三章 死体は温泉に入りましょう 2—1

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「あの人、怪しいですよ。自分をモデルにして実験を試みた——なんて言ってるけど、あれは、ただのパフォーマンスじゃないかな。自分の人形は安全ですよっていう、世間へのアピール。本心は自分の人形はタマシイを吸うんだって確信してますね。あれは絶対」


 くらま温泉、到着ゥ。


 徒歩では二時間かかるハイキングコースも、タクシーなら、十五分ほど。閑静な山中に京情緒たっぷりの温泉旅館がならび、まるで隠れ里だ。なんといっても空気が涼しい。もうそれだけで、ムシムシした市内とは別世界。

 さわやかな自然って、気持ちいいなあ。


「僕、思うんですけど。あの人、自分のめがねにかなった女の子を、次々、殺してるんじゃないでしょうか。人形にタマシイを宿すために。つまり、人形は形代ですよね。だって、五人も死ぬなんて、おかしいじゃないですか」


 ああ……このさわやかな空気のなかで、なにゆえ、蘭さんは、さっきから、おどろおどろしい話ばかりするのであろう。


「五人って、だれだ? 谷口美里さん。阿久津響子さん。お姉さんだろ? あとの二人は?」


 猛は探偵だからね。いちおう聞く。


「一人は高校のときの彼女って言ってました。もう一人は聞いてないです。ごめんなさい」

「ふうん。まあいいよ。高校ってことは、藤江さんに聞けば、わかるな」


 しかたなく、僕も情報提供。


「お姉さんが亡くなったのは、蛭間さんが小学二年のときだって。愛波さんが言ってたよ」


 でも、そんなことより、「わあ、きれいだね。山の夕焼け」とか言いたかった。なんで温泉まで来て、呪いの人形の話なんかしなくちゃいけないのか。


「小二か。そんなころから、あんな性癖だったのか」


 蘭さんは続ける。

 けど、猛が苦笑して、さえぎった。


「蘭。もういいじゃないか。せっかく念願の温泉なんだから。その話、帰ってから、くわしく聞くよ」


 いやもう、かなり、くわしく聞いた。


 蘭さんは、ため息をついた。


「……そうですね。今日は憂さを忘れて楽しみますか」


 やった! 晴れて温泉気分。


 僕らの予約した『烏庵』は、予想以上の高級旅館だった。

 明治時代の建築そのままという旧館と、最新の和モダン建築の新館がある。僕らが泊まるのは旧館のほう。

 ほんとは蘭さんのためを思えば、セキュリティのしっかりした新館が、よかったんだけどね。


 時代のついた旧館は、東北から、ざしきわらしが引っ越してきそうな風情。手入れが行きとどいて、あめ色に輝いた、ろうかや柱。らんまの細工。古びた、ふすま絵。薄暗い照明。


