第3章 (3) 犬と箒の見わけ方

 人工衛星で生まれて人工衛星で死んだ男の話を思い出す。そういう映画も昔に見た。


・・・♪・・・


 みなさんは、普段生活する中で、箒と犬を見間違うことがどれだけあるだろう。多分、ほとんどない。ぼくだってない。なかった。

 カートゥーン映画の中であれば、モップのような犬というものが出てくることもある。箒がひとのように歩き、犬のような愛くるしさでまとわりついてくることもある。馬から竜からロボットまで、とにかく犬っぽくしておけば愛らしかろうという向きには、あざとさを感じなくもないけれど、犬と見ればきゅんとくる自分の心は欺けない。

 でもこれは、あくまでぼくの思い込みかもしれない。そこに犬的なものを勝手に感じているだけ。箒自体に、犬的な性質とやらが内在しているかどうかを、はたしてどうやって判断すれば良いのだろう。

 そういうバランス感覚は、ぼくにもある。

 犬に見えた! とぼくが主張したところで、バカ言いたまえ、それは箒だろう、と返されれば、ですよねーとしか答えようがない。無論、ぼくはそこで闘うこともできる。できるが、賢いとは言い難い。犬に見えたのだと腕を振りながら、口吻熱く、叫び散らかしたが最後、催眠性の手刀を喰らったりして、目覚めた先が白塗りの病室とも限らない。映画でよくある。

 まあコトの真相は、当の箒本人に訊いてみなければわからないことだ。機会があったら、訊いてみたい。そしてその機会はきっとある。ぼくはいつだって、チャンスというものを信じているのだ。それに、世にはかばん語なるものもあると聞く。ホウキ語だってあるだろう。

 犬は犬。

 箒は箒。

 ファンタジーやメルヒェンに強く惹きつけられるぼくにとっても、その前提には一定の秩序が必要だ。大地が続いていること。朝が来て、昼と夜が回り、再び日が明けること。ぼくがファンタジアに飛び込むためには、そういう当たり前の、退屈な日常とやらが整っていなければならない。

 飛び込むにも踏み台が必要だし、アリス式に穴に落ちるとしても、やはり見上げる大地があってこそだ。物心がついたときに、すでに落下している途中なのだとしたら、それはそのひとにとって、ある種の大地を構成しているのだと思う。そこからどこかに飛び込むには、速度を上げるか、緩めるかしなければならない。

 でも、これは自力じゃとても難しい。固定観念は、そう簡単には揺るがない。恒常性があるから、大地なのだ。しかし――だからこそ、と言ってもいい――ぼくはそういうものに憧れる。気がついたときにはここにいた、そういう形の檻のようなものから、横からポンと突き出してくれるような何事か。そういうものを待望している。

 覚悟ならできている。いつだって飛び込む準備はOKだ。


 そう思っていたんだけどね。

 角を曲がると口笛は止んだ。

 すると同時に、緊張感のようなものがピーンときたので立ち止まる。警戒された。されている。口笛の主は、ぼくが先輩でないことに気づいたのだろう。足音とか、歩幅とか、それともぼくの知らない第六感。あるいは単にセンサーが張ってあったのかもしれない。

 いずれにせよ、穏やかではなかった。

 ぼくはツバを飲み込んだ。嫌な予感がした。危険を感じたというわけではない。命に関わるようなことなんて、そうそう起こる人生でもないだろう。ただ、自分が何か悪いことをしているような、そういう申し訳なさを覚えた。まあ考えてみれば、当然だ。ぼくは他人の家の裏庭を覗いているのだから。

 角を曲がった向こうには、誰もいなかった。

 ちょっと安心した。

 一方、頭を下げながらの登場だったので、格好がつかない。加えて、ポカンと口を開けることになるんだから、しまらない。どうにも間抜けなルベシベ・ハタロウになった。

 目の前には、とても広い庭園が広がっていた。きっと百エーカーくらいはある。「いやいや、冗談でしょう」と嘆息したぼくを、誰が責められよう。次の瞬間には、ユーレカと叫んで、飛び上がっていた。


 こうして庭園が開かれてみると、そこに住う植物の名前を知りたくなる。点在するオーナメントの呼び方すら、ぼくにはわからない。花だって咲いている。しかし、その一輪にさえ呼びかけることができなかった。うっかり適当な名前を宛てがうこともできなかった。そうすることで、何か大切なものを撮り逃してしまう予感があった。恐るるに足る。それほどのコミュニケーション能力はぼくになく、勇気もなかった。

 赤い花、白い花――そのように彼らを呼んでみるとする。これは敗北だ。語彙のなさもそうだけど、その花の名前が生きてきた歴史と比べて、ぼくの人生は短過ぎる。勝ち目がない。主導権は彼らの方にある。生垣に咲く花弁の一枚一枚が、ぼくの知らない言葉で、雄弁に、自らを主張している。陽の揺らめきに踊り、風に笑いながら、おそらくは彼らの同胞が適切な名前で呼ばれた頃の思い出を話し合っている。

