怪獣3
寝間着に着替えて、テトちゃんと姉と、しばしおしゃべりする。
『ルーシェお姉ちゃんはお姫様なの』
「お姫様かあ。きっと綺麗で気品ある人なんだよね」
『うん。いつも鹿に乗ってる』
「……鹿?」
『おっきい鹿さん』
弟子である姉を見やると、スマホで写真を見せてくれた。
奈良にいそうな鹿ではなく、アラスカの雪原を駆け抜けていそうな大きな鹿だ。
「師匠の鹿本人じゃないけど、地球上の生物で近いのはこんな感じかな。生で見ると迫力がすごいよ!」
「な、なんで鹿なの?」
「さあ?」
「そこ流すんかい」
一番気になるポイントだろう。
「鹿の由来はわからんけど、師匠が姫なのはほんとだよ。目と耳が少し弱いから、いつも鹿に乗って移動してる」
「うーん……」
神秘的な光景であるのは間違いなさそうだが、鹿が不思議だ。
『美月ちゃんと光太って、似てるね』
「今に限ってはなぜか嬉しくないなあ、そのセリフ」
「++……」
テトちゃんは姉の腕の中でうとうとしている。
今日、はしゃぎ倒しだったもんな。微笑ましい。
「疲れてるみたいだし、そろそろ寝よっか」
「だな」
姉にテトちゃんを任せて、客間を出る。
「…………」
リビングで勉強道具を広げたところで、佳奈子からメール。
『from: 佳奈子
ノアもテトちゃんに会いたいって言ってる。明日大学に連れてくから会いましょ。3限に数学科フリースペースはどう?』
「よっしゃ」
夕方打診しておいたのだ。デジタルっ子な佳奈子にしては珍しく返信が空いたのが気になるが……忙しかったのかな。まあそこは気にせず、俺からも了承の返信をする。
「……光太」
呼ばれて気がつくと、寝間着姿の姉がリビングに出てくるところだった。
「あ、姉ちゃん。……テトちゃん寝た?」
「うん。布団に入った瞬間にぐっすり」
テーブルを見て声を潜めた。
「勉強中? ごめんね」
「大丈夫だよ」
今日に限っては、姉と話す時間の方が大事だ。
「どしたの?」
「……テトちゃん撫でてたら、あんたのちっさい頃思い出した」
「…………」
何も言えなくなる俺に、姉は困ったように笑った。
「ごめん、ついね。……大きくなったんだなあって思ったの」
「……」
「それだけ。お姉ちゃんは会えて嬉しいってお話さ!」
照れて少し赤い顔で苦笑いする。
「もうアラサーのお姉ちゃんですが、これからもよろしくね」
「……うん。よろしく」
俺は姉のことを何にも覚えていない。知らない。
それでも姉は俺を責めることなく、今回だっていきなり頼んだのにやってきてくれた。
「……姉ちゃん」
「なんだいなんだい、可愛い弟」
「昔の俺、姉ちゃんのことなんて呼んでた?」
知りたい。
「今と変わんないよ。……あ、でも、甘える時だけ美月お姉ちゃんって言って泣いて鼻垂らしてた」
「うぐふぉう」
「幼稚園で怖い話聞かされて私の布団潜り込んできたり、お母さんに叱られて逃げてきたりね。……可愛かったなぁー……」
「は、恥ずかしい思い出の暴露がこんな威力を……!」
京に聞かせていないか不安になる。
「元気で優しい少年に育って嬉しい。恋人までゲットしているとは、お姉ちゃんびっくり」
「……姉ちゃんは恋人居ないの?」
「お、持てるものの余裕か?」
「んなつもりじゃねーって。……恋人じゃなくてもいい人いないかなと」
「いい人なんてもんが居たら、ホイホイとヨーロッパから日本まで移動できねーのさ」
うけけと笑い、俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「そういうもんなの?」
「そーゆーもんなの。今はやることあるし、弟を見てるだけで充分よ」
「……どうも」
むず痒いが、嬉しい。
「お。佳奈子ちゃんとメール?」
「あ、うん。佳奈子のとこにテトちゃんのお兄さんがいるから、明日会おうって」
「そうなんか。何番目の人?」
「番号……聞いてないや」
ノアくんの見た目は5歳。しかし、悪竜さんの年齢と兄弟の順序は見た目通りにはいかない。
「まあ、明日会うし……そういや、姉ちゃんって佳奈子に会ったことある?」
「ないなあ。会おうとすると人見知りして絶対出てこなかったし」
「……佳奈子らしい」
佳奈子に姉の存在を知っていたか聞いたら、『あんたが「美月姉ちゃん」って呼ぶ人の存在は知ってたけど、普段家にいないから従姉妹かと思ってた』とのこと。
「ミドリさんとは知り合い。……光太の様子をたまに手紙で教えてもらったよ」
