第49話

 


 クルエラから聞いていた疑問をぶつけて知った事は、あまりにも慈悲深い話だった。

 〝シャルティエ〟は自分の後に入る魂である私の事を気にかけて、スティに掛け合ってくれていたと知って、何故だが母親のようなそんな温かみを感じてつい泣いてしまった。

 その後は、世間話をして「そろそろ寝るね」と告げてスティの部屋から出ると、廊下の窓から見えるのは庭の花畑だ。

 あそこは、〝シャルティエ〟が幼い頃に体が弱くて体力が尽きて地べたに座る事が度々あったから、気兼ねなく休めるように芝生を置いたらしい。

 使用人達に、聞いて知った情報だ。

 すると、種類も分からない雑草の花が次第に生えて、そのまま花畑に成長してしまったらしい。

 クロウディアは、あそこには芝生だけじゃ味気ないからと魔力を込めて花を咲かせたとそれとなく話していた。

 つまるところ、彼女の仕業だ。


「そういえば、クロウディアは私が助けたって話してたけど……まだそれも思い出せないなぁ」


 ――一体〝シャルティエ〟はクロウディアとどこで出会ったのだろう……。


 それもきっと思い出せると信じて部屋へ戻って行った。





 翌日の昼、私はクリス様から得た情報で、あのお別れの際に着ていた服と髪型に似た格好で花畑の前に立っていた。

 桃色の小花模様のワンピース。

 髪は全体的にふわふわと巻かれていて、両サイド耳の後ろに大きなリボンで纏められている。

 十七歳にして大きいリボンにツインテールなど、あまりにも子供っぽい姿に恥ずかしくて顔から火が出そうだが、思い出すために体を張った。

 何故か使用人達には好評だったが、きっと裏で笑っているに違いない。絶対隠れて笑ってるはずだ。

 隣にはクリス様が付き添うように立っていて、安心させるように肩に手を回されている。

 だが、その手が緊張しているのか少し震えているように思えた。

 緊張しているであろう彼を見上げ、ふわりと微笑んだ。


「……大丈夫です。私は、どんなクリス様の過去も受け入れます。なので、私の過去も、今の私も受け入れてください……」


 ――大丈夫って言っていないと、顔に出そうだから。


 後ろを振り返ると、屋敷の窓からはそれを見守る両親と、事情を一部知った使用人達。

 そして、すぐそこではスティとグラムも心配そうに見ていた。

 クロウディアも、何かあった時にすぐに駆けつけられるようにこちらを見守っている。

 改めて花畑の方へ体を向け、クリス様の手から離れて、ゆっくりと歩み出る。

 夏風が私の巻き髪のツインテールをそよそよと揺らして弄ぶ中、花畑の真ん中に一人で立ち、風を感じるように目を閉じた。

 じわりじわりと、脳裏を電車のように止めどなく掛け巡る思い出。

 怒られたり、嫌な事があって一人でここで泣いていた日。

 花を摘んで、茎を繋いで花冠にした日。

 侍女や、家庭教師と二人で本を読んだ日。

 お父様とお母様と三人でアジャスタ湖にピクニックに行って、サンドイッチを食べた日。


 そして――





 今日は、知り合って一週間が経過したばかりのクリストファーやエストアールとグランツが王都に帰ってしまう日。

 悲しいし、寂しいけど、またきっと会えるからお別れに花畑の花を摘んで花束にして渡そうと一本一本綺麗なものを選んで摘んでいった。

 しばらく会えなくなるのが辛くて、ひとりっ子だった五歳のシャルティエは、優しくて大好きで兄のように慕うクリストファーとずっとここで暮らせたら良いのにと考えただけでまた涙が出そうになった。

