女神3

「シェルさんのお母さんの居場所知りませんか」

「いきなりどうした、光太」

 物理学科向けの授業を終えた翰川先生を直撃すると、彼女は変わらぬ洞察力で、俺の拙い説明からでも事態を把握してくれた。

「……そうか。お兄ちゃんが……」

「どういう考えで……『恩を売る』なんてことになったのかも気になります」

 俺としては頭痛を錯覚しそうになる物言いだった。

「鬼神さんには進路相談も勉強も世話になってますし、恩返ししていきたいとは思いますが、売りつけたいとは思わないんで……」

「お兄ちゃんは言葉選びが下手でな。本人の不器用さというより、日本語の微妙なニュアンスの理解が浅いだけだ。意訳すれば、『引き合わせてくれたお礼に手助けするから、鬼神のためになることをしてあげてほしい』だよ」

「あぁ〜……安心しました」

 良かった。

 というか想像よりずっと純粋だ。

「お兄ちゃんはピュアっピュアだぞ。無表情だから冷たく見えるだけで、とっても優しいんだ」

「先生のお兄さんですもんね。そりゃあそうだ」

 安心安心。

「んむぅ……」

 彼女はほんのり赤い顔。可愛い。

 こほんと咳払いして、『言葉足らずなお兄ちゃんのフォローを』と教えてくれる。

「お兄ちゃんと双子の妹。その下の双子。末っ子さん。この3組とも母親が違う。これはお兄ちゃんの言っていた通りだ」

「パフェさんに何があったのか……」

 話が通じる穏やかなレプラコーンという点でオウキさんルピナスさんに競ると思っていたのだが。

「薬で狂わされていた。ここらはお父さんに直接聞いてくれ」

 いや無理っす。

「そういった件について、弟妹さんたちはお父さんに並々ならぬ怒りと恨みがあった。本来ならば最も恨んでいるはずのお兄ちゃんを旗頭に……と言ったら変だが、お兄ちゃんと共に怒りを叩きつけようとしたのだ」

「……」

「だが、薬が抜けて正気に戻ったお父さんとの再会の場。お兄ちゃんはお父さんを許し、矛を収めるようにと宥めた」

 優しい人だ。

 しかし、優しいかもしれないが、その選択は……

「言葉足らずで不器用なお兄ちゃんは、弟妹さんたちに自分の気持ちを伝えられていなかったと思うんだ。……責められているのを見たよ。お兄ちゃんが怒らなかったら、拳を振り下ろす先がなくなるから」

「……弟妹さんたちからは、寸前で手のひらを返されたように見えたんですね」

「うん。当時、レプラコーンたちが荒れていたので、詳しく聞いてはいないがな」

 それが喧嘩別れに繋がってしまったのか。

「弟妹さんとお父さんは大学で共に過ごし、ぶつかり合いながらも互いの事情を知って誤解は解消。お父さんと弟妹さんたちは仲良くなった。だからお兄ちゃんも……と弟妹さんが待ち望んでいた感じかな」

「……良かったです」

「僕もだ。ありがとう」

 お兄さんのフォローの次は、本題に入った。

「シュリが来るのは知っていたが、鬼神にあいさつとは……いや、律儀な彼女らしいとも言えるか」

 シュリ、シア、シェル。

「なんだか、親子3人、愛称の響きが似てますね」

「それはそうだろう。シュリの本名もシュレミアだ」

「えええええ」

 親子全員、同じ名前!?

