【スケープ】

第13話

【スケープ】


「ほらあれ、月が哀しんでいるわ」

 穴のあいた空を、彼女は見上げていた。

「どこがだい? 奇麗な満月だ」僕は分かり切っていながら答えた。彼女は分かっていないのだろうか。

 雲の切れ間からは月が霞んだ光を垂らしている。

「ほら、あんなに涙を流しているじゃない。ちゃんと見てよ」

「僕はいつだってちゃんと見ているさ」腕を斜めに掲げている彼女の背を見ながら、僕は答えた。そう、いつだって見ている。「ただそうだな、もしあの奇麗な満月に表情があるとしたら満面の笑みだ。そして似合うのもまた笑みだろうね」

 彼女は地面を蹴った。

 どうやら伝わらなかったようだ。いや、伝わったのだろうか。

「そんな事を言うからほら、また泣いてしまったわ」

 月を見上げたままの彼女の背には、へそ曲がりな山びこが住んでいる様だ。

 月は再び雲に隠れた。

「なるほど、君にはそう見えるんだね。でもいいかい、僕にはあの奇麗な満月はさっきからずっと満面の笑みさ。一切表情を変えてやしないよ。今は見えないが、彼女を照らしている太陽だって満面の笑みさ」彼女に歩みよりながら僕は、彼女の背へと言葉をぶつけた。

「あぁだからなのね。彼女は無理な笑みを強要させられているから哀しいのよ。そんな酷い仕打ちをしているのはあなたの太陽かしら?」

 道草の中に咲く青い小さな花を見つけた。摘みながら、そうかもしれないな、と僕は思う。

 彼女は僕に背を向けたまま続ける。

「あなたはもっと彼女の内面を見て上げるべきだわ」

 そんな事を言われてもね、雲に隠れて見えないのさ。

「だとしたら君は太陽の内面も見て上げるべきだね。彼はきっとそれでも幸せなのさ」僕は彼女の横に着き、しかたなく言った。

「それだって彼女が泣いている事に変わりはないわ」

「まだ泣いているのかい?」

「見ればわかるでしょ」

 たまに月が雲影から顔を覗かせている。

「そうだったね。でも本音を言えば、月も太陽も泣いちゃいないし笑ってなんかいないよ」

「あなたにそんな事がわかるっていうの?」

「いいや。分からないよ」

「だったら、」

 彼女の言葉を上から押し退けて、僕は言う。

「ただ……僕に分かる事と言えば、いま泣いているのが君だって事くらいさ」

 言葉を吐きかけた彼女の口はしばらく、そのままになっていた。

 クスっと小さく身体を揺らし、彼女は満足気に僕を見上げて、言った。

「私、いま泣きながら笑ってしまったわ。素敵、とても素敵だわ。ねぇ、そう思わない?」

 僕は持っていた花を地面へ、そっと落とし、黙って微笑み返した。

 月は相変わらず、ただの満月だった。

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