 でも、また会えるのだから泣かないと父と約束したから、下唇を噛みながら目に溜まる涙をこぼさないようにこらえる。

 早くしなければと一生懸命花を摘んでいると、突然電流が走ったように体が震えた、背が仰け反る。

 あまりの衝撃に目を見開きしばらく硬直した後、ハッと我に返った。

 瞬きも忘れていたせいで二、三度と瞬きをぱちぱちとした後、目に溜まった涙が一筋流れてしまう。

 そして、なにか背後に視線を感じて振り返った。

 シャルティエはふと頭の中で「クリス様こんなに小さかったかな」と驚きを隠しながらしばらく考えた後、そこでようやく悟った。


 ――あぁ、戻りすぎてしまった……。


 シャルティエは、この十七回目を目処に全てを諦めるつもりだった。

 ……と言うより、〝最後の償い〟をするつもりで時間を戻したのだ。


 たくさんの人を巻き込んでしまった。

 エストアールも、グランツも、クルエラも、時間が戻ったことに気付いている事を知ってしまい〝潮時〟を察した。

 クルエラの異変に限っては、ほぼ最初からだった。

 エストアールとグランツが気付いた事を知ってからは、罪悪感でどうにかなりそうな気持ちになり、こんな所まで戻されてしまった困惑と、むしろここまで戻されればもっとクリストファーとの関係も上手くやれるのではという安堵が入り混じった心境にどう折り合いを付けたらいいのか分からなかった。


 ――さっきまで〝償い〟をするって決めたばかりなのに……。


 そんな時、後ろにいた六歳のクリストファーは、声変わりもしていない愛らしい声でためらいなく言い放った。


「シャル、大きくなったら結婚してください」


 思いがけない、真剣な告白に目を見開く。

 しかし、それとは別にこうとも思った。


 ――私の、知らない過去だ。


 クリストファーに、夢の中ですら過去に一度だって告白なんてされた事がなかった。

 それなのに、この世界線では告白通り越してプロポーズをされてしまった。

 今に至るまでの自分は、一体何をしたらそうなったのか気になったが、全く身に覚えがなくどれだけ考えても思い出せなくて諦めた。

 だが、シャルティエは「シャル」と呼ばれていたのに、彼は別の人と勘違いしているのではないかと考えて馬鹿な返しをしてしまう。


「……それは、ほんとうにわたし?」


 無意識に出た言葉は、心の中で思っていた物と同じだった。

 しかし、幼いクリストファーはその質問に対して子供なりに「シャルはシャルだよ」と返す。

 シャルティエはそうでは無いと伝えたいがきっと通じないだろうと悩み、自分が今は子供である事を忘れて「そうですね」と他人行儀な返事をしてしまった。

 ねじ曲がったこの世界で、最後のチャンスだと勘違いしたシャルティエは、自分の〝償い〟を横において返事を待つ彼に「はい」と答えた。

 その返事に、純粋に喜ぶクリストファーを見て、急に罪悪感と不安が生まれた。


 ――プロポーズされたんだから、クルエラと出会ってもきっと私を見てくれるはず。きっと……そうだ。


 そう言い聞かせていたが、度々クリストファーが会いに来てくれるたびに更に不安が募っていった。

 ベルンリア領に来れなくなってからも、その代わりと言わんばかりに贈り物が届けられたが、その度に心が辛くなるばかりだった。

 どうしてこんなに胸が苦しいのだろうと、どれだけ考えても分からなかったシャルティエは、それに耐えられずに結局そのクリストファーからの愛情表現を拒んだ。

 すると、気付けばクリストファーは成長するにつれて忙しくなり、手紙も寄越す事が困難になった。

 それを目処に、シャルティエは一切彼と関わる事を止めた。

 どうせ口約束のプロポーズだ。

 子供の言う事ならば、誰も間に受けていないだろうと考えた。





「シャル、どうして彼を避けるの? あんなに仲良かったじゃない……」


 母は心配そうにシャルティエに問いかけるが、頑なに口を割らなかった。

 自分の状況は、誰にも理解してもらえないと思って説明も出来なかったのだ。

 ずっと陰気な態度のシャルティエには、屋敷の人間が皆心配した。

 とある夜会の日、久しぶりに再会したシュトアール家との挨拶で少し大きくなったクリストファーに声をかけられた。


「久しぶり、シャル」

「っ!」


 少し声変わりが始まっているのか、前に聞いた時よりも少し低い声で名前を呼ばれただけで意識して顔が熱くなる。

 まだ気の弱いシャルティエは、直接面と向かって無視をする勇気もなく、早々に頭を下げて母の後ろに隠れ、その場をやり過ごそうとしたが、母に「どうしたの?」と尋ねられ、自分がこれ以上クリストファーを好きになる事が怖いと感じたシャルティエは、ドレスをギュッと握り締めて「こわい」とだけ呟いた。

