【コックピット】

第16話

【コックピット】


「どうしよう……これ」松野は床を忌々しく見詰めていた。床には血に塗れた女性が転がっている。

「処分するしかない」隣にいた木村は冷静に答えると、煙草を吸いながら続ける。「大丈夫、とは言い難いが、松野が最後まで協力してくれさえすれば、まぁ、なんとかなるよ」

「どうするんだ?」松野は期待を込めた口調で訊く。が、不安と恐怖で声が震えていた。人を殺したことよりも今は、木村の人間らしからぬ機械のような口調がもっと、怖ろしかった。

 けれど、そんな松野を安心させるように木村は微笑みながら、消せばいいんだ、と静かに口にする。「露見することのないくらい、跡かたもなく消せばいいんだ」

「そんなこと……」できるわけがない、と松野は思う。しかし自分には、これからどうすればいいのか全く考えられなかった。だから取り敢えず、木村の考えに従おうと決意した。


 *

「さぁ、今日は俺たちの奢りです。好きなだけ飲んで、好きなだけ注文して、気兼ねなく食べてってください」松野は歌うように言うと、乾杯の音頭をとった。

 合コンの会場となっていたのは、木村がコックを務めるレストランだった。オーナに頼み込んで、貸し切りにしてもらった。合コンと言うよりかは、パーティと表したほうが正鵠を射る表現であろうか。料理は全て木村が一人で請け負っていた。そして、女性たちの相手、すなわち合コンの司会は松野であった。


「ねぇねぇ、松野さん。今日はあの子、来てないの?」ユカが寄り掛る様にして訊いてきた。彼女は、ふわっとしたレースの付いた薄手のワンピースを着ている。

「あの子って、どの子?」松野はとぼけるように言う。

「あの子はあの子だよぅ。ほら、松野さんの横にいっつもあの子」

「ああ、サキのことか。うん、誘ったんだけどね、今日は来ないってさ。たぶん、今日の俺は進行役だし、木村が料理担当してるから、遊び相手がいないと踏んで、来なかったんだろうね」

「そっかぁ。お友だちになりたかったのに、残念」とユカは破顔して言った。全く残念そうに見えないが、そんなことを口に出して指摘するほど松野は幼稚ではない。その代わり、でもさ、とユカに対して言い返す。「でもさ、もったいないよね。ご飯とかタダなのに」

「松野さん、あのね」とユカはわかった様な口ぶりで、「女の子はね、ご飯よりも大切なことがあるんだよ」と呆れたように答えた。「それに、松野さんだって全然食べてないじゃないですか」

「ダイエット中なんだ。それに、低燃費だし」松野は苦笑しつつ冗句を言って、言葉を濁した。


「なぁ木村。肉、あとどのくらい残ってる?」松野はユカとの会話を終えてから、厨房へと向かった。そこからホールを眺めつつ、ひた向きに調理している木村へと問いかけた。

「そうだな……あと、二十人分だな」

「ホントにか? 間に合うかなぁ」

「何人呼んで、今日は何人来たんだ?」

「えっと」松野は思い浮かべるようにして数えながら、「男女とも三十五人ずつに声をかけて、それで、女は全員来て、んで、男は三十人くらいだな。仕事上、来られない男が多いみたいだ。不景気なのかね」

「それは関係ないだろうな」木村は淡々と言葉だけを返す。

「でもあれだ、女たちには男友達も連れてきていいって声かけてあるから、多分、あとから勝手に入ってきた奴も含めて、今は八十人はいるんじゃないか?」

「満員だな」包丁がまな板の上で躍っているような音を出している。木村の声には相も変わらず温度が感じられない。

「ああ。熱気がすごくて、暖房要らずだ」声に温度なんか元々ないんだ、と松野は自分に突っ込みつつネクタイを緩めた。

「ステーキなら多分、十人分で終わりだ」

「ホントか。それはすごい」

「切って焼くだけだ。簡単だから、私も助かる」

「わかった、ちょっと待ってろ。宣伝してくる」当店お勧めのメニューとしてな、と松野は厨房から出て行こうとする。その彼の背中に、「文句言ってる奴はいないか?」と木村は声をぶつけた。

