シャッター通り

 三泊四日くらいの旅行に適していそうな大きめのキャリーバッグを引きずって、僕は緩やかな坂道を下っていた。今立っている場所はそれなりの高度で、密集した住宅街のほぼ一体化してしまっている屋根屋根を見下ろすことができる。遠くには黒い海、そして煙突。


 街は異様に静かだ。


 道の左手側は市電の高架下で、色褪せたシャター通りだった。時折り高架線を過ぎる電車がその軌跡を殷々と轟かせるのだが、その残響が過ぎ去ったあとは、再び物云わぬ静寂が街を覆う。通りで唯一、場違いな光を放つセブンイレブンの店内には、見る限り人らしき影はなかった。店員もいない、あくまで人に限った話では。


 人々の活動が凍結してしまったこの街は、セピアに侵食され、幻想に支配されてしまった。まるで世界の終わりのようだ、と僕は感じた。


「ネットで調べたんだけど、海に沈めるのはあまり良くないらしい。ガスやらなんやらで、浮かび上がってくるとか」


「へえ、そうなの。よく映画なんかで、コンクリートに埋めて沈めるとか、あるよね?」

 いまいち興味のなさそうな口調で、僕の隣を歩くつむぎは応えた。僕はそんな物騒な映画を見たことがないが、イメージとしては確かにあるかもしれない。

 彼女の作る異様に長い影には不思議と変なものが寄ってくるので、僕は視線を上げて、電線に並んでとまる紅い鳥たちを見て肯いた。

「まあね。でも、案外ガスは強力らしく、コンクリートにもヒビが入るのだとか。だから、非常に高い温度のものか、あるいは酸なんかで溶かすのがいいんだって」

「別に見つかってもいいんだけどね」紬の視線の先には、夜へと向かう西の空に浮かぶ、薄く輝く月があった。「時間が稼げたら、それで」


 薄暗い路地へ這入ると、その先は夢の中のように不明瞭で、どことなく魔物の呼気を感じずにはいられなかった。

「こっちだよ」

 奥に進み、アーケードによって光の遮られた空間に出る。延々と左右に続くシャッターには、明らかに日本語でも英語でもない不気味な言語で、何かの文字が描かれていた。

「にゃお」蓋の一部が欠けた側溝から突然黒猫が這い出てきて、闇へと誘うように僕らを先導する。点滅を繰り返す照明は異様に明るくて、影を引き立たせた。


「初めて降りた駅だからあんまり知らないのだけど、ここら辺って、こう……誰もいないの?」

 あまりにも人の気配がないものだから、終に僕は当初から思っていた疑問を口にした。

「それはあなたが見ようとしてないだけ。それに、三回目よ。ここに来たのは」

「店だって、一つも開いてない」

「シャッター街だからね。昔は繁盛してたらしいよ、温泉もあったって」

「神隠しにでも会いそうな気分だよ」

 しかし、耳を澄ませてみれば確かに、シャッターの内側から何やら複数の存在がゴソゴソと蠢く音が聞こえる。加えて、水の滴る音、呻き声、壁を引っ掻くような音……。

「あまり意識してはならない、特に赤ん坊の泣き声は聞こえてはならない」「『聞いてはならない』、ではないのは、それは避け難いことだから」

「温泉ってちょっと気になるね。今もやってるの?」

「帰りに寄ってみる? ゆで卵が美味しいって評判だけど、一体どれくらいの間湯に浮かばせているのかさっぱり分からないわ」


 しばらく歩くと、黒猫が突然姿を消した。

「着いた」

 紬は右を指した。そこだけはシャッターが開かれていて、中に繋がっていた。

「誰も住んでいないみたいなの。ここならきっと、しばらくはバレないでしょう」

 僕らは中へ這入った。そこはがらんどうな空間で、天井から吊り下がっている裸の電球が、ブーンと不機嫌そうな音を立てて光っていた。畳の床にはひどく埃が積もっていて、隅には蜘蛛の巣が張り巡らされており、少なくともここ数年間は人が住んでいないような有り様だった。


「そういえば、どうやって死んだんだっけ?」

 畳を引き剥がすのを手伝いつつ、僕は訊いた。

「毒漬けピクルス。半年くらい漬けた」

「ああ、僕が渡したチーズバーガーか。なかなか食べなかったから苦労したよ」

 畳の裏には収納スペースがあって、すでに二人の屍体が並べられていた。

「もともと入っていたピクルスを引っこ抜いて、代わりに毒漬けピクルスを混入、元通りにバンズをくっつけて、チーズバーガーを包装した。我ながら完璧なトリックだったね。あとはあいつがチーズバーガーを食べるのを待つだけだ」


 キャリーバッグを開けると、四肢を縮こませた藤が中に入っていた。


 息はない。死んでいる。身体も冷たくなっていて、紫色の死斑がバックの内側と接触していた部分に広がっていた。

「苦しみ始めた藤をトイレに連れて行って、念入りに首を締めて死んだのを確認したあと、前もって個室に用意していたキャリーバッグに屍体を詰めて、そのまま店を出たんだ。これなら誰も僕を怪しまない」

「街には廃工場があって、その近くを流れる川の魚はどれも背骨が異様に捻じ曲がっているのだけど、それを食べた人間もおかしくなってしまったそうよ。毒はその廃工場に残されていたの」

 三人目の屍体を収納スペースに押し込み、畳を被せた。

 黒猫が見ていた。僕を。小さな窓の外から。じっと、じいっと。

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