 しかし、これではまるで、彼の事が怖いみたいな言い方だと気付いた時には遅かった。

 ちらりと密かに様子を窺うと、驚きと戸惑いで瞳を揺らしながらこちらを見ていて、胸がズキズキと痛むシャルティエは泣きそうな顔を必死に隠した。

 それ以降は、会う事はあっても言葉をかわす事はなくなった。





 カーディナル学園に入り、エストアールと行動を共にしていると、必然的に顔を合わせる事があったが、言葉は交わさなかった。

 挨拶をされても頭を下げる程度、そんなシャルティエの事を心配していたエストアールも気にはかけていたが、それ以上の事はしなかった。

 会えば辛くなる。

 分かっていても、エストアールとはずっと仲良くしてきたから彼女とは付き合いを止めたくなかったのだ。

 ある日、廊下の真ん中でシャルティエはエストアールからグランツとクルエラに関する話を聞かされた。


「私と、グランツ様はこの一年を繰り返しているようなの」

「……え?」


 まさか自分からカミングアウトするとは思わなかったシャルティエは、目に見えて狼狽した。

 十七回も繰り返した自分ですらも、この話題を誰にも話した事がないのに、彼女は自分を信じて話してくれた事に何か分からない焦りのような罪悪感のような、自分に対しての喪失感かを感じた。

 それに気付いていないエストアールはそのまま続ける。


「原因は、クルエラ様じゃないかと思っているの。私が繰り返した間に彼女だけ行動がいつも違ったのよ」

「そうなんですか……」

「また一年を繰り返してしまったら私達どうすればいいのかしら……」

「そう、ですね……」


 自分が原因なんて到底言えず、戸惑い気味に相槌をうつ。


「――そこで、シャルにはお願いがあるの」

「お願い……?」


 目を泳がせて挙動不審だったシャルティエは、未だに戸惑いを隠せないまま顔を合わせて首を傾げた。


「グランツ様と私はこれから、クルエラ様の前で私の公開断罪をするの。そこで、クルエラ様の今までの愚行を問い詰めようと思っているわ」

「っ……どうして」

「クルエラ様は、以前より私を敵対視しているようだったから何か理由があると思うの。だから、そこで私がクルエラ様へ危害を加えていない事を述べて証明して私の濡れ衣を晴らして欲しいの」


 突拍子もない頼まれごとに、なぜわざわざそんな事をするのだと考えたが、彼女達は今年きちんと進級する事を知らないのだと理解すると、頷くしかなかった。

 自分が撒いた種だからその〝償い〟となるならば応じよう。

 そう決めた。

 クリストファーからの求婚を、勝手に蹴り、結局〝償い〟をする事にしたのだ。





 ……しかし、シャルティエの魂にもそろそろ限界が来ていた。

 最近は、時折意識が遠のくような感覚に襲われ、学園長に相談をすると、魂があと少しで消えかかっていると言われたのだ。

 もう保たないのだと悟り、学園長と話し合った末に自分の体には別の魂が入れられる事になっていた。

 今後の、自分の替わりになる人物への心配が過ぎった。

 今も、動揺が手伝って気分が悪かった。

 頭もフラフラしていて、立っているだけでやっとだったのだ。


「シャル? 貴女、顔が真っ青よ。体調が悪いの?」


 心配するエストアールの手が額に当てられ、立っている事に集中していたシャルティエは驚きで体がびくりと震えた。

 〝その時〟が来たのだと覚悟した。

 自分は死んでしまうのか、このまま倒れてしまったら騒ぎになるのではないかという不安や焦りと、死を覚悟したはずなのに大した事をしていない自分の〝償い〟への心残りはどう消化すればいいのだろうと、次第に現実から引き離される感覚に頭がぼんやりとする。

 すると、今度は頬に手を当てられ少しだけ意識が浮上する。


「……熱は、無いわね。でもとても冷たいわ……本当に大丈夫なの? 保健室に行った方が良いわ。貴女は小さい頃から体調をよく崩していたから……」

「だ、大丈夫……ですから」


 自分の伝えたい事も言えないでこのまま消えるわけには行かない、そう思ったシャルティエは、エストアールの手を掴み、見上げた。


「え、エストアール様! もし、私が私でなくなっても、き……嫌いにならないで頂けますか……?」


 今伝えないといけないと、突然シャルティエとして生かされる人のためにせめてもの最後の〝償い〟をする事にした。

 その質問を上手く理解したのか分からないが、それでもエストアールは慈愛に満ちた微笑みでまるで勇気を与えるかのように「もちろんよ」といい返事を貰えて安堵してそのまま意識が途切れた。

