第112話 お世話になります

「スミレナさん、これで拓斗の居候は認めてもらえますよね?」

「そ、そうね。まさか、これほどとは思わなかったわ」

「でしょ? でしょ? オレが一目置いてる男ですからね。当然ですよ」


 自分のことのように、えっへんと胸を張った。



 ……あ、



「居候は構わないとして、問題は部屋なんだけど、お店の方で寝てもらうわけにもいかないし、エリムと相部屋でお願いしたいんだけど」

「異議あり!!」


 話がまとまりそうだったところへ、誰かがピシャリと言い放った。

 それは店の隅っこで膝を抱え、壁と睨めっこをしていたエリムだった。

 魔王に唇を奪われたダメージから復活できたのか。


「そういう大事な話を僕抜きで決めるのは、たとえ姉さんでも許さないよ」

「あら、ごめんなさい。しっかりしていたわ」


 うっかり、ですよね? しっかりしてたら間違えませんよね。

 事が済んだので、オレの影武者をするために装着していたカツラは外している。ただし、ワンピースは着たままだ。格好は恥ずかしいのに、やけに堂々としているので不思議と情けなさは感じない。

 そんなエリムが拓斗の前に立った。


「こうして話すのは二度目ですね」

「そういや、俺はまだ名乗っていなかったな。新垣拓斗。利一の友達ダチだ」

「お噂はリーチさんからかねがね。驚きましたよ。アナタがタクトさんだったんですね。でも、ようやく会えました」


 なんだ、エリムも拓斗に会いたいと思ってくれていたのか。


「僕も改めて名乗ります。リーチさんの、親友のエリム・オーパブです」


 そう言って、エリムはすっと手を出し、拓斗に握手を求めた。

 拓斗が笑顔でその手を取る。


「さっきは体を張って利一の盾になってくれてありがとうな。あいつに代わって、の俺から礼を言っておくぜ」

「タクトさんこそ、全裸での登場には正気を疑いましたけど、大活躍でしたね」

「いやいや。野郎にディープキスされることを思えば、どうってことねェよ」

「確かに、最後はウシさんにいいところを全部持って行かれて涙目でしたもんね」


 ぎゅぅぅ、と力強い握手が交わされる。

 その光景に、うんうんと頷いていると、スミレナさんが耳打ちをしてきた。


「リーチちゃん、止めなくていいの?」

「何をです?」

「何をって」

「それより見てください。あいつら、さっそく打ち解けたみたいですね。あの二人ならすぐ友達になれると思ってたんですよ」

「本気で言ってる?」

「まあ、正直なとこ、ちょっと妬けちゃいますけどね」


 仲の良かった友人に、自分以外の友人ができる。友人の輪が広がるのは喜ばしいことなんだけど、少しだけ寂しくもある。そんな感じ?


「彼らの間に散ってる火花が見えないの?」

「火花? 火花なんて、どこに散ってるんです?」

「いや、比喩だから。目を凝らしても見えないわよ」

「すみません。異世界の表現にまだ慣れていなくて」

「そんな大層な話じゃないんだけど」


 それはそうと。


「部屋、オレが先に居候しちゃったから、余ってないんですよね?」

「ええ。だからタクト君には、エリムと相部屋で我慢してもらおうと思ったんだけど、エリムが反対みたいなのよね」


 そりゃまあ、自分のスペースが半分になっちゃうわけだし。


「なんでしたら、拓斗はオレと相部屋でもいいですよ? まだあんまり物も置いてないですし。よく考えたら、居候のオレが部屋を空ける方が自然――」

「アタシはリーチちゃんを、そんなふしだらな子に育てた覚えはないわよ!?」

「育てられた覚えもありませんけど!?」


 いきなり何を言うんだ、この人。

 突然の叱責に困惑していると、ダークエルフのお姉さんがオレとスミレナさんの傍にやってきて、「お尋ねしたいのですが」と言った。


「あの少女、いえ、少年? ――は、男の子だったのですか?」


 エリムのことだ。

 そこでようやく、まずい状況にあることに気がついた。

 男だと知らずにキスしていたことが魔王に伝われば、あの変態は怒ってエリムを亡き者にしようとするかもしれない。

 女には紳士だけど、男には容赦しない。そういう印象が、あいつにはある。


 そこまで考えたのか、考えた上で、まあいいかと思ったのかは定かじゃないが、スミレナさんが、あっさりと「アタシの弟よ」と答えてしまった。

 ダークエルフのお姉さんは、ふむ、と思案気に呟いた。


「あの、このことは、魔王には内緒にしておいてもらえませんか?」

「ご心配なく。魔王ザマァ――失礼、噛みました。魔王様には、私から申し上げるつもりはありません。それに知られたところで、あの方はこれくらいのことで腹を立てるほど狭量ではありません。それなりにショックは受けるかもしれませんが、女遊びが過ぎる魔王様にはいい薬になるでしょう」

