第3章 (2) 魔法使いの家の庭


 バスを見送るまでもなく、ぼくらは歩き出した。

 カラオケひとつに行くためにも、先輩には順序があるのだ。彼女にワケを尋ねると、制服から着替えたいのだと答える。

 幼く見えるから、というのがその理由。実際のところ、先輩は周りに比べて背が低いし、ぼくの妹よりも年下に見える。上級生だという事前情報がなければ、ぼくはかなり混乱したはずだ。

 でも、とぼくは彼女の動機を疑いもする。

 ぼくが彼女なら、放課後|+〈プラス〉制服|+〈プラス〉カラオケ、という組み合わせで、普通性の強化を狙う。

 まあ、ぼくは先輩ではないわけだし、先輩がそうと言うならば、それは真実として座す。

 アズ・ユー・ウィッシュ、というやつだ。


「それにしても、先輩の家ですか。ぼく菓子折りとか持ってきてませんよ」

「いらないよ。わたしが着替えるだけなんだから、気にしないでくれ」

「いやでも、ご家族に――あ、留学しているようなものでしたね――寮住まい、というわけではないんですよね」

「そう。保護者はいるが、家族はいない。――なんだい、その顔は」

「複雑な事情がありそうだなって」

「乙女だからね」

「なるほど」

 説得力があった。妹もそういう年頃だ。もっと一般化させると、別に男子高校生たるぼくにだって秘密のひとつやふたつあるのだが、先輩の言う「乙女だから」には遠く及ばない。

 それはなんらかの理由を説明しているというよりも、事情そのそもののステートである気がする。そして、その特権化された彼女の事情なるものに、ぼくはそれ以上踏み込むのを躊躇した。

「……言ってみただけだよ」

 と先輩はひらひら手をふる。

 冗談の下手なひと。

 あるいはぼくらは、それほど互いをわかっていない。

「喉乾かないかい?」

 自動販売機を示す。

 実際に乙女なんだから、照れなくてもいいのに、とぼくは思うが、妹に怒られたことがあるのでおとなしく礼を言う。

「え、わたしが奢るの」

「あれっ」

「この街のルール?」

「あいえ、すみません、そうですよね」

 うわー厚かましいな、ぼく。

 めっちゃ恥ずかしい。

「えーっとだね、この街にわたしの親がいないのは本当だよ」と先輩は缶コーヒーを開けながら言う。「あのひと達は元の街に住んでいる。留学はよかったけど、一人暮らしはダメでね。条件がついていた」

「それで保護者ですか」

「そうなるね。寮暮らしはイヤだったんだ。ほら、門限とかあるだろ」と先輩は言う。「生活パターンを整えれば、特段意識することなく門限前に帰ってくることはできただろうね。でも、それで門限が撤廃されるわけではない。窮屈だよ」

 ぼくは多分そうは考えないだろうな、と思った。ルベシベの家に門限はないが、あったとして、自分に触れない限りはないものと見做す、というのがぼくの普段の考え方だ。とはいえ、おそらく門限は守らないだろうし、あの手この手を使ってそれを破ろうとするだろう。

 自分に触れない限りはないものと見做すが、おそらく門限はぼくに触れる。

 生活パターンを整えるのが苦手だというのもある。

 毎日学校に通えているのが不思議なくらいだ。ぼくは自分の生活習慣にあまり信頼を置いていない。

「あれ、でもちょっと待ってください」

「なにかな」

「先輩こそ、そうじゃないんですか」

「きみの中でどういう理屈が働いたのかは、わからないんだけどね」

「先輩、生活リズムを整えるの苦手って言ってたじゃないですか。あーそれで」

 納得して頷くぼくに、ちょっとムッとする先輩。

 かわいい。

「おそらくその通りだよ。わたしは、生活リズムを整えるのが苦手だ。朝も適当な時間に起きてしまうし」

「それで遅刻しますからね」

「してない」

「失礼しました。箒がありますものね」

 先輩は何かを言おうとしたが、代わりに咳払いをした。

「ちょうど運良く、両親の共通の友人で、ちょうどこの街に引っ越してくるひとがいた」

 そして話題を変える。

 というか元の道に戻った。

「昔からの付き合いだったらしくてね、二人の信頼も篤かった。それでわたしは任されたんだよ」

「それで、自由にはなれましたか?」

 とぼくは尋ねた。

「寮に住むよりかい?」

「あるいは、自分の故郷の街から出て、です」

「どうなんだろう」と先輩は言った。

 迷子のような声だった。

 自分の質問があまり適切でなかったかもしれない、と反省する。

「ぼくはこの街から出たことがありませんから」と続けた言葉は、どこか言い訳じみて聞こえた。「でも、ひょっとしたら将来、この街を出ていく日が来るのかもしれません」

 たとえば、ラガ橋のように。

 それが一年後か、十年後かは知らないけれど。

「きみはこの街が嫌いなのかい」

「別にそんなことはないですね」

「じゃあどうして?」

 どうしてなんだろう。今度はぼくが考えこむ番だった。

 ラガ橋のやつは仕事でこの街を出て行った。それはあくまで一時的な仕事で、もう二度と戻れないというわけでもなかったのだろう。事実、彼は戻ってきた。でも、「いつまで」とぼくは尋ねなかった。