 遠くで自分を呼ぶ声する、しかし、そのまま暗闇へと消える感覚になんだか少し安心をした。


 ――どうか、私には出来なかった幸せを……代わりに。




「思い出した……貴女の思い、受け取ったよ。〝シャルティエ〟」


 ふわりと吹き上げる風が、夏のじめっとした空気が体に纏わりつく。

 その風でようやく目を開いた私は小さく呟くと、次に自分の湧き出る気持ちや感情に問い掛ける。


 ――私は、誰か。


「シャルティエ・フェリチタ……十七歳。ベルンリア領の辺境地を治める父ゴルベダ、母ユーリの間に生まれた一人娘……、ピンクの髪に色濃いピンクの瞳……私の好きな色……――」


 ぽつりぽつりと、シャルティエの事を確認する。

 抜け落ちていた曖昧なシャルティエの記憶が概ね戻った気がして、安堵で涙が出た。


「はぁ……」


 やっとこの体の記憶が戻ったような気がした。

 〝偽物〟から〝本物に近い存在〟になったような気がしたが、何故だか心に引っかかりを覚えながらも、それを見なかった事にした。

 流した涙をそのままに感傷に浸っていると、風で緩んだツインテールを支えていた飾りのリボンが解けてそのまま飛んでいく。

 ふわりと落ちる髪がゆったりと元の位置に戻ると、またこみ上げてくる涙腺の弱さに笑った。


「あはは、困ったな……。私、これからクリス様に大事な話があるのに、涙が……止まらない……っ」

「シャル……?」


 天を仰いで流しっぱなしの涙を拭う事なくそう呟くと、私の様子を見て不安げに声を掛けるクリス様。

 その大好きな声に振り返ると、私の姿を見てクリス様は目を瞠った。

 そして小さく呟いた。


「……あの時と同じだ」


 幼い頃、クリス様からプロポーズをされた時と同じ光景なんだと理解した。

 私は涙を気にもとめず、クリス様の顔を見て柔らかく微笑む。

 そして、まるで神聖な場かのような雰囲気を背負ったままこちらへ歩み寄る彼を見守る。

 時間がゆっくりと動いているように見えて、ここまで来るのに数分、数十分かかったような錯覚に襲われた。

 しかし、目の前に到着すると、私の頬を撫でて涙を指で拭い、そして跪いた。

 それを眩しげに目を細めて見下ろし、その動作を見つめる。


「……シャル、触れていいか?」


 見上げ、同じように目を細めて微笑んで分かりきった事を尋ねる。

 その問いに、こくりと頷くと手を取り甲に口づけを落とした。


「君の全てを受け入れたい。……きっと、君は自分が自分でない事を気にしていると思う。これからも、それに悩む日が来るだろうと思う。でも、僕は君が好きなんだ……」

「……クリス様、まずはシャルティエの話をさせてください……」


 私の言葉に、クリス様は小さく頷いた。

 少しずつクリス様に事情を説明すると、嫌われたのではなかった。

 自分のせい怖がらせてしまったわけではなかった。

 身に覚えのない絶望から、解放された本物の微笑みを見た。

 そして、今度は掌に口づけを落とす。

 それがくすぐったくて少しだけ身を竦めるが、しっかり取られた手は離れる事を知らない。


「今度は、君にきちんと言いたい。君に会った時から何かに掻き立てられるような感覚に襲われるんだ――こんな僕と、結婚してください」


 その瞬間、クロウディアが指を鳴らして足元に広がっている花が一気に花弁となって舞い上がった。

 幻想的光景に、私はまた涙を流してにこりと微笑みきちんと返事をした。


「はい、私をお嫁さんにしてください。クリストファー様」


 その瞬間、窓が開かれて一斉に歓声が上がる。

 未だに舞い上がる花弁と、その場にいる人間の喜ばしい声に包まれて、立ち上がったクリス様に抱き締められ、ゆっくり近付く彼の顔に目を閉じて受け止めた。

 重なった唇は柔らかく、人目も憚らずその口づけを堪能した。



2019/08/22 校正+加筆+書き直し


内容を大幅に変更しました。

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