6 変わらない朝

 大学3年生になった夏の朝。部屋は外と変わらぬ暑さとなっていた。エアコンはタイマーで切れている。そのおかげか少し湿った布団を感じる。冬に比べて布団は薄い。それでも暑さは人間並みには感じていた。しかし、俺はまだ布団を被っていたかった。朝日がカーテンを引いた窓から俺の目を焦がしてくる。瞼越しのため、閉じた視界が真っ赤になる。だがしかし、急に暗くなった。

「起きろ、薫。朝だぞ。ていうか、お前鍵閉めろ。知らないやつが入ってきたらどうする」

 もう入ってきている声の主は自分の矛盾点を認識しているのだろうか。今まさに、自分は知らないやつの部屋に入っていると言うことを。声の主がゆらっと動くのが分かる。

「起きろ!薫!朝だ!まだ、時間あるけど。仲良く、カップル二組で朝飯だ。ほら!起きろよ!」

 声の主は自分の名前を知っていた。俺が知らないやつは、願いの外にも布団を身体から脱がした。夏の暑さとはいえ、今まで布団のぬくもり感じていたため冷気を自然と感じる。寒い。というか、冷たい。半そでで半ズボン。昨晩エアコンの冷気をまだ肌が覚えていた。

「か・お・る!起きろって言ってるだろ!」

 頭ごなしに怒鳴る声の主は一体誰なんだろう。我が家で俺の部屋に入り、布団を脱がせ、その上怒鳴り散らかすと言った迷惑行為をするやつは限られている。しかし、その一人として知る人物ではない。我が家の住人ではなかった。じゃ、だれ?

「誰だ…他人の部屋なんか、入って…今何時?」

 あくびを一回。自分は目を閉じたまま彼に聞く。

「薫、何回も言うように、朝だ」

「ほう、今が朝か。じゃぁ、今日は土曜日」

「何言ってんだ?薫。今日は開けて月曜だぜ」

「月曜日ー?馬鹿なこと言うなよ。」

「馬鹿はお前だぞ。薫」

「はぁ?月曜な訳ないだろう?だって、昨日は金曜で鈴木さんと帰ったんだぞ。ちゃんと憶えてる」

「はいはい、またデートしたのね。まぁ、そうだとしても日曜にデートして、からの今日は開けて月曜だぞ。」

「デート?俺は鈴木さんと付き合ってはないぞ。それに、告白すらしてないんだぞ。一緒に帰っただけだけど」

「帰っただけ?そうか、そうか、帰っただけか。お前、高校生みたいに純情なことを言うな。」

「だから、高校生だって言ってるだろ!」

 積もりに積もった怒りを爆発させ勢い良く身体を起こす。

「薫。怒られても困る。あんまり、言い過ぎた俺も悪かったから、とりあえず早く支度してくれ。」

 は?

 待て。ここは何処だ。

 見慣れない白い壁にあまり家具がないこの空虚な空間。自室と思って寝ていた自分には可笑しな場所だ。それに布団を窓にこんな近い場所なんかに引いたつもりなんてない。しかし、立っている感触からわかるが、これは布団ではなくベッドであった。と言ってもそんなに高さも、ついでに言えば値段も高くは見えなくニトリなどに売ってそうな一人暮らし入門セット的なつくりのベッドであった。おはようの代わりにベッドが軋む。

 それに、目の前にいるこの男は誰だ。父ではない。ましてや、おじさんだって違う。俺の身内にこんなかっこいいやつはいない。

 知らない

 頭をよぎったそいつは俺を無我夢中に駆り立てる。

 「薫。ボーとするのはいいが時間が迫ってる」

 自分の顔を触る。そう、あのホラー映画よろしくみたいに。骨ばった頬を撫で、それから目元へやる。眼球が幾分か出ており皮膚越しに感じられる。しかしそれは、子どもみたいに幼くなく青年としてのがっちりしたような様子。

「薫?二日酔いか?」

続いて、鼻筋に移る。鼻がでかく大人並に、それから小鼻も同じであった。最後に口へと移る。乾いた唇には明確に上唇と下唇とが分かるような肌触り。それに、何処か大きい。俺ってこんなんだっけ。