「ユニ……まあつまり悪竜たちの『シュレミア』の元となった《王様》。彼の母親が、シュリにお世話になったからと、優しさと強さにあやかって息子に名をつけたそうなのだ」

「名前が循環したわけですか……」

「ふふ、そうだな」

「自分の名前がつけられてるってどういう気分なんでしょうね」

 偶然名前が一致したのではなく、明確に由縁あっての命名で自身の名前が選ばれる。一般庶民の俺には想像もつかないことだ。

「シュリは恥ずかしがっている。ユニは照れつつも光栄だと言っていたな」

 先生はくすりと笑う。

「それはさておき。シュリが鬼神に挨拶に行く。それを成功させろ……とお兄ちゃんは言うわけだな?」

「はい」

「どうアプローチするつもりだ?」

「うーん……順当に考えれば、学部長の方から働きかけるのがいいですよね……」

 シュリさんのことは全く知らないわけだから、いきなり会いに行っても困らせるかもしれない。

「うむ」

「……でもなあ。あんなふうにおどおどしてたら、学部長イライラすると思うんですよね……」

 鬼神さんはただでさえ短気だから。

 俺が2分遅刻したら、彼女は『次はない殺す』と水をぶっかけてきた。お陰で10分前行動の癖がついている。

「なぜ遅刻したんだ?」

「いや……食ったカップ麺の汁の始末に給湯室行ったら、パフェさんが水道を破裂させてまして」

 何があって破裂したのか全くわからなかったが、大学施設管理の部署に連絡しつつ、涙目で混乱するパフェさんを落ち着かせていたら、昼休みも終わりの時間だった。

「お父さんがお世話に……」

 恥ずかしそうな彼女に、彼女のお父さんへのフォローを。

「大丈夫ですよ。パフェさんには、いろいろとお世話になりましたから。むしろあんなに慌てた姿に驚きました」

「お父さんのあだ名は『天然ドジっ子』だぞ? いつも慌てているし、すぐに涙目になる」

「……」

「そうだな……何人もの女性にモテたのも『この人は私がいないとダメだ』と思わせるあの雰囲気のおかげかもしれない」

「下手に真似できないやつですね……」

 本人の雰囲気が重要なモテテクである。

「神がかった職人技や、頭の冴えとのギャップも込みだぞ。お父さん、工房を出るとポンコツだから」

 楽しそうに笑って、それから、少し寂しそうに呟く。

「お兄ちゃんにも会いたがっていたのだがな」

「…………」

「……仕方ない。うん、仕方ない」

 ぱんと手を叩き、すぐに切り替える。

「さて。残り時間も少ない。……キミはどうする?」

 難問を楽しむようでいて、誰より真剣な、いつもの翰川緋叛に戻る。

「…………」

 彼女の強さと優しさを受け止め、俺は背筋を伸ばした。

「手がなければ、僕にシュリの居場所など聞かないだろう?」

「……手はあります」

 なんでもお見通しな彼女相手とはいえ、頼み事をするのだから、推測とそこから考えた策は丁寧に伝える。

「鬼神さんは……えー……鬼としての衝動とか、本能とか。抑え込まれていると聞きました」

「うん。それがないと大学内どころか世界が恐怖に沈む」

 そのレベルなのかよ。

「他の人にとってしてみれば封印されてくれて幸運ってくらいのものだと思います。でも、鬼神さんにとっては生まれつきのもので。無理に封じられた状態だと、違和感やストレスを感じているのではと思うんですね」

「……」

 人間で例えるならば、熱が出ているほどでもだるいほどでもなく、少し鼻が詰まって風邪っぽいような。

 それが治ることもなく四六時中となると、些細なことに苛立ってしまうのにも想像が及ぶ。

「だから……もどかしい娘さんの様子を許容できるゆとりがないのかもしれない」

 たしかに学部長は冷たかったが、それでも、どちらにも非はないと信じて。

「かと言って、あの足のミサンガを解いたら阿鼻叫喚。なら、会話を少しでもスムーズにするために、娘さんの側にリラックスしてもらえたら。そう思って、紹介してもらいたいなと」

「……誰にかな?」

「京です。連絡したら快く引き受けてくれました」

 彼女は本日、午後に休講が重なっているらしく、『先方が良ければ』と返信をくれた。

「うん、了解した。シュリは数学科に居る」

「! ありがとうございます」

「……キミはみるみると頼もしくなっていくんだな」

「え? いやー……今も先生に頼りっぱなしですけども」

 大学内の監視カメラ映像を掌握する彼女を頼っている。

「ふふふふ」

 今日も先生が可愛い……

「僕からシュリにも、動かないで待つように連絡を入れておくよ。京と行ってあげておくれ」

「はい。ありがとうございました!」

 手を振り返して駆け出す。

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