【最終エグザミネーション】

第19話

【最終エグザミネーション】


 研修期間は三年間。それだけが僕達の知っている全てだった。

 何に対しての、どんな研修なのか。それすら僕らは知らなかった。

 迎えのバスに僕が乗り込んだ時のことだ。バスの座席は既にほぼ全て埋まっていた。男女比は半々といったところ。僕は座る席を選ぶ余地もなく、空いている席に腰を下ろした。

 バスの中は静かだった。話声も音楽も何もなかった。エンジンとタイヤの回る音が聞こえているだけ。

 僕はポケットからイヤホンを引っ張り出して、耳に捻じ込んだ。旅に音楽は必需品だ。曲を再生する。小刻みなビートが心地いい曲だった。

 ふと視線を感じて横を見ると、長髪の女の子が僕を睨んでいた。殺気とは言わないまでも、剣呑な目付きだった。嫌悪を滲ませているどころではない。目というのは、涙以外を発しないものだと思っていた僕は、認識を改めた。彼女の目からはハッキリと、「汚らわしい」という辛辣な感想と「不愉快」の三文字が発せられていた。

 「どうしたの?」僕は思わず彼女に声をかけてしまった。僕が何かしましたか? そう訊ねたのだ。イヤホンは方耳だけを外した。

 「口を開かないでくれない。今ここの空間は閉鎖されているの、換気ができないのよ?」彼女は吐き捨てるように言うと、椅子に深く腰掛け直し、背もたれに付いていた遮光カバーを頭に下ろした。彼女の顔は見えなくなった。

 とても透き通った声だった。そして、とても凛々しい口調。この世の真理を説いているような口振りだった。そのせいで、彼女の言葉が僕にとってとても酷いことだったと理解したのは、バスが車体ごとフェリーに乗り込み、用意されていた個室の窓から僕が海を眺めている時だった。頭にくるというよりは、素直に僕は落ち込んだ。彼女の容姿がとても可愛らしかったことが、少なからず影響していることは確かだ。我ながら酷く下賤な分析なのだけれど。


 フェリーの着岸した島には、ドーム状の巨大な建物が山のように存在していた。街一つがすっぽり入ってしまいそうな程に巨大だった。そして実際、ドーム内部には街があった。僕らの住んでいる仙台駅近辺の街を、そのままコピーしたような街並みが、そこにはあった。

 ドーム内での生活は基本的に普段通りだった。僕の住んでいたマンションも同じようにコピーされていて、僕はそこから研修所へと毎日通った。他の子たちも僕と同様に、以前の住居がドーム内にあったようだけれど、研修所から遠いという理由から、僕と同じマンションに住む子達も多かった。例の彼女もここから通っていた。研修所はお金持ちの学校というような場所だった。大学という場所もこういう所なのかもしれないな、と僕は想像を働かせた。その想像内で、僕が誰かと会話をすれば妄想になるのだけれど、今は想像に止めた。

