第22話 竜の眠りが扉を開く4
痛い、お尻も痛いけど身体中痛い。とにかくヘロヘロに疲れていた私は、ディスカードゥールズの首都になるベリジンガルという都の端にある神殿に到着した時は、立ち上がる気力も無かった。
馬車の中から横抱きでレンティールに連れ出される時も、もうどうにでもなれと思う程しんどかった。恥ずかしいだとか言ってられない。ぐったりとしたままレンティールに運ばれる。
「貴女様の状態に気付けなくて申し訳ございません」
純白の髪と同じ純白の長い睫毛を伏せて、彼女は申し訳なさそうに言った。そんな仕草の一つ一つがとても美しい人だ。ザクをいつも見ているので耐性があるはずの私でも見とれてしまった。
「いえ、わたしも、がまんせずに早くいえばよかったです」
本当にそうだ。今までこんなに揺れる馬車に乗った事が無かったので、そっちに気を取られて痛いというのが遅かったのだ。
「ちょっと今は、自分であるけそうにないです」
「大丈夫です、直ぐに寝室にお連れ致します。今日は休んで頂いて、明日にでも神殿の御使い様の所に参りましょう」
「はい、そうします」
本当なら直ぐにでもザクに会いに行きたいけど、こんなヨレヨレの状態では何も出来そうにない。私はレンティールにそのまま寝室に運んで貰い、横になった。
痛み止めの薬だと、水と一緒に粉の薬を持って来られたが、この身体にどんな影響を及ぼすか分からないので薬は口にしなかった。
水は浄化をかけて飲む。その程度の浄化は問題なく出来る様だ。
それよりも、誰も部屋に居なくなってから、ベッドの中でゆっくりと魔力を身体で循環してみた。
初めて魔力の循環をザクに習った時の様に、身体の魔力を少しずつ動かすのだ。循環が滞っていた部分(主にお尻の辺りとか)だんだん温かくじんわりとしてきて、痛みが引いて行く。良かった。これなら大丈夫そうだ。明日はザクに会いに行ける。
十分に魔力を循環させて、そっと部屋の隅に目をやった。この神殿には澱みが染みを作っている場所が所々あった。汚れでは無く年代を経た瘴気の澱みだ。神殿なのにそういう穢れがあるというのはどうしてなのだろう。
でも、浄化の魔力をどの程度使えるか試すのには丁度良いかもしれない。少しだけ試してみよう。瘴気の有る場所に浄化の魔力を両手の掌を広げて少し放出する。じっくり見て見ると本当に小さい子供の手だなと思う。
ほんの少しの浄化の魔力を放出すると部屋の瘴気は消えて無くなった。大丈夫、魔力も戻って来ている様だ。安心すると目蓋が重くなり、直ぐに深い眠りに落ちて行った。
すると、会いたくてしょうがなかった人の声が聞こえて来た。
『フィー、会いたかった』
耳に心地よい大好きな人の声だ。
『ザク、ザクなの?』
閉じていた目を思いきり見開くと、驚く事に一面白い花が咲き乱れる美しい野原に私は立っていた。
「フィー」
ザクの声がして、後ろから彼がそっと私を抱き締めた。気付くと私は元の身体の大きさになっていて、後ろには私の身体に腕を回し、首を傾げて見下ろしている彼の姿があった。レンティールの純白の髪とはまた違う煌めく銀の髪が風にそよぐ。
「ザク、ザク!会いたかった。会いたかったよ」
すぐに向きを変えて彼に抱き着くと、彼は私をぎゅーっと抱きしめてくれた。
「私もだ、フィーに会いたかった」
「嬉しい。会えて嬉しい・・・」
もう離れたくなくて、これ以上はくっ付けない程に身体を寄せてしがみつく。
「フィー、すまない。せっかく会えたのだが、ここはフィーの夢の中なのだ。私の身体は魔力の使い過ぎて今は眠っている。違う神の世界では魔力が直ぐには元に戻らぬようだ」
「うん、でも、夢でも逢えて嬉しい」
夢でもいい。ここは現実の世界ではない。でも、本当に触れ合っている様に温かい。離れたくない。
するとザクは私の顔に頬を寄せて囁くように言った。
「私の目が覚めたら、一緒にエルメンティアに帰ろう。子供のフィーの身体はエルメンティアに帰れば元に戻る。その様に術式を組んだ。今の子供の身体であればもう一度異界渡りをする時にも耐えられる」
「一緒に帰る。ごめんね、きっと物凄い魔力を使わせてしまったんだね。ごめんね」
人の身体を作り変えるなんて、途方もない程の魔力を使ったのだろう。
「この程度の事は私には問題ない。それよりも、フィーが消えてしまわなくて良かった」
過去を思い出した様な彼の表情を一瞬見てとった私はとても切なくなった。彼にとても心配をかけてしまったのだ。
「ザク・・・」
「あの時はいきなりでお前を連れたまま何処に落ちるか分からなかった。お前を降ろす場所に水辺の安全な土地を術式に組んで時間切れだったのだ。とても心配だった」
「ありがとう、安全な場所だったよ」
優しい人達の居る場所だった。
「本当に良かった。フィーを私が今居る場所に戻せるようにこちらの巫女を夢で導いたのだ。この神殿の者達はあまり大した神力を持ってはいない。後は、エルメンティアに帰る前にやらなくてはならない事がある。フィーに協力してもらおうと思うのだが・・・」
「やらなくてはならない事?」
ザクの少し考えこむ様な瞳の色が私の方を気づかわし気に見て揺らめいている。
もしかしたら私にはさせたく無い事なのかもしれない。