 考えてみれば、あいつだってこの街にずっと居続けるつもりもないのだろう。あれほどの傑物が、この山間の街にいつまでも留まる道理がない。世界はもっと広いはずだし、あいつを求めている場所なんて、いくらでもあるに違いない。

 これはぼくの希望だ。世界よ、そうあれかし、というような。

 翻って、ぼくにとっての世界はどうなんだろう。この街の外に、ぼくを求めている場所なり機会なりが存在するのだろうか。そもそもぼくに、求められるに足る何かが備わっているのだろうか。今はないとして、今後手に入れることはできるのだろうか。それはいつの話だ?

「きみにとって」

 先輩が言う。

「この街は窮屈な場所なのかい」

「そんなことはないと思います」

 ぼくは割りに自由にやってる方だと思う。パルクールだってそうだ。必要を感じれば、女装もする。門限があれば、それを破りもするだろう。この街には、ぼくの欲するものは一通り揃っている。ただし、それはぼくが知る限りの欲望についての話だ。ぼくの知らない、外側の欲望については、何もシグナルしてこない。

「先輩がもし、自分の街から出てきて、それで自由になれたって言うなら、同じことがぼくにも起こるかもって、そう思える気がします」

「今に不自由を感じていなくてもかい」

「ええ、多分」

「多分、ね。それは責任重大だな」と先輩は苦く笑う。

 飲み終わった缶コーヒーの缶を放り投げる。

 ゴミ箱にちゃんと収まるのだから、やっぱり先輩はすごい。


・・・♪・・・


 アガ坂の街は一隻の船からはじまっている。

 とても大きな船だ。

 嘘か真か、星々の間を航行していたというその大船舶――その中身を運び出して並べることで、都市というのははじまる。船の中を駆け巡っていた通路はそのまま道になり、居住スペースひとつひとつが、新天地最初の住居となる。

 アガ坂も例外ではない。船はとうの昔に全貌をなくしてしまったけれど、今でも文明のゼロ地点には、無個性な直方体が立ち並んでいる。一部は線路の向こう側に持って行かれて、駅になったり、宿になったりしているが、残ったリブ・セル(その立方体の名称だ)には、今もひとが住んでいる。

 リブ・セルの中には、およそ生活と生存に必要なすべての機能がそろっているわけだし、街の真ん中へのアクセスも悪くない。

 ぼくも進学するなら、リブ・セルを借りることになると思う。

 なにせ数世紀に渡る宇宙旅行にも耐えたコンテナだ。プレ社会たる大学生活くらい、乗り切ることができるだろう。


 さて、先輩の家はこのリブ・セルだった。知識としては知っていても、実際に目にすることはあまりなかった。教科書の中で見かけたきり――しかもこの記憶、小学生時代にまで遡るのだから、だいぶ太古の話だ。前世より古く、カンブリア紀よりは若い。

 そういう社会科の時間に見た資料集の写真を、この年になっても覚えていることに、ぼくはちょっとした感動を覚えた。

 が、ぼくの小学生時代はどうでも良い。

 先輩ハウス。

 廃墟を改装したものとは違う。それだけで結構新鮮だった。

 都市をあげてのノスタルジィは、廃墟に住むことを推奨している。ルベシベの家もその一つ。ぼくらの文明は比較的最近はじまったばかりなので、ゼロ地点の方に望郷の意を抱くまで至らないのだ。もっとも、この社会的動向は、市政部が経済的にデザインした結果だ。

 廃墟を改装して住む場合には、市が援助してくれる。上下水道やエネルギー、通信などのライフラインもまかなってくれるのだから、廃墟に住むことには大きなアドバンテージがある。自分たち家族がここに住むことで、都市はかつての活力を取り戻す――そういう宇宙時代からの憧れみたいなものが、アガ坂の文化的背景にはあって、この意味で、市の政策と経済、各個人の動機はうまく噛み合っていた。

 それはもう、ちょっとした「当然」ってやつだ。諸々の要因が作用して、常識というのは構成されるらしい。

 リブ・セルに住むのは、学生かよほどの変わり者か、とされることも多い。もちろん、別の場所からやってきたひと――一時的な仕事とか、犯罪者とか、そう思い込んでいるひととか――は、そうする。けれども、先輩ハウスの場合は、そのどれもに該当しなかった。し切れなかった、というか、《し過ぎた》というべきか。

 なにせ、二段重ねだった。

 このナンセンスを何に例えよう――ぼくにしてみれば、それは想像だにしてなかったことというか、正直「その手があったか」という感じだった。バニラ・アイスにバニラ・アイスを乗せると近いかもしれない。他のフレーバーがあるのに、どうして同じものを重ねるの、という驚き。ダメだ。足りない。実際、ぼくだってそうしてしまうこともあるのだから。

 豆腐。

 そう、これは豆腐です。2LDKの豆腐を二つ重ねると、今ぼくの見ている風景に近いことになる。絹ではおそらく崩れてしまうので、おそらくこちらは木綿でありましょう。実態としては木綿でも、リブ・セルの見た目、壁面は絹豆腐のように滑らかなのだった。となれば両方の性質を併せ持つ、住める豆腐――それが先輩の家というわけだ。

 それが、二段重ね。

 前に述べたように、リブ・セルというのは単体で生活と生存が完結できる設備だ。普通は積み重ねない。賽の河原とは違う。


 今日もこの街は曇り空なので、豆腐の輪郭は白灰色の雲に溶けかかっていた。



 ・・・♪・・・



 庭に通され、そこで待つように言われた。確かには陽は差していなかったが、寒くもなかったから、ぼく

は文句を言わなかった。

「では、着替えてくるよ」と先輩は言った。

「わかりました……ごゆっくり?」

「なんだい、それ」と笑われた。

 前もって説明を聞いていたにしても、こうして女の子に着替えを宣言されたことなんて、考えみると初めてだった。他にパッと思いつく答え方がなかったのも仕方がないだろう。先輩が玄関に消えた後で、残念です、とか、楽しみです、とかが浮かんできたけれど、どれも違う気がした。手伝います、は絶対にないだろう。

 おそらく正解などないんだろうし、ぼくは考えることをやめた。

 待てと言われれば、ちゃんと待つ。

 報酬がなくてもそれくらいはできる。

 世の犬と同じくらいには、ぼくだってちゃんとわきまえているのだ。


 ハードカバーを開く。

 地球の言葉で書かれた本。ということは、今の僕らが話す言葉ではない。宇宙に出る前に話されていた言語――そういう意味では、これは古文書に類する。

 図書館に頼めばいくらでも製本してもらえた。

 この県内には、本になるのを待つ森があり、仲間を待つ本棚がある。ぼくらが意思を示すまでもなく、ノスタルジィは機能して、図書館の本棚は少しずつ満たされていく。目録を頼りに求めたところで、その速度はあまり変わらない。

 宿題として課せられただけの話。曰く、そういう制度があることを理解するにも、一度は利用してみて、できれば最後まで読み通してみようとのこと。

 悪い課題じゃない。

 ひとを待つには良策だ。

 空をぼんやり眺めているのとは違って、それはおそらく見栄えの良いアクションだった。ここはぼくの家ではない。先輩の家。先輩とその同居人の庭。ぼくは部外者で、それだけでも十分ストレンジャーだった。菓子折りの一つも持ってきてはいない。

 せめて身なりだけでも整えようと、ぼくはネクタイの結び目を上にあげて、背筋を伸ばした。

 そうして深呼吸までする。

 白状しよう、ぼくは緊張しているのだった。


 そういう時の常として、ぼくは目の前の物事を数えることにする。

 白いパラソルの生えているテーブルには、ぼくのハードカバーとタブレット端末があり、それからこの家のランタンと、誰かの灰皿が置いてある。

 先輩の同居人、喫煙者らしい。今時珍しいことだった。

 灰皿の中にはいくつかタバコの吸殻があって、その内一本からは幽かに煙が立っていた。消し損ねたのか、勝手に再燃するものなのかは、ぼくにはわからない。ここはささやかながらに日陰だったから、後者はきっとないのだろう。やっぱりわからなかった。タバコの原理を知るには、ぼくはまだ若かった。

 庭は外から見るよりずっと広く見えた。

 それはもう、空間が歪んでいるほどに、向こうまで。

 陽光の加減はあるだろうか――たとえば死にかけたタバコの吸い殻に、再び命を灯すように? 空一面が白く光るような曇り空の下で、どのように陽光が作用するのだろうか、とぼくは思う。けれども同時に、ここは魔女の住む家なのだ、とも考える。そういうこともあるかもしれない。映画の中でだってそうだった。得てして魔法使いの住む家は、見かけよりも広いと相場が決まっている。

 ぼくは探検することにした。

 他人の家をそうすることに、罪悪感がなかったといえば、嘘になる。

 しかし、課題ができない以上、黙って座っていては、ハードカバーとタブレットが、ぼくを置いてどんどん遠ざかってしまいそうだったし、そちらの方が恐ろしかった。

 椅子を立って、少し歩く。

 芝生がさくさくいうのとは別に、何やら物音が聞こえてくる。リブ・セルの角の向こう、裏にも庭があるのだろうか。ぼく以外の生き物の動く音、呼吸、そしてかすかな口笛――そういったものが、次第に重なり合って、密になる。

 もうちょっと慎重に歩いていくべきだったのかもしれない。好奇心が幅を利かせていたせいもあって、ぼくはここが魔法使いの住処だということをすっかり忘れていたのだった。

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