「そ、そうですか。よかった」


 魔王なのに、そんな悪い奴じゃないのかな。

 いや、無断で人にキスしようとする野郎だ。変態であることには違いない。

 向こうから近づいて来そうだけど、極力相手にしない方がいいな。

 とりあえず、ホッとして視線を戻すと、魔王の性格で命拾いしたエリムが拓斗の鼻先に指を突きつけていた。


「タクトさん、アナタに勝負を申し込みます」

「勝負? なんの勝負だ?」

「今しがたのタクトさんと、同じことを僕にもしてもらいます」


 あいつ、なんか言い出しましたよ。

 同じことって、メロリナさんとマリーさんからの逆セクハラか?


「自分の方が(利一との同居は)相応しいと証明してェわけか?」

「そうです。それに、タクトさんばかり(リーチさんからの)好感度が上がるのは見過ごせません」


 相応しいとか、好感度とか、あいつらなんの話をしてるんだ?


「お前が勝ったら俺は居候を諦める。そういうことか?」

「ええ。そして僕が負けたら、僕の部屋をタクトさんに譲ります」

「本気なんだな?」

「僕はいつだって本気ですよ」


 なんか……険悪?

 もしかして、オレ、物凄い勘違いをしていたんじゃ……。

 そこに思い至ったことを察したのか、スミレナさんがオレの肩に手を添えた。


「リーチちゃん、さすがに、さすがに、あの子たちの気持ちに気づいたわよね?」

「……はい」

「わかってあげて。彼らは男の子なの」

「そりゃ、わかりますよ。オレだって、元は男なんですから……。そういう時間が必要なのは理解しているつもりです」

「うん?」


 部屋が狭くなるとか、そんなことは問題じゃなかったんだ。


「だけど、片方が風呂に入ってる時とか、プライベートな時間が全く無いわけじゃないですよね。そこまで相部屋を嫌がらなくたっていいと思うんですけど――て、あれ? なんで溜息ついてるんですか?」


 オレとスミレナさんが話している間に、エリムはテーブル席に座ってスタンバイを終えていた。


「さあ、メロリナさん、マリーさん、やってください!」

「今度は最初からわちきも参加させてもらおうかの」

「どゅふふ。ええの? また年下の男の子を好きにしてええの?」


 いけない。淫魔と人妻がヤる気になってしまっている。


「メロリナさん、お願いですから、あんまり無茶なことはやらないでくださいよ。サキュバスのイメージが悪くなるんですから」

「カカ、これ以上悪くはなりんせんよ」


 それなら安心……なのか?


「マリーさん、度が過ぎると旦那さんに怒られますよ?」

「心配いらへん。ここだけの話、旦那はウチの犬も同然やから」


 同然も何も、犬そのものでしょうが。


「では始めようかの。エリム坊、何をもって勝利とするのかや?」

「三分間、お二人に何をされようとも、僕は表情一つ変えません。もちろん股間を大きくすることもありません」

「言いおったな。その威勢、ハリボテではないところを見せてもらおうかや」


 拓斗の時と同様、メロリナさんがテーブルの下に潜り、マリーさんが両手をわきわきさせながらエリムの背後に回った。


「リーチさん、僕を信じてください」


 そんな真っ直ぐな目をして言われても、ぶっちゃけ、誰を応援していいのかすらわかってないんだけど。

 展開に置いてけぼりを喰らっていると、拓斗が隣に立った。


「スゲェ気迫だぜ。悔しいが、認めざるを得ねェな。あいつの本気を」


 だからって、自分からアレに挑もうとするのは逆に引くっていうか……。

 オレ、間違ったこと考えてないよな?


「それよか利一、さっきから、何をもそもそ背中をまさぐってんだ?」

「さっき反り返った時にブラジャーのホックが外れたんだ。服を着たままだと付け直すのが難しくて。んしょ、この、なかなか、くそ。……あ、片方零れた」



「エリム坊、あうとー」



 ……は?

 開始の合図すらされないうちに、メロリナさんがそんな宣言をした。

 見れば、エリムが俯いてぷるぷると肩を震わせている。

 え、まさか……勃ったの? もう終わり?


「メロリナさん、マリーさん、いったいどんな技を……」

「いや、お前だろ」


 何故か耳を赤くした拓斗が、手で顔を覆いながら言った。

 オレが何? オレはエリムに指一本触れてないぞ?


「やれやれ。自分の弟のことながら、だらしないわね」

「こんな……馬鹿な」

「馬鹿な、じゃないでしょ。そんな体たらくで、どうして勝てるなんて思ったの」


 愛の鞭だとしても、弟に対して、スミレナさんは本当に厳しい。

 オレなんかを妹にしようとするくらいだし、エリムも女として生まれていたら、さぞかし可愛がってもらえただろうに……。


「約束は約束よ。リーチちゃんと同居する権利はタクト君に――」



「「「ちょっと待ったあああああああああ!!」」」



 決着がついたと思われた矢先、扉を破壊する勢いで男たちが雪崩込んで来た。

 先頭にいるのは、例によってロドリコさんだ。


「黙って聞いていれば、新参者がリーチたん――否、リーチ姫と同居だと!?」

「許せん!」「許せん!」「許せん!」「許せん!」

「許せん!」「許せん!」「許せん!」「許せん!」


 姫って言うな。


「リーチ姫と一つ屋根の下で暮らしたくば、我々を倒してからにしろ!」

「表へ出ろ!」「表へ出ろ!」「表へ出ろ!」「表へ出ろ!」

「表へ出ろ!」「表へ出ろ!」「表へ出ろ!」「表へ出ろ!」


 男たちが口々に拓斗を挑発する。


「あー……拓斗、あの人たち、頭おかしいから無視した方が――」

「上等だ」


 拓斗は真っ向から挑発に乗った。そして、リングに上がったレスラーがマントを外すように、腰に巻いていたタオルを天井に向かって投げ捨てた。

 なんで?


「く、平時でその大きさとは……。だが、怯むわけにはいかない! 皆、続け!」


 ロドリコさんが、身に着けた防具類を外し、下に着ていたシャツやズボンも脱ぎ始めた。後ろに居並ぶ男たちもそれに倣って裸になっていく。

 いや、だからなんで?


         裸


         裸

 裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸。

 裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸。

 裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸、裸。


 全部男の裸。ムサ苦しすぎて目が腐りそうだ。

 不意に、ロドリコさんの視線がエリムに投げられた。


「そう言えば、既に抜け駆けして、リーチ姫との蜜月を過ごした輩がいたな」


 ビクッ、と肩を跳ねさせたエリムの顔が、みるみる青ざめていく。


「エリム、どうやら逃げられねェみたいだぜ。腹をくくるっきゃねェな」


 むんず、と拓斗がエリムの襟首を掴んだ。


「え? タクトさん? え?」

「オラアアアアッ!! テメェら、まとめて掛かって来いやァァァァア!!」

「ちょ、えええ!? 放し、た、助け、助けてえええええええええええ!!」


 ………………。

 ……何コレ。

 舞い立つ埃が落ち切った頃、店に静寂が訪れた。

 オレだけじゃなく、残された女性たちは一様に唖然として、しばらくは入り口で揺れるスイングドアを見つめ続けた。


「そ、そろそろ私は失礼させていただこうと思います」


 そんな中、ダークエルフのお姉さんが、申し訳なさそうに沈黙を破った。

 スミレナさんが、慌てて待ったをかける。


「そういえば、まだ名前を伺っていなかったわね」

「名前ですか? パスト・シアータイツと申しますが」

「お住まいがどこか知らないけど、もうそちらにお帰りになるの?」

「魔王様がこちらに来る際、またゲートを開かなければならないので、それまでは待機するつもりです」

「どれくらいの予定?」

「溜まっている政務を魔王様が片づけるまでですので、短くとも一週間ほどは」

「それまではどちらで?」

「近くの森にでも身を潜めていようかと思っていますが」

「あら、それならウチを宿にすればいいわ。ちょうど部屋が一つ空いているの」


 え、スミレナさん、それって。


「私は魔王勢力に属す者ですが、恐ろしくないのですか?」

「何か企んでいるの?」

「いえ。魔王勢力を上回る戦力がそちらにある以上、できることなら事を構えずに友好的でありたいと思っています」

「うふ。じゃ、決まりね。アタシはスミレナ・オーパブよ」

「いいのですか?」


 外を気にするパストさんに、スミレナさんは笑顔で答える。


「なんの問題も無いわ」


 パストさんが深く腰を折り、「お世話になります」と言った。


「あの、スミレナさん……そうなると、エリムと拓斗は?」

「大丈夫よ。この時期はまだ暖かいから」


 あ、なるほど。

 外からは、何も知らない男たちの熱い雄叫びが夜中まで続いた。

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