六章 探偵は、ため息つくでしょう 2—1

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 調査をおえて、猛は自宅へ帰った。昼食の時間だ。

 だが、家屋のなかには、だれもいない。薫も蘭も鮭児もだ。三人で昼食にでも行ったのかもしれない。まあ、鮭児がついていれば問題はないだろう。チンピラ風の鮭児の容貌は、ナンパよけには充分の威力を発揮する。


 しょうがない。ミャーコをかまいつつ、お茶漬けでも食おう。

 そう思ってキッチンに行く。

 なぜか、炊飯器が消えていた。

 ミャーコもいない。


 いったい、なんだというのだろう。

 家じゅうのものが、ひとつ、またひとつと消えていく怪現象。薫なら、ホラーだと青ざめるところだ。


 あきらめて、冷蔵庫に入っていた誰か(きっと蘭)の残したトンカツを食べる。ほかに食べられそうなのは、板のままのカマボコとキュウリ。まるごと、かじる。


 家のなかが気持ち悪いくらい静かだ。

 猛は一人暮らしをしたことがない。

 だから、こんなに静かな家は新鮮だが、どこか不安でもあった。

 祖父が、まだ生きていたころ、ときおり、よぎった不安。

 あの不安が現実になったような。


 老齢の祖父は兄弟よりさきに天に召されることは明白だった。


 もし、祖父亡きあと、薫に何かあれば、そのとき、おれは一人になる。

 祖父や薫の思い出の色濃く残る、この家で、一人……。

 それは、どんな気分なのだろうと。


 猛は歯を食いしばった。


 兄弟のどちらかが近いうちに先立つことは、さけられない。

 それは何代も前から続いてきた東堂家の歴史。


 いつか、おれは一人になる。

 いや、生き残るのは薫かもしれないが。

 それにしても、確率は二分の一。

 兄弟のどちらかが、この孤独を味わわなければならない。兄弟を失ったのちも、生きているかぎり、自分の妻や子が先立つのを見送り続ける生涯だ。

 それで、ほんとに生きていると言えるのだろうか。

 そんな人生でも幸福だと言えるのだろうか?


(じいさんは、幸せだったと言ってたけどな。最期に、おれや薫といられて幸福だったと。おれも、そんなふうに生きれるだろうか? おれは、じいさんほど強くはなれないかもしれない)


 静けさは苦手だ。

 残酷な未来をいやおうなく認識させる。


 猛は自分を叱咤した。


(大丈夫。今じゃない。おれは、まだ一人じゃない)


 そうだ。あの運命は父たちの代で消えたかもしれない。

 または、おれたちの代で打ち消すことができるかもしれない。

 その方法を見つけられないと決まったわけじゃない。


 それに、今なら、蘭がいてくれる。兄弟のどちらかが一人になっても、支えてくれる友人がいる。

 それは、とても強い救いだ。


 猛は静寂をふりきるように、電話をかけた。

 まず、愛波だ。銀行員なので、自由な時間がかぎられている。愛波の電話は留守電になっていた。


「東堂です。依頼の最終報告をします。今日の仕事が終わりしだい、お兄さんの家に来てください」


 そのあと、蛭間にも、夕方に会う約束をする。


 ほかにも、いくつか用事をすます。


 すると、畑中から電話がかかってきた。


「これから旅館に実験しに行くんや。いっしょに行きまへんか? 鞍馬まで」

「いいんですか? 一般人ですよ? おれ」

「まあ、証人っちゅうことで、特別に」

「じゃあ、ぜひ」


 猛は無人の自宅を出た。

 警察車両で旅館へ向かい、実験をくりかえす。満足のいく結果がでた。


「これで、間違いありまへんな。ちゅうことは、ほんまの殺害現場は……」

「あの夜、細野さんが泊まっていた、梅の間です」

「しかし、犯人は、なんで、こんな面倒なことしたんやろ?」

「アリバイ工作ですよ」とだけ、猛は答えておいた。


 畑中と別れたあと、猛はタクシーで蛭間邸へ行った。


「こんにちは。二人で話したいんです。いいですか?」


 インターフォンの向こうで、蛭間は一瞬、口をつぐんだ。なにかを覚悟するような沈黙だ。


「……いいよ。入ってください」


 いつものように、居間に通された。


「紅茶でも、いれようか?」

「おかまいなく——と言いたいところですが、じゃあ、お願いします。長話になるかもしれない」


 蛭間は何か言いかけてから黙った。そのまま、キッチンへ行く。


 ケガの治ったばかりの人にさせるべきではなかったと、猛は少し反省した。

 湯をわかすぐらいなら、自分にもできる。やはり、このところ、薫に頼りすぎていたか。


 しばらくして、蛭間はティーセットを持って帰ってきた。落ちついた態度で、猛の前にカップを置く。


 今のところ、動揺は感じられない。

 もっとも、蛭間は芸術家だし、一般的な人とは反応が違うかもしれない。


「傷は痛みますか?」

「まだ少しね。一度は死にかけたんだから、このくらいはガマンするさ」


 猛は一口、紅茶を飲む。熱い。じつは、猫舌だ。まあいい。大事な話がすんだころには、きっと飲みごろになっている。


 猛は切りだした。

「思いきったことをしましたね」


 蛭間は顔をあげる。ポーカーフェイスを作ろうとしているが、唇がかすかにふるえた。


「……わたしが何をしたって?」

「したじゃないですか。蘭をさらって、自分の腹を刺した」


 蛭間は猛の目を見返そうとする。が、じきに、その目はふせられる。


「そんなことはしない」


 反論の声は弱々しい。


 あやぶむことはなかった。この人は、普通の人間だ。蘭の言うような異常者ではない。


「しようにも、できないじゃないか。蘭さんが誘拐されたのは、八時半ごろだろう? そのころ、我々はパーティの最中だ」


「いや、あのとき、パーティの参加者のなかに、蘭をさらうことのできた人物が三人いる。あなたと、京塚さん夫婦だ。あなたは京塚さんを車で送ってあげた。あれは、まだパーティの途中でしたよね。忘れたわけじゃないでしょう?」


「ああ……思いだした。でも、わたしじゃない。京塚さんでもないだろう」


「京塚さんではないですね。時間的には、京塚さんにも、蘭をさらいに行くことはできた。でも、蘭をさらったのは背の高い男だという、中村さんの証言とあわない」


「だから私を疑うのか? たしかに身長は百八十だよ。だが、京塚さんを送って帰ってきたとき、私が蘭さんをつれていたか? この家はリビングルームから駐車場が丸見えだ。蘭さんをかかえていれば、ひとめで、みんなにバレる。君は、それを見たのか?」


「いや。見てないですね」


「そうだろ? それとも、私が車のトランクにでも、蘭さんを入れたまま、何時間も放置してたとでも? あのあと、あの車で君たちを自宅まで送ったろ? 蘭さんが隠されていれば、大声をださない保証はない。そんな危ない橋を、私が渡ったとでも言うのか?」


 居丈高に言うが、声はふるえている。

 この人は、ウソをつくのが、うまくない。


「ところがね。おれたちに見られることなく、蘭を家に入れることができるんですよ。あいつは夏場、食欲おちて体重へるから。とくに、あのときは締め切り明けで、五十キロ切ってた」

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