役割分担を決めたことはないけれど、おのずと分かれていた。とはいっても、各々が使った備品の後片付けで、澄が窓の施錠確認、そして神田が扉の施錠、それくらいだった。


 美術室の鍵を人差し指にかけて回しながら、職員室へと向かう。時々、楽器やスポーツバッグを抱えた他の生徒と、今から後片付けをしても遅いのではないかなんて雑駁とが同時に過ぎていく。


 ふと、前を行く澄が足を止めた。廊下の窓を指差す。彼女にしては珍しくやわらかいその語調には、童女じみた無邪気さが香っていた。


「神田君、夕焼け」


 澄の人差し指の先で、色水に浸したような雲が空を焼き尽くしている。影と陽光、その全体として成される立体の赤色は、水彩画が馬鹿らしくなるくらいに鮮やかだった。

 澄の瞳に、その色が反射している。なにも声をかけなかったら、陽が落ちるまで彼女はここに立ち尽くすだろう。そんな空想すら湧いてしまう見惚れ方だった。

 夕焼けの赤と、澄の横顔。綺麗なものに形容は不要だ。そのはずなのに、なにも言わなくていいのに、なにか言葉を発さずにはいられなかった。

 すっかりきまりが悪くなってしまった神田は、


「そういえば、最近の澄の絵って、赤い絵が多いよな」


 そんな、野暮な水を差した。けれど、澄は気分を害した様子もなく、夕焼け空へ話しかけるように呟く。


「スイスの国旗も赤色じゃない」


 答えになっていない、とは、もう神田は言わなかった。同じ夕焼けを見ていたことがそうさせたのかもしれなかった。


「あれか。トーキョー・アートアワードに出すやつ?」

「うん。けど、いい赤色が見えてこないの」

「ちなみに、なにを描くんだ」

「決めてないかな。けど、ミロのヴィーナスみたいな作品を描きたくて」


 その澄の素直を、表面的に理解することは簡単だった。簡単だったからこそ、鳥の影のような劣等感が神田の頭をかすめていった。これは確認なのだと自分に言い聞かせて、神田は不必要な問いを重ねた。


「腕がないみたいな、そんな感じの作品か」

「そう。捉えなくていいものが、奇跡的に欠落しているなにかを作りたいの」


 気付けば、指で回していたはずの美術室の鍵を神田は握りしめていた。どうすれば、澄のように描かないことにこだわれるのだろう。形にしないことに創作を見出せるのだろう。

 二次元平面から三次元空間は観測できないらしい。夕焼けの赤色が平面的ではないように、それを描けといわれても満足に形にできないように、澄の存在がどうしても形にならなかった。


「どうやって作るんだ。そんな得体の知れないもの」

「……神田君だったらどうやって作る? たとえば、人間の手を粘土で作るとしたら、どうする?」

「……普通に手を模造して、出来た手から中指とかを取ればいいんじゃないか」

「それはダメだよ」

「なんでだよ」

「そんなことしたら、中指が作品になっちゃうじゃない。全身を失った中指、っていう解釈なら、まぁ、ちょっと面白いとは思えるけど、本質じゃない」


 澄は右手に持っていた革鞄を左手に持ち替えた。神田はただ立ち尽くしていた。先に帰っていいよ、と澄から告げられるのを恐れていたのかもしれない。窓枠に形どられた橙色の陽光が廊下に差している。


「そうなのよね。作者がどこを欠落させるか選んでしまっている時点で、その作品の存在価値を汚しちゃうのよね」


 そうして、無言が始まった。居心地のいい無言だった。

 欠落した腕のような無言だった。

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