 ぼくの人生には、花を送った思い出がない。

 だからだろう、語る言葉も見当たらなかった。

 ここには秩序がある。庭師の理論はぼくにはわからない。けれども、確かに、ひっそりと、何らかのルール的なものが、息づいていた。


 蔓科の植物が蕾を下げている通りを行く。

 すると屋根のついたスペースがある場所に出た。お嬢様学校の中庭にあって、お嬢様達がティータイムを楽しんでいそうな空間。

 先輩もここでお茶を飲むのだろうか。本を読みはするかもしれない。

 その脇には犬小屋が置いてあった。主はいない。表札はあり、「ファフラット」と書いてある。Fa-flat。

 小屋の大きさからすると、これを預かったのは、きっと大きな犬だったのだろう。丁寧に掃除がされていることから、ここを根城としているわけではなさそうだった。そもそも、先輩が犬と暮らしていたとして、彼女は住環境を犬とわけるような人には見えなかった(これはぼくの好みに依る)。しかし、もう少しよく見れば、犬の毛が落ちていないことに気づく。風に飛ばされたのだろうか? そういう清潔さではなかった。むしろ、生き物の気配がない。洗いたての墓石のように綺麗だった。

 不吉な推理を頭から取り払い、ぼくは明るい面を考えることにする。

「昼寝用の家だよ」

 そうとも、先輩がここでお茶をしながら本を読む、その間にファフラットはここで眠る。そういう静かな時間が、ここには流れていたに違いない。ここはそういう場所なのだ。


 犬小屋の横には、箒のラックがあった。それ自体は問題ない。砂漠の真ん中というわけでもないのだから、箒が数本並べて置いてあったとしても、許容範囲の内だろう。というか、それ以上に問題なことがあった。

 その箒、呼吸をしている。ため息のような呼吸が繰り返されている。

 持ち手の部分は大きく膨れ上がっていて、それがまるで動物の頭部のように見える。犬か、そうでなければ竜のようだった。大きく裂けた長い口がある、ように見えた。

 これがぼくでなく、もっと常識のある人間だったら、次のように考えるだろう――「OK、そういう彫刻だろ。ケース・クローズ」。しかし、そうもいかないのが、ぼく、ルベシベ・ハタロウというわけだ。みんなご存知だね。

 さて、持ち手の部分から目にあたる部分の下までは、がっつりヒビが入っている。自然にできたものではない。

「生きている」

 ぼくはそう呟いた。

 そいつには気配があって、だからぼくは息を潜めていた。

 事実、そいつは動く。動くというか、もぐもぐとやる。歯軋りまでする。何か夢を見ているらしい。アンドロイドだって、電気羊の夢を見る時代だ。魔法の箒が、トンボやチョウチョや、もっと大きな獲物を追いかけて、ガブリとやる夢を見ても不思議じゃない。

 目の前の存在が信じられなかった。ぼくは魔法使いの先輩に弟子入りを志願した。でもここまでの出来事に出会すだなんて、思っていなかった。深刻な覚悟不足。同時に、心の底で湧き立つものがあった。心臓がバクバク言って、今にも飛び上がりそうだった。


 二、三歩近くまでは問題なかったが、次の一歩を踏み出そうとしたところで、箒は夢を見るのをやめた。くんくんとありもしない鼻を鳴らすように首を持ち上げ――ということはしなり――それからグルルと唸る。箒に嗅覚があるとは思われなかったが、秋のトンボと見つめあっても、彼の視界はわからないのだ。独自の世界観があって、独自のセンスがある。この箒だって、きっとそういうものなのだろう。

 箒はぼくの存在を認めた。

 で、グルルと唸っているからには、友人として、ではない。

 毛先で地面を押すようにして、ふわりと浮かぶ。

 ここでようやく、そうかこいつも魔法のものなんだな、とぼくは思った。

 魔法の箒。

 まさか箒と犬の間の子というわけもなかろう。

「やあ」と言ってみる。

 箒にぼくの言葉が通じるものかはわからなかった。

 目があった、という気がした。節穴が目だった。敵意に満ちた目だった。少なくともそう感じた。グルルはグルルルルとなる。そんな細い体のどこに、そこまでの敵意を閉じ込めているのか、ぼくにはこれもわからなかった。そういう跳躍をして魔法というのだ。

 はっきり言って、ぼくのテンションは上がってきた。

 不思議の庭に続いて、生きている箒。

 バキバキと音がして、現実に帰る。箒の持ち手部分が裂けていた。というか割れていた。野犬か狼のように牙のようなものが一本、二本、そしてズラリと現れる。同じ木で出来てるだろうに、そこだけ色が若く、ツヤがあった。

「ワンワンワン!」とそういって、箒は飛びかかってきた。

 猛犬注意の看板くらい立てて欲しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます