第163話 本気スイッチ

 一組目の勝負が終わり、負傷したロドリコさんは診療所に搬送されていった。

 次はいよいよ人ならざる者同士の対決。


 メロリナ・メルオーレ(Succubus)

     VS

       ザイン・エレツィオーネ(Incubus)


 腕相撲の土俵となるテーブルを間に挟み、両者が距離を空けて視線を交わす。

 実は血縁者だという二人だけど、そのことはごく一部の人しか知らない。

 日々平穏に暮らすため、魔王との縁をできるだけ伏せておきたいメロリナさんの希望だ。パストさんにも口止めしているので、当事者であるザインですらまだこの事実を知らない。


「カカ、やはり女は見られてこそよの。これほどの注目を浴びておると、年甲斐もなくたぎってきおる。闘志がじゅんじゅん燃えよるわ」


 彼女ほど、外見と中身のギャップが大きい人もいないだろう。

 オレ以上に華奢。小枝のような腕をぐるんぐるんと回すメロリナさんは、祭りの神輿を前にした小学生みたいに場の空気を楽しんでいる。


 そして、魔王ザイン。

 あいつの強さは何度か目にしてきた。軽く触れただけで壁にクレーターを作り、デコピン一発で騎士団の隊長格を倒し、あのマザークラーゲンをも一撃粉砕した。


 そんな相手にメロリナさんは勝算があるんだろうか。

 得体が知れないという意味ではメロリナさんもミノコと似たようなものだけど、力勝負の腕相撲で、彼女が勝てるヴィジョンがまるで見えない。

 やめさせた方がいいんじゃないか。

 大怪我をしたロドリコさんの後だから、余計に怖くなってくる。


「のぅ、りぃちや」


 そんな不安を見透かしたように、メロリナさんがザインを見据えたまま、平時と変わらない声音で、後ろにいるオレに話しかけてきた。


「お前さんは、わちきとザー坊、どっちに勝ってほしいのかや?」


 店の中は喧騒に包まれており、この会話は他の人には聞こえていない。

 どっちに勝ってほしいか。その質問は少し難しい。

 正直に言っちゃうと、腕相撲勝負に名乗り出た六人のうち、半数を同行者として選ぶなら、オレはミノコ、拓斗、フレアさんの三人がよかった。だけど、ミノコはロドリコさんと引き分けちゃったし、拓斗とフレアさんは対戦するから、どちらか一人は必ず脱落してしまう。


 オレは下半身丸出しの変質者と、ランドセルが似合いそうな幼女を見比べた。

 ザインが勝ったら、道中延々と覇王自慢を聞かされたり、求婚を迫られたりと、ロドリコさん以上の疲労困憊は確実。かと言って、メロリナさんが勝ったとしても卑猥なサキュバスネタでオモチャにされる未来が待ち受けている。

 それでも、どうしても選ばなくちゃいけないというのなら。

 …………。

 男に言い寄られるよりは、幼女の遊びに付き合う方がいくらかマシか。

 願わくは、また引き分けで勝者無しになってくれるとありがたいけど。


「メロリナさんに勝ってほしいです」

「そう言うわりに、あんまり応援されとるようには思えんの」

「だって、メロリナさんが勝ったら、絶対オレのことオモチャにするでしょう?」

「わかっとらんのう。疑似的とはいえ、年端もいかぬ幼女に弄ばれるなぞ、普通は金を払ってもできん貴重な体験じゃぞ? それを喜ばんとは、お前さん、いよいよ心も女子おなごになってしまったんじゃないかや?」

「男が皆ロリコンみたいに言わないでください」

「別にロリコンになれと言っているのではありんせんよ。心がの子なら、ロリも愛でられるようになってはどうかと提案しておるにすぎん。わちきの経験上、性的嗜好の幅は広げられるだけ広げた方が、人生有意義に過ごせるぞい。ただし、広げすぎて、お縄につくようなことになっても責任は持てんがの」


 投げっぱなしですか。


「メロリナさんは、その……自分の体にコンプレックスとかないんですか?」

「そんなもん、二百年前に諦めとりゃす。どうにもなりんせんことを、いつまでもうじうじ悩むくらいなら、この体でしかできない楽しみ方を探した方が、よっぽど建設的でないかや?」


 ――お前さんにも言えることじゃぞ。

 メロリナさんの言葉には、そんな意味も含まれている気がした。

 今日のメロリナさんの衣装は、シンプルで上品なクラシックロリータだ。戦いを前にした気合いの表れか、胸元にあしらわれている紐状のリボンを少しだけ緩め、胸元を開放的にした。


「メロリナさん、本当にやるんですか?」

「わちきの心配をしとるのかや?」

「心配の一つもしますよ。名目上は、オレの護衛を決める勝負なんですから」

「護衛か。そのへんは適当にやるつもりじゃから、責任を感じる必要は無いがの」


 適当て。だったらなんのために参戦したんですか。


「護衛だけなら、わちきでなくとも負傷退場した者以外なら誰でも務まるじゃろ。参加したことに深い意味はありんせん。王都で好きに飲み食いするくらいの経費はちんちんの奴からもらえるじゃろし、たまの遠出も悪くはないと思っただけよ」


 ちんちんって誰だ?

 ああ、ザブチンさんか。酷いな……。


「他に理由をつけるとするなら、そうさな。お前さんも淫魔として、そろそろ次の段階に進んでもいい頃かと思ったんでの」

「次の段階?」

「まあ見とれ」


 何をするつもりなのか。この腕相撲勝負でそれを見せてくれるのか?

