4.家へ

座敷童子

「こんにちは、佳奈子」

「……こんにちは王様……」

 インターホンのカメラで見えてはいたけれど、生で見るとなおさら美貌と威厳が凄まじい。

 現在時刻、パーティ帰りの夜。前々から『用事がある』と言われて空けておいた時間だし、拒むつもりは全くないのだけれど……あたしの家は庶民過ぎて、本物の王様を招いていいような家じゃないような気がする。

「もう王ではないというのに、なぜみんな呼び名を変えてくれぬのだろう……」

「だって、そこに居るだけで《王様》って感じじゃない」

「……」

 無表情なのにしょぼんとしているのがわかるのが我ながら不思議。いや、シェル先生で見慣れたからか。

「はいはい、わかったわよ」

 今度はぱあっとなる。……うん、やっぱりシェル先生とそっくり。

「何て呼べばいいの? 失礼だけど、シュレミアは呼び名にするにはちょっと……同じ人たくさんいるし」

「もちろんわかっている。ゆっくんあるいはユニで頼む」

「ユニさんでお願いします」

 そんなに気やすく呼べない。

「だろうなと思っていた」

「ユニさん、どう見てもどう考えても天然よね……」

「妻からもよく言われている」

「胸張る場面じゃないわよ」

 テーブルについてもらって、紅茶を出す。

「昨日の集まりはどうだった?」

「楽しかったわ。あなたの奥さんがはしゃぎまわってた」

「ガーベラは昔からおてんばだからな」

 おてんばで済ませるから彼女はああなのでは?

 そうは思ったけど、言っても無駄かな。

「ユニさんは参加してなかったわよね」

「昨日は孫たちと戯れ、アネモネと話し、息子とチェスで遊んだ。お前たちとはすれ違っていたかもしれない」

「へえ……チェスやるの? 強い?」

「俺など取るに足らない」

 この物言いだとたぶん強いな。

「……で、今日はどういうご用なの?」

「うむ。実は本日、息子を一人連れてきているのだが」

「姿見えないのだけれど」

「玄関前でロストした」

「…………」

 あたしは座敷童だ。

 侵入者に気付かないなんて、まずないこと。

「……その人の種族は?」

「竜。非常に器用で、縄張りへの介入と侵入はお手の物だ」

 呑気なユニさんの手を引いて、リビングから出る。

 一部屋一部屋回って――南に面した日当たり良い部屋に、人影を見つけた。

 ユニさんと同じ、光を浴びると黒に色が抜ける虹色。

 人影は予想よりふた周り以上小さい。

「……あの人がそう?」

「うむ」

 ユニさんは窓の外を眺める子どもの隣に座り、静かに話しかける。

「ノア。眺めが良いな」

「…………」

「後ろの可愛らしい女性が座敷童だ。アリアの生徒」

「……」

「そう言うな。若者に時間をとってもらったのだから、失礼はできない」

 これはあれか?

 あたしには聞こえない周波数で会話してるのか?

「……ああ。まずはきちんと挨拶しなさい」

「…………」

 振り向いた子どもには表情がなかった。

 シェル先生みたいな『感情を映していない』という無表情ではなく、本当に感情が見つからない無表情。

 表情がかけ離れていたから気付かなかったが、この子は、下手をすればシェル先生よりもユニさんに似ているかもしれない。

 髪色、瞳の色、まとう風格とアーカイブの全てがよく似ている。

「あな、たは……」

 かつて、エルミアから聞いた――

『悪竜の5番』

 スケッチブックに、ペンで文章を書き連ねる。

『あなたが予想する通り、研究素材だった悪竜だ』



 ユニさんがテーブルや暖房などを転移で運んでくれたんだけど、5番の悪竜さんは名乗りもせず、また窓に向き直ってしまった。

 寒々しいので毛布を被せてみたものの、『ありがとう』のスケッチブックを見せた後はなんの反応も示さない。

「やはりダメか」

「……やはりって?」

「こちらに引っ越してくるにあたっては、あの子も連れてくるしかない。しかし、あの子は食事以外、いつでも窓の外を眺めるばかりでな……環境を変えれば少しは反応するかと思ったのだが」

