第20話 土砂降り
この日は仕事をする間にも、予想より早く雨が降り出したとか、乗り合い馬車が休止になったとかの知らせが聞かれた。
僕はそのたびに、こんな時こそあの頼み事を果たすのに丁度よいという思いを強くした。
明日明後日と、相談室が休みなのも都合良い。帰宅したらすぐ支度して出よう。
雨の夕方、僕はバックパックを背負い、魔法灯を手に歩いて東都を出た。奥歯の横に魔鉱石。ポケットに予備も入っている。
道が二手に分かれたら、ルバーブ温泉街への街道ではないほうへ。
この道は徐々に細くなり、ついには山中の獣道に変わる。ラケル氏の馬車はこんなところをゴーレムに引かせて走っていたのだな。
来た道を逆にたどるのは思うほど簡単ではなかった。東都を目指したときは暗闇に差すひとすじの光のようだったローラの気配が、いまは南へ遠ざかる。
その間にも篠突く雨は、あっちの枝に雫を集めこっちの岩に跳ね返りして、外套の隙間から首筋を濡らした。山道向けの丈夫な靴も少しずつ水が入ってきている。
だいぶ夜も更けたが、厚い雨雲に覆われた空は黒というより灰色をしている。
幸いなのは、いまのところ土砂崩れで道を塞がれたりしなくて済んでいることだ。そういえば、このあたりは遠魔鏡を見せてもらったときに何の印もなかった。遠魔鏡を使う住人がいないことを意味しているが、それだけでなく、ほんとうに被害がなかったのだろう。
どこかで、ズン、と音がした。
そして足元が揺れ始める。
ドドドドドドドドドドドド
どこかで土砂崩れが起きたらしい。道の脇の斜面を警戒したが、強い雨に混じって木の葉や何かが落ちてくるばかりだ。揺れに耐えきれず、思わず近くの大木にしがみ付いた。
やがて振動も音も止んだ。どこが崩れたのか知らないが、あたり一帯の地盤がゆるくなっているのではないか?
僕が生きている人間だったら、引き返したくなるだろう。同行者がいたら、進みたくても引き返すべきか迷うだろう。
でも僕は亡者で、一人だ。
やがて館が雨空に浮かび上がるように見えてきた。在りし日のジュゼット家のもので、山賊に荒らされ、巻き毛の少女エレンたちが囚われていたあの廃屋。
用があるのは、その裏手にある物置らしきぼろ小屋だ。そこには、僕たちを殺そうとした強盗一味の女が、幼いメリッサの魔力で石像と化して床に転がっている。
僕は口の中に入れていた魔鉱石を新しいのと取り替えた。魔法灯で懐中時計を照らした。日付けが変わっている。
雨に濡れた山道を登り、館の正面に着いた。横を通って裏に回ると目的の小屋が……なかった!
さきほど崩れたのはこの場所だった。地面を館から数歩の幅だけまるで悪趣味なテラスみたいに残して、土の断面がむき出しになっていた。一歩間違えたら転落するところだ。
僕が何かするまでもなく、問題の石像は朽ちかけた木材ごと谷底の闇へ葬り去られた。
もし遠い未来に魔法と文明が発展して彼女が救出されたら、罪を償って生きてほしい。
ひとまず帰って翌日にでもエレンに報告だ。
と思ったが、泥のなかから人の手の形をしたものが、にょきりと突き出ているのが見えてしまった。
同時に、館の中から人の声がした。
誰だよ! なんでこんな時に来たんだよ!
