最終話 新しい生活

 私は頭を下げたままでしたが、しばらくは物音一つ聞こえませんでした。すると、突然誰かがパチパチと拍手しました。それが合図のように、会場が割れんばかりの拍手であふれかえったのです。


「いやいや区長さん。あんなとこに住むなんていうから得体のしれないのが来たなんて言っとったが、こりゃ、私が間違っていたようだ。なかなか良い若者じゃないですか」

 頭はぼさぼさで顔一面髭だらけの熊沢さんという方が、大きな体を森山区長さんに向けて部屋中に響くような声で言いました。

「だから言ったでしょう熊沢さん。やっぱりね、実際に会ってみないとほんとの人柄は分からんもんですよ」

 森山区長さんがにこにこしながら答えると、今度は熊沢さんの隣に座っていた女性が甲高い声で私に話しかけてきました。

「とにかく、青山さん、まずお座りなさいな。一体、ここらの人は愛想が悪いから初めて来た人はみんな嫌な思いをするんだけど、それでいて、ちょっとでも付き合ってみると気が小さい人ばっかりでね、ほんと嫌になるのよ。あなたも、こんな人たちのいうことをいちいち聞いていたら大変だから、はいはいと頷いておいて、自分のやりたいことを好きにやってればいいのよ」

「鹿田さん、あんた、自分のことをわきにおいといてよく言うわ」熊沢さんが苦笑いしながらつぶやくと、

「あら、熊沢さん。青山さんと一緒にお話しできる機会をつくりましょうよと区長さんにお願いしたいのは私ですよ。いったい、田舎の男なんてものは、自分のことばっかり考えて、さっぱり気も聞かないからダメなのよね。そう思わない、青山さん」

 鹿田さんと呼ばれた女性は、いつの間にか、私に相槌を求めるようにしゃべりかけてきました。私が返答に困っていると、区長さんが、

「ほら、青山くんが困っとるだろ。ええ加減にせんか」と間に入ってくれました。

 でも、区長さんがいったことなど、まるで耳に入ってないとばかりに、再び、鹿田さんが口を開きました。

「ところで、あんなところにいて寂しくなかったの。あの辺りは獣も多いから、大変だったでしょう」

すると、熊沢さんが横から口を挟んできて、

「いや、あの辺りは熊がよく出てな、この前もうちの近所のやつが熊に襲われて今でも入院しとるんだよ。消防と警察とで大規模な捜索をやったんだが、なかなか頭のいいやつでな、まだ捕まっていないから、そうとう、気を付けないといかんよ」と、太い腕を組んで自分でうんうんと頷きながら、忠告してくれました。

 私は思わず、あの晩のことを話しそうになりましたが、じっとこらえて曖昧な笑みを返しました。


 すると、今度は熊沢さんの向かいに座っていた鋭い目つきをした四十代くらいの作業つなぎを着た男の人が私に向かって話しかけてきました。

「何か仕事をするつもりはあるのかい」

「あの……、そろそろ、何か仕事を探さないといけないとは考えているのですが、私なんかにできる仕事があるかと思うと、途端に意気地がなくなってしまって……」

「パソコンはできるのかね。ほら、ワープロみたいなやつ」

「あっ、それくらいなら、少しはできます」

「だったら、ほら、今、役場の方で地区の活動員を募集していたから、あれに申し込んでみたら」

「鷹丘さん、そりゃいい考えだ。青山くんみたいな若くて外から来たものがやってくれると、みんなの刺激にもなるし、ここももうちょっと元気になるしな」区長の森山さんが手を打ちました。

「あの、それはどういう仕事なんでしょうか」私は少し興味を覚えて、区長さんに尋ねました。

「そんなに難しいことじゃない。地区だよりをつくったり、運動会や敬老会の準備をしたり、何かみんなが集まって楽しめるイベントを考えたり、まあ、とにかく、地域が元気になるようなことをするのが仕事だが、やっぱり今どきはパソコンを使えないとなかなかはかどらんらしい」

 私はそういうところで働いている自分を想像してみましたが、なんだかできそうな気がしてきました。

「あの、少し考えてお返事したいと思います」私はそう言って、区長さんに頭を下げました。


「ささ、区長さん。今日は青山君の歓迎会なんだろ。早く、始めようじゃないか」

 私の返事を満足そうに聞きながら、熊沢さんが切り出しました。

「あんたは早く酒を飲みたいだけだろ。ほんとにしょうがないやつだ。まあ、挨拶も済んだから、それじゃ、そろそろ始めようか」区長さんは、苦笑いしながらみんなにそう言いました。私はみなさんが今日ここに集まった理由を知って、びっくりしてしまいました。

「あんたは飲めるのかね」熊沢さんはさっそく脇に置いてあったビール箱からビールを一本取り出して、ポンと栓を抜くと、私にお酌してきました。

「あの、すぐに赤くなってしまうのですが」

 私は、おっかなびっくり、眼の前に置いてあったグラスを両手で差し出しました。

「飲めるなら結構結構。さ、たっぷり飲んでくれ」と熊沢さんはグラスになみなみとビールを注いで、豪快に笑いました。


 夕日が沈み、夜のとばりが降りた山間の集落会館からは、にぎやかな声がひびき、暖かい光がこぼれておりました。森の生き物たちは、その日ばかりは少し離れたところから興味深げにその様子をみておりました。


 数日たった頃、荷造り真っ最中の我が家に佐藤さんが尋ねてきました。

「……東京に戻られるんですか」佐藤さんは悲し気な顔を浮かべて小さな声で尋ねてきました。

「いやいや、もう少し里に近いところに空き家があるから、そっちに移ったらどうかと区長さんに言われたので、そちらに引っ越そうと思います。区長さんの話では、役場の方で地区の活動員を探しているらしいので、それに応募してみようかと思っています」私は笑顔で答えました。

「ここに住んでみて、田舎暮らしというものが少しわかったような気がします。私は、宮沢賢治が汗水流して一生懸命に生きたこの岩手で、僕も必死になって生きてみたいと思います」

佐藤さんは私の手を両手で強く握り、うれしそうにこう言いました。

「ようこそ、岩手へ」


 ご報告ですが、現在、私はここで地区の活動員として暮らしております。大変なこともたくさんありますが、自分を必要としてくれる人たちと一緒に大好きなところを元気にするというのは大変やりがいのある仕事で、毎日、いろんな人たちと話し合いながら、楽しく過ごしております。何一つ不満はないのですが、たった一つだけ、心残りなことがあります。実は、あれ以来、熊も鹿も鷹も私に話しかけてくることはなくなってしまいました。

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