「……そうなんだ」
ばあちゃんは姉のことを知っていたが、俺が記憶を失ったことで気を遣ってくれていたそうな。
「だから姉ちゃん、話せるの、すっげー嬉しいのさ」
「俺も嬉しい」
ほんとに、うれしい。
「明日も姉ちゃん仕事だよな。頑張れ」
「そっちも授業頑張ってね」
「おう。おやすみ」
「おやすみ」
朝6時、スマホのアラームが鳴る。
「……」
目を覚ますためにカーテンを開けて朝日を浴びていると、小さな足音が聞こえてきて俺のそばで止まる。
「$$☆÷〒+!」
「おはよ、テトちゃん」
「! ……☆%#××○$→」
「あ、ごめん。その……さっきのは、状況的に『おはよう』って言ってくれたんだなあと……」
「……○☆」
しょぼんとするテトちゃんに罪悪感。
俺も出来ることならば、彼女の言語で簡単な挨拶と会話を覚えたいのだが、頼んで同じ言葉……『りんご』を繰り返しで言ってもらっても、同じ音に聞こえなかった。
録音をしても違っていて、聞き取れないということがわかっただけ……
『お兄ちゃんとお父さんしか聞き取れないの』
「……お兄ちゃんってシェルさん?」
こくり。
『お父さんは王様。……精神感応を使えば会話出来るけど、それは魔力のない人には使えないの』
「精神感応……?」
テレパシーか。
『悩み』
「……そっか……」
俺のアーカイブ、そういうこともなんとかしてくれないかな。
撫でると目を細めるテトちゃんが可愛い。
『ごめんね』
「いやいや、テトちゃんのせいじゃないよ」
出来ることならば聞き取ってあげたい。俺の内側にあるものなのに、アーカイブに祈る。
しょぼんとする彼女を元気付けるため提案する。
「そうだ。今から朝ごはんとお弁当作るんだけど、お手伝いしてくれる?」
「!」
『お弁当は憧れ。ちっちゃい箱に入ったご飯、可愛い』
「良かった」
テトちゃんと一緒にリビングに向かう。
「……姉ちゃんまだ寝てた?」
こくり。
「寝かしといてあげよう」
ここに泊まる間は弁当を任せてくれとは先に言ってある。
昨日シェルさんから届いた物品をテーブルに出して、テトちゃんに見せた。
「?」
「ホットプレート。今日はこれで野菜炒めしてみよう」
「!!」
昨夜、シェルさんにカセットコンロとプレートでハンバーグや焼きマシュマロを楽しんだと電話で伝えたところ、『使ってください』という手紙とともにホットプレートが出現していたのだ。
やはり火を使うとなればテトちゃんの身長では危ういので、非常にありがたい。
元から冷蔵庫に備蓄してあるカット野菜をまな板に出して、テトちゃんにはセラミックの子ども包丁を見せる。
「これくらいの大きさに切っていってほしいんだ」
『わかった』
シェルさんに相談もしたところ、『テトは見た目が3歳なだけで、中身はそれなりに成熟しています。包丁を使うのもそばで見ていてやれば大丈夫です』との返答を頂いた。
実際、テトちゃんは幼さ故の不注意や拙さはなく、ゆっくり慎重に具材を切ることに成功している。
二人で切り終えたところで、電源を入れたホットプレートに油を伸ばす。
「ちょっとずつプレートに投入して、焦げないように具材を揺らしてね」
菜箸を渡すと、嬉しそうに調理している。
なんとも可愛い。
俺はその間に昨日の残りのハンバーグとトマトを弁当に詰め、予約炊飯した白飯を二段目にのり弁にして詰める。
野菜炒めもちょうどいい塩梅になったところで火を止め、テトちゃんに野菜炒めをアルミカップに入れてもらう。
『光太は成功体験を持たせるのが上手』
むふーっとしたテトちゃんが電子ホワイトボードを見せてきた。
『私がお弁当箱に直に詰めるの難しいから、カップ用意して、空いたスペースに入れるだけでいいようにしてくれた』
「あ、ああ。そういうこと?」
いきなり成功体験なんて言葉を使われて面食らったが、彼女は感動して感謝してくれているようだった。
「俺が昔、母さんに……料理教えてもらった時に、おんなじことしてもらってさ。嬉しかったから」
『素敵な思い出だね』
「……うん」
複雑な想いはあれど、幸せな思い出は消えない。
テトちゃんはにっこり笑ってホワイトボードを掲げる。
『美月ちゃんのこと起こしてくるね。朝ごはん食べよ?』
「姉ちゃんをよろしく」
こくり。
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