 研修内容は今まで通りの学習の継続に加えて、実践演習だった。これは僕の勝手な憶測なのだけれど、街を舞台にした対武装集団の戦闘訓練のように思えた。

 その戦闘訓練は二人一組で行われた。その組み合わせは向こう三年間ずっと変わることはないようで、とどのつまりパートナだった。

 僕たちは無味乾燥な子どもだった。案の定、他の連中はすぐ横にいる相手と組んだ。慣れ合いは面倒だからだし、そもそも僕らは他人に無関心だ。組む相手に頓着は無い。

 僕は受動的に誘われるのを待った。余り者には福がある、そんな言葉を反芻しながら。次々に組み上がるコンビを尻目に、僕は待った。

 あれ、このままでは本当に余ってしまうのではないか、と焦りを抱き始めた頃、わざわざ離れた場所から歩んで僕に近寄ってくる人物がいた。

「私と組みなさい」言うと彼女は僕の胸倉を掴んだ。言っていることは好意的なのに、やっていることが攻撃的なのはなぜなのだろう。

「どうして僕なの?」君は僕のことが嫌いなんじゃないの? と僕は訝しがった。

「それを私に言わせる気?」

「いや、えっとぉ、組んでくれるならいいんだ。ありがとう」僕は軽く頭を下げてから「よろしくね」と右手を差し出した。

「汚い手」彼女は目を細め、心底感情を込めて言った。

 僕は寂しく宙を握った。

 けれど受動的な僕はやはり、能動的に位置する「拒否」をすることもなく、彼女とコンビを組むことにした。

 僕は彼女のことを「ネイ」と呼んだ。彼女の本名から付けた愛称ではない。彼女は「気安く私の名前を口にするな。むしろ口を開くな」と、頑なに僕が名前で呼ぶことを忌み嫌った。だから、彼女を呼ぶ時僕は、「あの」や「ねぇ」と呼びかけることしかできなかった。(その場合も殆どが無視されたのだが)

 これでは余りに味気ない。淋しいではないか。だから僕は彼女にばれない程度に、彼女に愛称を付けた。それが「ネイ」だった。

 研修期間が半年を超える頃になると、実践演習が多くなってきた。もっぱら戦闘の戦術コンビネーションが大方だったのだが、その中でもキャンプの様な実践もあった。けれどそれも、飽くまでサバイバル演習の一環だった。

 サバイバル演習の一つとして、自分たちで子牛を殺し、肉を剥ぎ取って食す、というものがあった。部位によって肉を仕分けし、身体を解体していくという、生体に関する知識が問われるものでもあった。案の定、他の子どもたちは造作も躊躇もなく、淡々とこなしていた。

 そんな中で、ネイは右手に大型のナイフを握ったまま、子牛の前に佇んでいた。子牛と同じ位にあどけなさの残る可愛らしいその顔には、困惑と動揺が浮んでいた。

「七十六番。開始の合図は既にしてある。早くやりなさい」ドーム内の至る所に設置されているスピーカから、大人の声が響いた。

「……せません」ネイの小さな呟きが聞こえた。

 彼女は泣いていた。

 僕は彼女の腕ごと大型のナイフを握ると、大きく振りかぶって、僕たちを見上げる子牛へ目掛けて振り下ろした。

 鮮血が舞った。

 子牛は阿鼻叫喚した末に、静かになった。

 僕はネイから手をゆっくりと離した。ネイは終ぞ僕の手を振り解こうとはしなかった。

 崩れ、血に沈んだ子牛を、黙って見下ろしていた。

 その後ネイは、何事もなかったかの様に淡々と解体作業を行った。

 僕の手助けに対するお咎めは特になかった。

 大人からも。そして彼女からも。


「今日がコンビの解消日だ」ドーム内の全てのスピーカが一斉に言った。

 研修期間の終わりが、一カ月後に迫っていた。

「相手を殺したら合格。それだけだ。戦術は問わない。どんな経緯を辿ろうと、相手を死に至らしめることができれば合格。質問はなしだ。五分後を開始とする。制限時間は本日の午前零時まで。その時までにコンビが解消されていなかった組は、共に不合格。以上だ」

 初めて僕たちはざわめいた。けれどみんなはすぐ状況に適応する。コンビは乖離し、パートナと距離を空ける様に街中へと散らばった。僕とネイだけを残して。

「覚えている?」駆けていくみんなの背を眺めながら、ネイは言った。

「なにを?」

「『どうして僕なの?』あなたが私にした質問よ」

 ああ、そういえば。「うん、覚えてるよ」

「私って、感情豊かなんだよね。いらない感情を捨て切れなかった欠陥品。だからこそ、今回は絶対に合格したかったの」

「今回?」

「嫌いな相手ならさ」ネイは僕を見遣って微笑んだ。「簡単に殺せるでしょ?」言って彼女は腕を振った。

 ネイの顔が赤黒く染まる。

「殺せないよ」

 言いたかった僕の言葉は、声にはならなかった。

 彼女の手にはずっと、小さなナイフが握られていた。

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