 料理についてのことだな、と松野は察しが付き、聞き返すことなく、「みんなご満悦だ。美味い美味いって豚の様に唸ってるよ」とおどけて口にした。

「そうか。やはり美味いか」言うと木村は今日初めての笑みを浮かべた。その余りに穏やかな木村の微笑に、松野はぞっとしないものがあった。

「味見、すんなよ」ぎこちなく口元を吊るして、松野はやっとの思いで冗句を飛ばした。けれど、それが果たして本当に冗句として口にした言葉だったのかどうか、ホールに戻ってからは自分でも解らなくなっていた。


「本当にご馳走になっていいんですか?」タダでいいんですか? と帰り際、彼女たちは一様に口を揃えた。

「いいんですよ。ご満悦なされたのなら、それだけで俺たちは十分なんです」松野は社交辞令だと解っている彼女たちの言葉に、極めて紳士的な笑みを添えて、逆に礼を述べて応えた。

「うん、ホントに美味しかった。ご馳走様でした」女性たちは、来る時には一緒ではなかったパートナを引き連れ、颯爽とレストランを後にした。


「なぁ、本当に全部、捌き切れたのか?」松野はレストラン内の後片付けをしつつ、木村に訊ねた。

「さすがに、全部、とはいかないよ。ただ、まぁ、そうだな。ホルモン部位も出汁として使ったからカスはそのまま生ごみとして処分しても自然だし、残った肉はほとんどが使えない脂肪部位だから、まぁ、生ゴミとして捨てるも善し、厨房で炙って炭にしても善しだな。骨も、砕いてその辺に蒔いてしまえば済む話だ。ただ、剥ぎ取った皮と、頭部だけはどう仕様もない。脳みそを調理するには、味に自信が持てなかったしな」木村は言いつつ壁に寄り添い、煙草を吸いながら、食器を重ねて洗い場へと運ぶ松野を、じっと眺めていた。

「じゃあどうすれば」どうすれば処理しきれるのか、と松野は呟いた。

「そうだな」木村は深呼吸するように煙草の白い煙を吐いて、「この食材が人肉だって端から知っている人間になら、私は安心して調理してやれる。美味いかどうかは、個々人の味覚の問題、つまりは嗜好の問題だから、保障はできないが、まぁ、今までの経験上、きっとそいつは不味いとは思わないだろう」

「なに言ってんだ?」からかう様に松野は軽く笑い、「そんな奴いるかよ」と言い返そうとした。しかし松野はその言葉を口にできなかった。

「そんな奴」を松野はいま、思い描いてしまったのだ。

 そう、思い浮かべることができてしまった。

 ――思い至ってしまったのだ。

 同時に、全身を悪寒が駆け巡る。

 その寒気で、松野は硬直した。

 笑みが引き攣り、凍るように、身体が停止。

 緩やかな思考だけが、断続的に記憶を手繰り寄せ、遡り、繋げていった。

 木村は柔和に微笑んで、厨房へと踵を返していた。その足取りは酷く、満足そうであった。


 松野はゆっくりと思い出していた。

 ここで開かれた合コンが、今日だけではなかったことを。

 その都度、前回は来ていた男たちが、一人、二人、と次第に現れなくなっていたことを。

 俺が殺した女は、食材として――消えた。

 そしてまた、俺の腹の中にも過去、異質な食材が納まっていたのかもしれない。或いは今の俺には、贖罪として、その食材を食さなければならない義務があるのかもしれない。

 元来、命を奪うという行為は、食らう為のものなのだから。

 松野は釈然とした面持ちで、厨房から響く包丁のタップダンスを、麻痺した思考でぼんやりと聞き入っていた。

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