 だめだ。これは卓球のできるような宿ではない。

 仲居さんに案内されて通された一階の八人部屋。まどから、みごとな日本庭園が見える。蘭さんお楽しみの露天風呂が、その庭さきにあった。


「りっぱな部屋だねえ。昔、文豪が泊まったとか、そんなところっぽい」


 少なくとも、ざしきわらしは泊まりに来てる。絶対だ。


「メシの前に、ひと風呂あびに行かんか? どうせなら大浴場やろ」

「いいね。行こうよ」

「温泉で熱かん、やってみたいよなあ。この宿、そういうサービスないのか?」

「そのための部屋露天なんじゃない?」

「そうだな。残念」


 浮かれる僕らに、蘭さんは悲しい目を向けた。

「僕……お留守番なんですね」


 はうゥ……なに、そのキュルっと、うるんだ目。カワイイじゃないですか。


「ごめんね。蘭さん。無神経だった」

「いいんです。僕は一人さみしく、部屋露天に入ってます」


 むうん。かわいそうだが、いたしかたない。

 僕だって、蘭さんの裸、一度も、まともに見たことないけどさ。たまに浴室でバッタリ鉢合わせしたときとか、ヤバイんだよね。


「蘭さん、ほんとは女の人なんでしょ? 僕らをだましてるんでしょ?」って言いたくなる。


 そこへ外から、ガラリと、ふすまがひらく。

 日本家屋って風情はあるけど、安全面で、どうかと思うよね。とくに蘭さんみたいな人をつれてる場合。


「ああ、ズルイぃ。こっち、広いよ。あたしらの部屋より、いい感じィ」

「ええなあ。部屋に露天風呂あるんやね」


 もちろん、今井さん、藤江さん。社長さんと愛波さんも、そろってる。彼女たちは自分たちの車で先着していた。


「部屋に露天風呂ついてるの、一階だけみたいですね」


 女の人たちは、二階の部屋なんだそうだ。


「こっちなら、みんなで泊まれる広さだね」


 とつぜん、今井さんが言いだしたので、僕はギョっとした。


 ちょっと待ってよ。

 なんて大胆な……ていうか、愛波さんと同じ部屋なんて、きんちょうして寝られない。


「いいですね」


 なんて、愛波さんまで、なに言いだすんだ。


「こっちに、ごはん運んでもらえたら、みんなで食べれるのに」


 なんだ。ごはんか!


 数十秒のあいだに、僕の心はジェットコースターを三十回、乗りまわしたぐらい翻弄ほんろうされた。


 心臓に悪いよ、もう。


「旅館の人に頼んだら? それくらい融通きくでしょ」

「うん。うん。みんなで飲んだほうが楽しいよね」


 あれれ? 女の人たちだけで話が決まっていく。

 蘭さんは不服げだが、僕は嬉しかった。肩をすくめて、猛が言った。


「じゃあ、その前に、おれたち、風呂入ってきます」

「そだね。あたしらも」

「ほな、行こか」

「だから兄さんも来ればよかったのに」

「ケンさんは、にぎやかなのキライだからねえ」


 バタバタと女性たちは去っていった。


 僕らは涙目の蘭さん(かわいいなあ……)を残し、浴場へ。

 僕らのほか、見かけるお客さんはお年寄りばかり。なんだろう。養老会の団体でも入ってるのかな。


「兄ちゃんと風呂入るの、何年ぶりだっけ?」

「三年くらい? 水道管修理して、銭湯行ったろ。あれが最後」

「子どものころはさあ。背中、流しっこしたよねえ」

「なつかしいなあ」


 三年ぶりに兄弟風呂。

 それにしてもねえ。猛と背中流しあってると、いろいろ劣等感が……。


「猛。おまえ、ごっつ、ええ体してんなあ。なんや、この腹筋」


 ボディビルダーが筋肉ムキムキなら、猛は『ムキム』。実戦的で、すごく均整のとれたプロポーション。足も長いしねえ。


「兄ちゃんは筋トレマニアだから。筋トレしてるか、ゴロゴロしてるかのどっちか」

「かーくん。おれはマニアってわけじゃ……」


 ほんとは、わかってるけどねえ。

 猛が自分をきたえてるのは、僕や蘭さんを守るためだ(昔は僕だけ)。柔道や剣道やりだしたのも、そのためだし。オリンピックの強化選手の話が来たとき、猛は、こう言って断ったんだもんね。


「おれは家族を守るために強くなったんです。家族から離れたら、意味ないじゃないですか」


 スカウトの人はなだめ、すかし、泣き落とし、最後には罵倒した。が、猛の決心を変えることはできなかった。


 兄ちゃん。ありがと……。


 しかし、僕の感動は、三村くんの心ないひとことで、ふきとばされた。


「にしても、かーくん。貧弱やなあ。せやし、女と間違われんねんで」


 グサッ。今のことば、刺さったよ。三村くん。かなり心臓のまんなかに。

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