大切な人を見殺しにしてしまった。いや、僕が殺したようなものだ。

 僕は誰にも助けを求めてはならない。誰の手を借りてもいけない。残り二カ月の月日が過ぎ去るまで僕は、独りで神の意思に抗わなければならなかった。


「よう。あんた、一人かい?」

 不意に声を掛けられた。まったく気配がなかった。それだけで声の主が僕にとっては十分に要注意人物だった。

 僕は身構えたままその声の主を観察する。若い男の様だった。幾何学的な刺繍を施された布で顔が隠れていてよく見えないが、そこから覗く鋭い視線からはやはり、只者ではないという印象を抱かされた。

「よく生き残っていたな。俺たちはこの裏の山にいたんだよ。そっちももう駄目なのかい?」

「ああ……駄目だな」そう答えることしかできなかった。僕の村は無事だ。むしろ、この世界で唯一悪魔達からの安全が保障されている村だ。仮に目の前の彼が賊などでなければ、案内してあげたい所だ。しかし、彼はどうみても危なげな雰囲気だった。

「そうか」言うと彼はあからさまに落胆した。「まぁ、あんたが無事で何よりだよ。悲しむよりもまずは、この出会いを喜ぼう」彼は柔和に微笑んだ。先ほどまでの剣呑な雰囲気が嘘のようにあどけなかった。「にしてもお前さん、随分と酷い顔をしているぜ。俺ってば今にも襲いかかられるかと思って警戒しちまったよ」

 そうか。僕の形相が余りに危機迫っていたせいで、彼を怖がらせてしまっていたのか。

「随分と満身創痍だな。何があったかは敢えて聞かねぇが、まぁ、これで顔でも洗いな」彼は如何にも使い古されていそうなペットボトルを投げて寄こすと、「んしょっと」と可愛らしい掛け声を出して木の根に腰を落とした。

「すまない」水を、飲むこと以外で使用するなんてこの一カ月、考えたことも無かった。急に涙が溢れそうになり、頂いた水を被って誤魔化す。

「あんたさ、これからどうすんの? どっか行く当てはあるのか?」

「いや、ない。これだけ親切を頂いておいて難なのだが、僕とはすぐに別れた方がいい。一緒にいては危険だ」

 彼は目を丸くした。それはそうだろう。今では滅多にお目にかかれない生き残った人間に逢ったのに、言われた言葉が「近寄るな」なのだから。

 けれど彼は可笑しそうに、そして照れくさそうに笑って「凄いなお兄さん」言って彼は顔を覆っていた布を取った。「どこで気が付いたんだ? 俺が男じゃないってさ」

 僕は口に含んだばかりの水を噴き出した。今が昼なら虹が浮かんだであろう勢いで。

「お、おんなの子?!」

「子は余計だよ」頬を膨らませて、抗議を示す彼。いや、彼女か。

「あれ、ちょっとまって、なんでいきなり暴露するのさ」僕は混乱しつつ訊ねる。

「何言ってんのさ。『一緒にいては危険だ』なんて今にも襲いかかりそうな台詞吐いといて。理性を失ったら獣だぜ? お兄さん」彼女は髪を弄って整えながら軽妙に話す。男の前で怯えているか弱い女子、といった雰囲気ではない。微塵の焦りも見受けられなかった。むしろ楽しんでいるようだ。

「いやぁ、久しぶりに会った人間がこんな面白い男で良かったよ。初見は一体どんなヤバイ人間だよ、とか思ったけどさ、いやはやなんともね、人間見掛けによらないよね」

「いやいやちょっとまって、僕が言ったのはそういう意味じゃないんだ」僕は早口で訂正する。

「なになに、そんな照れなくたってさ。さっきの台詞、中々に男らしかったよ」

「違うんだよ、僕の近くにいると、君は殺されるんだ。いや、僕と仲良くなると、だ」

「仲良く? 面白いことを言うねぇ」はは、と彼女は少年のように笑うと「お兄さんほど遠回しで積極的な男はそういないよ」と、いつから持っていたのか、ナイフをこれ見よがしに僕へ向けた。「大丈夫、俺はこう見えて純粋なんだからさ」

 何がどう純粋なのかは理解し兼ねるが、僕は早く彼女の誤解を解きたかった。むしろ何も言わず僕の方が彼女から遠のけばいいのでは、と遅ればせながら考えが纏まった。

「ありがとう、とりあえず僕は君とは一緒にいられないんだ」

 それから僕は彼女へ僕の村のある山の座標と道順を口早に教えた。「わかったかい?」

「ああ。でもさ、お兄さんの村は駄目だったんじゃ……」彼女は言いにくそうに僕へ確認する。

「いや、ある理由で僕の村は安全なんだ。とりあえず、リーダの紹介で来た、と言えば歓迎してくれるはずだよ。その時は今みたいに女の子らしく笑って愛想よくするんだよ、じゃないと獣かなにかと間違われて狩られてしまいそうだ」

「はぁ、ふざけんなよ? 私の可愛さを解らねぇなんてお兄さんも大したことねぇな」彼女は怒っているのか照れているのか、そのどちらとも付かない口調だった。初めて彼女は自分のことを「私」と言った。これが彼女の本当なのだろう。

「解っているさ。村には若い男の子達もいるけどさ、お手柔らかに頼むよ」

「だから私は純粋なんだって」

「そうだな」僕は彼女に背を向けて一時の安らぎに別れを告げた。

「やよい、俺の名前はヤヨイだから! 忘れんなよ」姿が見えなくなってから、山びこの様に聞こえてきた。その声は紛れもなく女の子の声だった。


 二日後。

 僕のいる林に悪魔達がやって来ていた。彼らと逢うのは契約を交わした時以来。悪魔が近くにいる以上、今は神からの干渉は僕へ降りかからないだろう。

 一時の安息。

 僕を空気のように避けながら悪魔たちは林を抜けていく。その中の一匹に引っ掛かっている布を目にし、僕は凍りついた。

 紛れもなく彼女の、ヤヨイの物だった。

 それは赤く染まり果て、瘡蓋のように靡いていた。

 水が頬を伝い、僕の凍りは解け散った。

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