「じゃあ何か食べましょうか?」

 お菓子ならストックがそこそこある。

 ユニさんはため息をついて首を横に振った。

「必要に迫られる栄養補給でなければ何も食べようとしない。……というか、俺たちが『食事は家族みんなでテーブルで』と言い聞かせてようやくだった」

「じゃあ、そろそろお昼時よね。その時なら話せるの?」

「恐らくは」

「……ユニさんのほんとの用件はなに?」

 環境を変えたいというだけなら、それは翰川家に連れて行けば済む話だ。

 彼は寂しそうに笑って答える。

「あの子は、幸運から見放されている」

「……」

「確率に支配権のある娘はいるのだが、それは幸運ではない。運命と確率は別のものだ。交わらない」

 この人のお子さん、アーカイブの怪物ばかりなのね。

「……少しでいい。どうか頼む」

「わかったわ」

 ならあたしは昼時を待つつもりはない。

 子どもに駆け寄る。

「名前、教えて。名乗って」

「……」

 振り向きすらしない横顔は無表情。

 無理やりあたしの方を向かせて、告げる。

「ここはあたしの家。あなたはお客さん。名乗るのが礼儀でしょう?」

「……」

「自己紹介くらいしてよ」

 ようやくペンを手に取った。

『ノア』

「はじめまして」

 こくりと頷き、そしてまた窓を向いた。

「…………」

 ユニさんを見やると、彼は虚空から美味しそうなオードブルを出してテーブルに並べているところだった。

「ユニさん、この子と会話するコツってある?」

「コツと呼べるほどでもないが……頭蓋を指で締めながら『会話しろ』と迫ったらしてくれるようになったな。本人が話す必要があると思えば対応すると思うぞ」

 つまりこいつはあたしと話すまでもないと思ってるわけで、ユニさんもそれを冷酷に評価している、と。

「……ふふっ」

 こいつら、めっっっちゃ腹立つ。



 翌日、月曜日の開幕1限。初授業である『数学基礎1』。担当教員はシェル先生。

 周囲のざわめきを感じながら、あたしはシェル先生がやる気なさそうにスライドを秒速2枚でまくるのを観察していた。

「……な、なあ、佳奈子……その子、誰?」

 この授業は一年生全員の必修。クラス分けの関係で同じ時間になったコウと京があたしの膝上を見ている。

 膝にはノアがぼうっとしたまま座っている。

「可愛いでしょう?」

「いや、可愛いといえば間違いなく可愛いお子さんだと思うけども、」

「可愛いわよね?」

「……うん。可愛いね……」

「京、そんなにあっさり押し負けないで……!」

 ちょうど、シェル先生がスライドをめくり終えて口を開いた。

「レポートを出せば出席点となり、期末テストの点と合わせて総合80点を越えれば単位をあげます。わからないところがあれば机の端のボタンを押して質問を。質問がない時点で完璧に理解しているとみなします。注意するように。……また、本番で80点以上取る自信がある人は出席しなくて構いません。学内掲示板に類似問題や過去問はたくさんありますので」

 張り上げてもいないのに、マイクなしでもよく通る声だ。

「以上。騒いでいないで問題を解きなさい」

 彼は座ってのんびり本を読みはじめた。

 たまにピコンと音が鳴ったと思えば質問が飛び、それについて画面に映るようにタブレットで図や説明を書いてヒントを教える。

 姿勢は良くないけど、教え方はわかりやすい。

 ……スクリーン端に質問者の学籍番号が表示されてるんだけど、再履修者ばっかりなのよね。

『弟は点が足りなくて泣きついてきた生徒に「質問しなかったのだから理解していたのでしょう?」とだけ言って再履修を喰らわせている』

「でしょうねえ……」

 あの人、一度筆跡を見た人の顔忘れないらしいし、質問したかしていないかだって覚えてるんでしょう。

「……」

 コウがこっちをちらちら見ている。

「なに?」

「いや……その。なんでもないっす……」

「ふん」

 数学基礎、しかも初回というだけあって、内容は高校数学とその応用止まり。満点も難しくない。

 全問解き終えて、脇の座席に置いていたノアを膝に回収する。

『ざわめきごと流す弟もどうかと思うが、連れてくるお前もどうかと思う』

「黙らっしゃい」

 いちいちスケッチブックを取り出すのもなんだから、翰川先生にスマホを安く譲ってもらい、ノアに持たせてチャット会話。

 しつこく構い続けたところ、ノアは昨日の夜からあたしに心を開いてくれた。

 なんかいちいちため息つき気味なのがイラつくけど、あたしと会話する姿を見たユニさんが感動していたから許してやろうと思う。

 決してあたしがシェル先生に似た人に弱いのではない。断じてない。

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