咄嗟に壁に耳を当てる。数人でガヤガヤ話しながら2階から階段を下りているらしい。
「ダメ元で来たけど、やっぱりダメだな。売れそうなのは聖水くらいか」
「だから言ったじゃない。ジュゼット家ゆかりの名品なんて、もしあったとしてもケトス山賊団を蹴散らした連中が、役得ぅー! って持ち帰ってるよ。来るんじゃなかった! この屋敷が崩れたら死んでたよ」
「ンなこと言って、高ぇ物をこっそり持ち出して買取金をひとり占めする気じゃねえか?」
「おいおい、喧嘩を売るなよ。今夜はここで雨止みだろ」
「へぇへぇ、売るのは戦利品だけってね」
「それより、地下室を見てみようぜ……」
戦利品だと? 蹴散らしたのは僕だ。多分。
たしかに金目の物はもうないだろう。ケトス一味(いま名前を知った)にも物を売りに町へ出る機会はあっただろうから。
今の連中はコソ泥か駆け出しの自称冒険者といったところだろう。ともかく今夜なら他に誰もいないという目論見はハズレた。
「あれを見つけられたら私たちはお終い」
エレンからそう聞いたときは大袈裟に思えたが、後始末を引き受けてみれば、彼女の希望どおり秘密裡に済ませないと何かまずいことになりそうな気がする。
彼らが地下室にいる間に。
僕は急いでロープを手近な柱に結びつけ、斜面を下りる。
手の形をした灰白色のものを掴むと、それはあっさりと泥から抜けた。案の定、石像の片腕の部分で、右腕の肘あたりで折れていたのだ。
僕はそれを谷底へ向けてほうり投げた。
そして、また急いでロープ伝いに登った。
帰るのは簡単だった。相変わらずの雨だが、ローラの気配と記憶だけで難なく道を辿ることができ、土砂崩れに出くわすこともなかった。
僕を忘れたローラ。
他人のふりをしたローラ。
そのくせ今なお僕の行く末を握っているローラ。
もうすぐ君のいる塔に帰るよ。
東都の外に出るより遠い、同じ塔でも上階層と地下1階の隔りよ……。
街道に出て歩きやすくなった。
気がゆるんだせいか、ふと、崖崩れのあとを館の裏で見たときの脚がすくむ感覚が蘇った。
いったい誰があんな辺鄙な所に別荘を建てたのか。館の古めかしさからして、ラケル氏の兄どころか違う時代の人だろう。
崩れる場所を予測してギリギリで避けて建てたのではないか?
そういえばあの小屋はいつから何のためにあったのか? 物置にしたってジュゼット家のならもっと良いのを作りそうだし、僕たちが見たときは中に何も置いていなかった。
それからまた思い浮かんだ事柄がある。
さっき慌てて投げ捨てた石像の一部は、あの女強盗とは関係なかったのでは?
彼女は切り掛かってきたとき、右手に短剣を握り、もう片手で体に巻いた布を押さえていた。たぶん連れの男といたときに亡者に襲われて逃げてきたのだ。石化したとき、短剣を落とす程度にわずかに指が開きかけていた。
それに比べて、僕が投げた石像の右手は、いま思えば男のように厳ついし、指は物を持つ形ではなく静かに開いていた。
もともとあの辺りにべつの石像が飾られていたのだろう。エレンたちを助けたあの夜には気づかなかった。
なあんだ、焦って損した。
朝日が木洩れ日となってきらめき始めた。あちこちで小鳥がさえずる。雨はいつのまにかあがっていた。
開けた場所に来ると、穿月塔がもう見えてきた。ああいう巨大建造物は、見えてからも距離があるのだ。
ロ、ー、ラ、と思わずつぶやいていた。
僕はまた口の中の魔鉱石を取り替えた。
空がすっかり明るくなってから、東都の北門をくぐり、もはや全貌が見えない穿月塔の地下への階段を下りた。
自宅の前に、栗色の巻き毛のいたいけな後ろ姿が二人並んでいる。
姉のエレンが振り向いた。
「モローさん!?」
驚きと安堵の綯交ぜになった、でも嬉しそうな顔をして。
「おはよう。……無事に済んだよ」
「あの……私、いま行ったら危ないと思って……、あのことより、モローさんに何かあったら……って」
上手く言葉がまとまらないまま、エレンは感極まって、僕の胸にとびこんで来た。
この女の子は僕を好きだ、と思っていいのだろうか。
僕の正体を知らないのに。
「お礼というなら、僕の過去について、知っていることを教えてくれないか?」
(続く)
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