「セルバドが此方に居るのだ」
「えっ、本当に?」
「ああ。信じがたいかもしれないが、ここは彼の居た頃の世界だ」
「じゃあこっちのセルバドさんは、私の知らないセルバドさん?」
「いや、あの男、どういう具合なのか魂だけがこちらの身体に舞い戻っている。此方で亡くした自分の番を救いたいと強く願っていた事が時空の歪みを引き寄せた様だ・・・その思いが強ければ強い程、思いもしない力が時として働く事がある」
「セルバドさんの番・・・」
セルバドさんはよく私とザクの事を『唯一の相手』だと言っていた。それは、竜人の『運命の番』と同じ意味だと言っていた。そして、詳しくは語らなかったが、自分にも前居た世界で大切な運命の番がいたのだと、そう言っていたのを聞いた事がある。亡くしてしまった番だと。
私にとって、ザクは自分の命よりも大切だと思える相手だけど、二度と置いて逝ったりしない。彼が1人でまた世界に残された時の悲しみを考えるだけで、たまらなくなる。それならば一緒に消えて無くなる方が良いと思える程だ。
そんな相手がセルバドさんにも居るのだ。私と同じように、他の人にも大切な人が居る。
もしも叶うならば、時を戻して会いたい。そして、救いたい・・・そう願う程の相手が・・・。
自分だけではない。自分と繋がる大切な人達にも同じように大切な人が、また存在する。
「セルバドさんの番ってどんな人?」
「お前も会っただろう。レンティールと言う名の娘だ」
「えっ」
彼女がセルバドさんの番だったのだ。あの純白の髪の神官が。
「セルバドとも夢の中で会った。あれは今、隣国との国境を守る部隊の指揮を取っているそうだ。魂が異界渡りをした記憶を持ったまま元の身体に入り戸惑った様だが、今は番が生きている時代に戻った事を理解して彼女を助けるつもりでいる。その手助けをして欲しいと言われた。こっそりと此方に戻って来ると連絡があった」
「私、協力する。セルバドさんの大切な人を失わないように、」
「そうだな・・・フィーはそう言うだろうと思った。だが、怪我をしないように気をつけるのだぞ」
「うん」
※ ※ ※
俺が、エルメンティアで無くしたはずの番の鱗の存在を感じたのは、『紫苑の君』の強固な結界に守られた十字島を出た時の事だ。
どこからか懐かしい大切な番の匂いがした。なに、ほんの少し鼻を掠める程度の微弱な香りだ。だが、竜の運命の番という縁はその他の全てが無に変わる程の運命の相手なのだ。
その存在を知れば、何を捨てても手にしなくてはならない・・・。
ここではない世界で、番と交わした鱗だ。何のことはないただの鱗の欠片だろう。されど番の鱗ならばどんな宝石よりも大切な物だ。
気配を辿るとそこは人の店だった。魔力を持つ様々な逸品を扱うらしい。
異界の間(はざま)にでも落としたのだと諦めていた彼女の鱗を見つけた喜びは、すぐにその後やって来た真っ黒で声にならない慟哭と、空虚感に飲み込まれてしまった。
会いたい
会いたい
会いたい
白い鱗の欠片は、ただ私を郷愁へと導いた。彼女の生きていた世界へ戻りたい。願いは強い念となり、魔力を纏い自分の身体の中に彼女の鱗を取り込んだ。
その後の記憶が無い。次に気付いた時、私は過去の自分の身体に戻っていたのだ。
見覚えのある国境の砦の岩城で目を覚まし、石の階段を下りると旧知の仲間が声を掛けて来る。
暫くは夢の中の出来事だと思っていた。覚えのある出来事が目の前で繰り返されると気付いた。
あの日が来るまでにそう期日の余裕が無い。あの日はやって来るのだ。
これは夢なのかそうでないのか?
その様な些細な事は問題では無い。彼女を失う日は、夢であっても二度と繰り返すものか!
そんな時、夢の中の夢で、彼が語りかけて来たのだ・・・。彼だ。
俺が異界渡りをする羽目になったのは、大切な番を亡くして『我を失くした竜』になったからだ。
俺はこの国の第四王子だった。それぞれ母親が違い、王子とは言え側妃の子で四番目ともなると立場は微妙だ。
すでに皇太子として正妃の生んだ第二王子が立儲(りっちょ)していたので許される。俺は性に合っていた軍人として生きる道に進む事に決めた。
早々に王位継承権は放棄し、臣下へと下ったのだ。
俺は魔力も強く、その上『運命の番』持ちだと分かれば様々な問題が起る事を懸念した。
揉め事に巻き込まれるのは御免だ。竜の番は、めったな事では見つからない。それは最早伝説となる位の確率の低さであった。巡り会う事無くその時代を生きて亡くなる事が多い。
だがそんな中、俺は番を見つけた。それは王家と対立する神家の娘だった。当然どちらの周りの者達も戸惑った。
俺達当人同士は、お互い、認め合い、惹かれ合った。年齢も近くお互いが成人を迎える前からそうではないのだろうかと思っていたが、三つ年下の彼女が成人を迎えた日、確信した。
同じ王都に居ればその存在を互いで感じ取れる。番の芳香は例えようもない程甘美で、幸福感をもたらす。
あの日、番が亡くなった瞬間を全身で感じ取った。己の全身が総毛立ち、世界は黒く塗り潰された。
彼女は、死の間際に、確かに俺を呼んだのだ。
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