「薫…顔、触り過ぎ」

 体や腕、脚、最後にみんなの夢と野望が詰まったあいつにも手を伸ばし確認した。

「それは、まずいでしょ」

まるで、全部自分の身体ではない錯覚に陥る。でも、脳がそれを否定しており自分の身体だと言い張る。心と脳の意識が分離している。

「やめてくれ。見苦しいぞ」

 分からない。あの日、ちゃんと布団に入って寝たはず。当たり前のことを何度も注意深く確認する。頭の中が熱くなり、腑に落ちなく、パニックになった。

 しかもさらに拍車を掛ける事実が目の前にある。いや、いる。

 齋藤らしき人間が幾分成長している。しかし、らしきであり厳密に言えば齋藤ではないのかもしれない。ん?というとぼけた顔をしている。

 全身を舐め回すように見る。見れば見るほどに嘘に思えてくる。目の前の齋藤らしき人間が作り物に思えてしまう。

「薫、早くしてくれ。何さっきから自分のあれこれ触って、気持ち悪いぞ。それに次は俺の顔を嘘みたいに見てる。本当に大丈夫か、昨日鈴木ちゃんと飲みすぎたのか?」

「すまん。こうして、他人の部屋に入って、こうして、俺…僕と会話していると言うことは君と、僕は友達なんだな?」

 身構える俺に、冷静に見上げる齋藤。その構図は大学生の朝には馬鹿らしく、しかし個人的には恐怖でしかない。

 目の前の齋藤らしき人間が口を開く。自然に身体戦闘態勢へ、しかしそれは心だけであった。

「…何言ってんだ、薫。いい加減にしてくれ。2人をそこで待たせてる」

 ドアの方、と思われる方向へと指を立てる。待たせている?これは何かの罠か。

 しかし、こうやって目の前の人物を疑っても前には進まず、一点にだけこの状況を信じる条件を自分に課した。

「君は、齋藤英一君か?」

 ふん、大きな溜息をつき齋藤らしき人間は首を折る。

「ああ、そうだ。じゃ…次は何したらいい?」

「分かりました。直に支度します。」

 怒り方が齋藤だった。

 見慣れない部屋の鍵を閉め、齋藤と名乗る人間の後に付いて行く。未だ信じきれない俺は知っているはずの齋藤の歩調に合わせることができず時々脚が絡む。てか、本当に此処、何処だよ。誰か説明して欲しい。

「薫。どうした、何でそんな後ろにぴったりとくっついてくるように歩くんだ?いつもなら、横にいるだろ?今日、変だぞ。まだ、朝だけど」

 振り返る齋藤らしき人間は、やはりまだ信憑性に欠けるのか作り物にしか見えてこない。

「いや、至って普通だ。それ以外、何を考える。さ…齋藤も見ればわかるだろ?

「薫、何かお前が誤魔化しているぞ。それに…やっぱ何も無い。早く行くぞ。2人を待たせてる」

 ん?何か気になる最後ではあったが気にしないでおこう。しかし、さっきから同じ事を言っている。二人って誰だ?

「お、おう」

 なれない身体で走るというものは幾分か恐怖である。身長が伸び視界が高くなったのはいいことだが、同時に地面が低く見えそのまま倒れてしまうのではないかという悪い点もある。だが、それも彼と一緒に肩を並べて歩けば多少なりとも感じなくなった。

「齋藤、何処に向かってるんだ?」

「?いつもの学食だが」

「え…学食行くの?朝から…しかも、あと2人って言ってたよな…男4人の朝食はきつい。それに、俺金もってるかな…?」

「お前、持って来てないのか。教科書はちゃんと入っているか」

「教科書は入っているけど…これ、金曜のあれかな…わかんねぇーな大学なんて初めて行くし」

「初めてじゃないだろ。じゃなんでお前大3なんだよ。」

「なんでだろうね。大学行きたいとか言ったけな…」

「言って、志望して、受験して、合格して、落第せず、進級できたから、お前は3年なんだぞ。あと、1年したら進路決めなきゃなんねぇんだぞ。わかってんのか。」

「齋藤がどうして俺に熱くなってのかがわからん」

「熱くはなってない」

「やっぱ、ねぇわ」

「はー…」

 リュックの中身は漁ったおかげで背負ったときより歴然に汚くなった。珍しく、私物にしては綺麗であった。誰かから貰ったのだろうか。なにやらキーホルダーが付いている。見てもちっともよさがわからない。この世界の俺ってどんなやつだよ…切実にそう思うのと同時にここはパラレルワールドか、と聞きなれない言葉に腑が落ちた。きっと、これは夢なんだ。それなら、思いっきり楽しもう。

 心情の起伏が激しい。少し違和感を感じた

 勢いよくリュックを背負いなおし、一歩踏み出す。

「薫、こっちだ。」

 何故か左から声がする。齋藤は左に曲がっており自分はそのまま直進するところだった。歩の向きを変え齋藤の方へと改めて踏み出す。そこにはいかにもとした大学の門が聳え立つ。

「早く、行くぞ。薫」

「わかってるよ」

 不思議な気分になりながらも、俺は齋藤の後に続いた。

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