第19話 竜の眠りが扉を開く1
それは、たまたまそこに馬車で通りがかった私の目に映ったのだ。
シトシトと雨の降りだしたその日、馬車の中から外を覗いていた私は、貴族街に有る古物商の看板の掛かっている店に入って行くセルバドさんの後ろ姿を見た。
雨が降ると、地面から発せられる、大地の匂いとも言われる、あの懐かしいような不思議な雨の匂いが立ち上る。私はその匂いが子供の頃から好きだった。
ずっと前、ザクに初めて出会った過去の時代でも、次に出会った時も。そして日本で生きていた頃も好きだったと思う・・・。
人は生まれ変わっても、そういう嗜好は変わらないのかも知れない。
馬車を止めて貰い、思わず外に出て、その大地の匂いを吸い込む。少し離れた場所から暫くセルバドさんが消えた店を見て、それから思い直し、また馬車に乗った。
「お嬢様、馬車をお出ししてよろしいのでしょうか?何か御用がおありだったのでは・・・」
「ありがとう、フィルグレット。私の見間違いだったみたい。ごめんなさい、馬車を出して下さい」
私の勝手な言葉に、それでもフィルグレットはニッコリと笑ってくれた。
「そうですか、分かりました。では屋敷に戻りましょう」
「はい、お願いします」
降り出した雨はフィルグレットを濡らしていない。彼の魔力に弾かれていた。魔力持ちならばよくある光景だったが、それでも雨の中、御者台に彼を座らせているのは気分的に落ち着かないのだ。その後、雨は強く降り始めた。
あの時の不可思議な光景は私の目に焼き付いた。いつもはとても軽快な口調で冗談を言うセルバドさんの、あの時の何とも言えない哀しさや寂しさを感じる後ろ姿に、妙な不安を覚えたからかもしれない。
何故、彼が古物商という場所に出向いたのだろうか?という疑問。
セルバドさんであれば、紫苑城からでも、北部地域からであっても貴族街に入る事は簡単だろう。
彼は人ではなく、異世界からこの世界に落ちて来た竜人であり、とても強い魔力を持って居る。
でも、彼は人の世界には興味が無く、十字島でゆったりとした生活を過ごしている。
『このまま面白おかしく、ここで余生を過ごせれば良いのだ』と言っていた。
彼がエルメンティアに落ちて来た事情は、深く語られた事は無い。面白おかしく話しても構わない部分だけを語ってそれ以外の話をするのを聞いた事は無い。誰であれ一番触れて欲しくない事は語らないものだ。
その彼が何故古物商に入るのだろうかという疑問。
人が所謂古道具屋という場所に行くのは大抵、何かしらの探し物を求めて行くのだと私は思う。
人から人の手に渡った、長い時を経たそれらの物は、特別な価値を見出され其処に並べられている。それを必要とする者には途轍もない付加価値を持った物となるが逆に言えば、興味のない者には塵に等しい。
だから彼は多分、探し物をしていたのだろうと漠然と私は思った。
けれど、普通ならば、彼の探し物は多分ここには、この世界には無いだろうと思うのだ。だけど、彼はあそこに現れた。
そうして、背の高いセルバドさんが、少し右肩を落として古物商に入って行く様子は私には不安を覚える様な何かを感じられたのだ。
あまりにも気になったので、夜にザクにその話をしたら、彼もまた驚いていた。
「どういった風の吹き回しだろうな?珍しい事だ」
「うん、何ていったら良いのか難しいんだけど、雰囲気が何時ものセルバドさんぽくなかったの」
すると、ザクは私の不安な気持ちを感じ取った様に抱き寄せて背中を撫でてくれた。
「大丈夫だ。その様に心配せずとも良い」
「うん・・・」
私の不安は、彼に伝わってしまう。
彼の腕の中は、いつであれ、優しい温もりに満ちていた。
※ ※ ※
そして、私の不安の兆しが、気のせいではなかったのだという事が証明される事になってしまったのは、それからしばらく後の事だ。
十字島から急ぎの知らせが来たのだ。火喰い竜が騒いでいると連絡が入り、ザクが十字島へ行くというので、私もついて行くと言った。
その時、ザクは私を置いて行きたがったのだが、私はとても心に不安な気持ちが沸き起こり、どうしてもついて行きたくなった。彼はその様な私を無理に置いて行く様な事はしなかった。
「フィー、十字島に行く前に、フィーがセルバドを見かけたという古物商を確かめたい」
「・・・セルバドさんに何かあったの?」
「その様だ。詳しい事は誰にも分からないが、何かしらの力が働き、彼は眠ったまま起きないらしい」
「そんな事が・・・。じゃあ、早く古物商に行こうよ、ザク」
私はとても心配になった。それは彼の命に係わるような事ではないのだろうか?
「うむ。だがフィーは決して一人で行動してはならない」
「うん、分かってる」
ザクに心配をかける様な事は勿論しない。それは私にとって大変な罪悪を伴うものだった。
彼がどんなに私を守る為に心を砕いているのかよく分かっている。
その後、フィルグレットに馬車を出して貰い、ザクと一緒にセルバドさんを見かけた古物商のある場所に赴いた。
ザクがローブのフードを下し、先に店の中に入って行くと店の中の薄暗い灯りが徐々に明るく灯った。
「いらっしゃいませ。どの様な御用件で御座いましょうか?私が店主で御座います」
店のカウンターの奥に、六角の金縁眼鏡をかけたお爺さんが居た。白い髪に口髭がある。
店の中は様々な道具が所狭しと置かれ、左右の壁には天井まで届く棚が有り、そこにも色々な物が置かれていた。
そして、あちらこちらから色々な魔力を感じた。ここに有る物はそれぞれが魔力を纏い何等かの力を持つ物ばかりなのだと思った。
「そなたに尋ねたい。此処に暫く前に来た、背の高い黒いローブを身に着けた男の事だ」
ザクに目を止めたお爺さんは、とても驚いた様な表情をしたが、直ぐに我に返り答えた。
「さて、私に答えられる事でしたらお答え致しましょう」
「その男は私の友人でな、強い魔力を持って居る。大抵の事では寝込んだりしない者であるが、眠ったまま起きぬ。眠る前に、この店で何かを買った様なのだがそれが何なのか聞きたい。教えてくれぬか?」
ザクは単刀直入にお爺さんにそう言った。
「そうで御座いましたか・・・。その方の事はよく憶えております。確かに、大変強い魔力をお持ちでした」
「そうか、それで何を求めて来たのだ?」
「はい、あの方は店においでになられると、ぐるりと店の中を見回され、迷いなくこの棚の一番奥の上にある箱を指差されました」
「成る程。それを購入したのだな」
「はい」
「それは何だったのだ?」
「はっきりとは解りませんが、強い魔力を纏った白い石の欠片の様な物です」
「そうか・・・」
「あまりにも強い魔力を持つ塊なので箱に封印をかけていたのですが、あの方にはそれが何なのかお分かりの様でした」
「ではそれを、何を対価に手に入れたのか?」
「同じような黒い石でございます」
「成る程な・・・ではそれを私に売ってくれ」
「はい、お望みの様に致します」
店主のお爺さんは、恭しく箱に入れた黒い石の欠片の様な物をザクに渡した。
ザクは宙に手を回し、どこからか重そうな巾着を取り出してカウンターの前にドサリと置く。
「これで足りるか?」
巾着の中を確認したお爺さんは驚いたように首を振った。
「この様な金額は多すぎて頂けません」
「良い、そなたには分からぬだろうが、本来ならば金額など付けられないしろ物だ」
「・・・はい、おっしゃる様に致します。私は貴方様にお会い出来てこの上ない僥倖でございました」
お爺さんは胸に手を当てて深くお辞儀をした。ザクが何者なのか知っている人の様だ。
「世話になった」
ザクは私の方へやって来ると、そっと背中を押して外に出る様に促す。
「要件は済んだ。十字島へ行こう」
「うん」
馬車に乗り、紫苑城に戻ると、直ぐに十字島へ行く事になった。
「フィー、私の傍から決して離れてはならぬぞ」
「うん。大丈夫」
そう言ったザクの右手は私の左手を強く握って放さなかった。彼も何かしらの不安を感じてるのだと私は思った。
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