 気になる台詞を残したメロリナさんの後ろについていると、ザインが不服そうに双眸を細めてオレを睨みつけた。


「リーチよ、何故そちら側に立っている?」

「何故って……」


 一応は、オレを護衛するために参戦してくれている奴に、面と向かって、お前の応援してねーから、とは言いにくいな。


「お前がいるべきは、我の隣か、覇王の御前と決まっている。こっちへ来い」

「死んでも行くか。お前はお呼びじゃないから帰れ。パストさんと代われ」

「やれやれ。我の気を引きたいばかりに、そうやってツレない態度を取ってしまう気持ちはわからんでもないが、今は我が来いと言っているのだ。素直になれ」


 これ以上ないくらい素直な気持ちをぶつけたつもりなんだけど。


「そこな幼女よ。怪我をしないうちに去れ。紳士たる我は、女という生き物全てに敬意を払っているが、月の物も来ておらぬような幼女にまで手を出したりはせん。我が寵愛を受けたくば、まずは初潮を迎えてからにするがいい」

「月の物か。確かにきておらんのう」

「ふ、まだ母親の乳が恋しい年頃であろう。だが素材は悪くない。将来が楽しみな逸材よ。我は貴様の成長を待っているぞ」


 勘違いしてるようだけど、この人、初潮どころか、もう閉経してるんで。


「ていうか、その理屈で言うなら、オレもお前の対象外だろ」

「どういう意味だ?」

「だってオレ、まだ生理来てねーもん」


 ドヤッ。

 初潮が来ていない。そのことがなんとなく、自分の中にあった男らしさが、まだかろうじて生き残っているような、そんな気がしている。


 とはいえ、転生してきて約一ヶ月。日数を考えれば、いつ来ても不思議はない。

 スミレナさんに、その時の準備と覚悟だけはしておくようにと言われているけど……本当に来るんだろうか。来ないなら来ないでいいっていうか、できることなら一生来ないでほしい。辛いって聞くし。


 なんにせよ、これで多少なりとも、ザインがオレへの関心を薄めてくれれば儲けものなんだけど、そう上手くはいかないかな。

 なんてことを考えていると、ふと、周囲の騒がしさが消えていることに気づく。ギャラリーが皆、呆気に取られたように目をぱちくりと丸くしている。

 が、その静けさも一瞬。すぐに喧騒を取り戻す――


「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」


 ――どころか、さっきまでの三倍はある熱狂に膨れ上がった。


「な、何!? なんだ!?」

「りぃちや……お前さん、またえらい燃料を投下したものでありんすなあ」


 メロリナさんが呆れている。オレ、何か変なこと言いました?

 店が倒壊するのではと思うほどの騒音が吹き荒れる中、ザインが「なるほど」と何かに納得しているのを聞き取った。


「それはつまり、リーチとの情事の際、避妊の必要が無いという主張をしているのだな? 案ずるな。我は元よりそのつもりだ」

「お前マジで帰れよ」


 でも、そうか。

 そういうことか……。

 ザインの戯言で、メロリナさんの言う燃料の意味と、周りの男連中が騒いでいる理由がわかった。オレ、なんつーことを口走ってしまったんだ。

 しかも、あんなにも堂々と……あんなにも誇らしげに……。

 穴掘って埋まりたい……。


「リーチよ、初潮が人より遅いからといって、嘆かずともよい」


 おい、勘違いやめろ。


「我は歓喜しているぞ。記念すべきその日を共に迎えることができるのだからな。リーチに初潮が訪れた暁には、世界中に散る我の配下を一堂に集め、盛大な祝いの宴を催すとしよう。三日三晩、世界を狂乱の渦に陥れてくれようぞ」


 何その公開処刑。開催が決定した時点で死ねるわ。


「礼には及ばん。お前の体はお前だけの物ではない。初潮を迎える。それすなわち我の子を成すことができるようになったということに他ならない。これを喜ばずにいられようか」

「お前、いい加減に――」

「いい加減にせんか、わっぱ


 いつまでも寝言を垂れ流すザインに堪忍袋の緒が切れ、怒鳴り散らしてやろうとするが、メロリナさんの粛然とした一喝に先を越されてしまった。

 童。それがザインのことだと一瞬わからなかった。

 ザイン本人も、自分のことだと、すぐには理解できていないようだった。


「幼女、我に構ってほしいのはわかるが」

「御託はいらん。はようテーブルに肘をつかんか。それとも、幼女相手にまだ降参をせがむか? カカ、魔王の名が聞いて呆れるわ」


 メロリナさんの見え見えの挑発に、ザインの眉がぴくりと動いた。

 それは苛立っているというより、聞き分けのない子供を相手にする大人の態度と言った方が適当だろうか。ザインは腰に手を当て、短い溜息を吐いた。


「よかろう。幼女といえど、その無礼には仕置きが必要のようだ」


 ザインは自慢の覇王を翻して前に進み、肘鉄の勢いでテーブルに腕を乗せた。

 ニヤリと不遜な笑みをたたえるメロリナさんもまた、テーブルの前まで進もうとするが、思い出したようにポケットから何かを取り出した。


「りぃちや、この魔道具を預かっておいてくりゃれ」


 そう言って手渡されたのは、片手に収まるサイズのピンク色の箱だった。

 用途がわからず、しげしげと眺めていると、メロリナさんが補足を入れた。


「わちきの〝本気スイッチ〟でありんす。ここぞというタイミングで合図を出しんすから、それに合わせて出力を最大にするんじゃ」


 聞いてもわからなかった。

 裏返してみると、目盛りとスイッチがついており、弱~強まで設定できるようになっている。なんの出力だろうか。既に弱設定になっている。


「さて、自意識過剰な小僧の鼻っ柱を折ってやるとするかの」


 怖いもの知らずなメロリナさんが、ザインに続いて勝負位置に立った。

 そんな彼女からは、ヴィィィン、と奇妙な駆動音が絶えず聞こえていた。

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