第107話 初めてだったのに
牛に跨る
それを見送った後、ふらりと膝から崩れ落ちそうになるのを、カリーシャ隊長に支えられた。全ての強化が解け、一般人レベルまで落ちた俺の出る幕はなくなったのだと思うと、いっそう体から力が抜けてしまったようだ。
「しっかりしろ」
「すまねェ」
「今のは……彼女か?」
「利一だ。やっと見つけた」
「見つけた? まさか、彼女が探していた、もう一人の転生者だと言うのか?」
俺は万感の思いで頷いた。
親友と再会できたことへの喜びと、顔立ちどころか性別まで変わっていたことに対する戸惑いがない交ぜになっている。利一と知らずに熱を上げていた分、恥ずかしいという気持ちも大きい。そのあたりの事情を知っているカリーシャ隊長には、後でいじられそうだ。
「何が起こっているんだ? あれよあれよと言う間にホログレムリンどもは消えているし、何故かパンツが下がっていたし。しかも尻を揉みくちゃにされたような、気持ちの悪い感覚も残っているんだ」
「不思議なこともあるもンですね(棒読み)」
「……おい。何故目を逸らす? おい、私の目を見ろ」
「そンなことよりも!」
「そんなことだと……」
「今のうちに、ここにいる騎士たちを立て直して、第一部隊の連中の救援に」
五匹倒しても、まだホログレムリンは十五匹もいる。
「――その必要は無いと思われます」
戦いを傍観していたパストが、あまり声に感情を乗せずに会話を挟んできた。
ダークエルフの長い耳が、ぴくぴくと細かく動いている。
「必要無いって、どういう意味だ?」
「十二……十一……十……」
「なんのカウントだ?」
「ホログレムリンの個体数です。先程の生き物の仕業でしょう。ホログレムリンの魔力が次々に消失しています」
「……パねェ」
間違いなく俺より強い。ひょっとしたら、ザインよりも?
「八……七……六……あ」
「どうした?」
「おそらく、魔王様が轢かれました」
「マジで!?」
そのわりに、顔色一つ変わってませンけど?
それどころか、「ちょっとイイ気味」みたいな顔になってません?
「食べられたわけではないようですが、これは気を失っていますね」
本気で魔王よりも強いのか。
だとしたら、あの牛のレベルは一体いくつなンだよ。
「……こりゃ納得だ」
ロリサキュバスがアーガス騎士長に切っていた啖呵は、ハッタリでも、虚勢でもなかったンだ。【オーパブ】には、まともにぶつければ軽く騎士団を壊滅させられるだけの戦力があった。ただ、相手が人間だから遠慮していただけのことだ。
売っちゃいけねェ相手に喧嘩を売っちまったってことか。
ここまで圧倒的ならホログレムリンの一掃は容易だろう。
魔王襲来に一時はどうなることかと思ったが、結果オーライと言える。
さっきの牛は、誰の目にも利一が操っているように見えたはずだ。近くで聞いていた限り、主従関係とはまた違う気がしたけど、多分、わざとそれらしく演出し、利一の手柄を強調しようとしているンじゃないだろうか。
「騎士団の面目は丸潰れだな」
俺はシコルゼに肩を借りているアーガス騎士長に目をやった。
複雑な顔をしている。無理もねェな。
なんせ、討伐しに来た相手に、今まさに命を助けられているンだから。
「三……二……一……。ホログレムリンの魔力が全て消失しました」
「すげェ。本当にやり遂げちまったよ」
パストの報告に驚嘆していると、出撃して行った方向とは反対から利一が戻って来るのが見えた。ざっと町を一周してきたようだ。
悪漢どもを蹴散らしてきた戦果からか、利一の自信に満ち溢れた表情は、まるで
下の牛は例の如く、口をもむもむと動かしている。
「お、おかえり」
「ただいま」
簡潔な遣り取りをすると、利一が牛の背から飛び降りた。
たゆゆん、と揺れた。
反射的に視線を釣られ、「うっ」と唸ってしまう。改めて見てもでかいな。
反面、全体的なサイズはやっぱり小さい。余裕でつむじが見えるくらい。俺より頭一つ分は小柄だ。本当に、女になっちまったンだな。
華奢で、ふわふわで、抱きしめたら折れるんじゃないかとさえ思う。
矛盾しているようだけど、だからこそ、この腕で抱きとめたい。
そんな衝動に駆られるのは、今日までずっと探していたから。
ここで掴まえておかないと、また離れ離れになってしまう気がしたから。
苦難の末に再会した親友を抱擁するのは、別におかしなことじゃない。
他意は無いと自分に言い聞かせながら、俺は利一の肩に手を伸ばした。
「利一……」
「ごめん、急いでるから」
すげなく言われ、利一は俺の腕をするりと掻い潜って【オーパブ】に入った。
牛もそれに続く。
「ンモ」
すれ違いざま、「お疲れ」と言われた気がした。
そのまま牛も店の中に入って行こうとする。
そこで、ぎょっとした。
牛の尻尾がザインの足首に巻きつき、ずるずると引きずっていた。
周囲から、「まさか魔王が……」「魔王まで倒したのか!?」――そんなざわめきが聞こえてくるが、誰一人その場を動けないでいる。自分たちは勝者ではないと自覚しているからだろう。全部牛に持っていかれた。
その気持ちは俺にもあったりするけれど、このままじっとしていられない。
俺もまた【オーパブ】の玄関についたスイングドアを押した。
店の中は野戦病院のように慌ただしい喧騒に包まれていた。
「やばいで! 脈が小さなってきとる!」
シコルゼに斬られて息も絶え絶えのリザードマンが床に寝かされ、犬耳女性と、利一と同じ金髪の女の子が懸命に止血を施していた。
「ああ、ギリコさん、もう少し頑張って! メロリナさん、言われたとおり連れて来ましたけど、本当にこいつがギリコさんを助けられるんですか!?」
「おそらくの」
牛がリザードマンの隣にザインを置いた。
ザインなら、あのリザードマンを助けられる? どうやってだ?
首を傾げていると、いつの間にか背後にカリーシャ隊長とパストが立っていた。
そしてパストが俺の疑問を読み取り、「魔王様の特能なら可能です」と答えた。
「魔王の特能って、確か、一瞬で人間を老人に変えていたあれか?」
「はい。魔王様の特能【
「す、すげェな」
「ですが、あの少女、どうして魔王様の特能のことを」
パストにも疑問は残るようだ。今さらだが、牛といい、ロリサキュバスといい、【オーパブ】陣営は得体が知れねェぜ……。
「暴れられても困るけど、ザインを助けようとはしねェのか?」
「あの白黒の生き物がいる限り不可能でしょう。いざとなれば、魔王様を見捨てて私は逃げますが、彼らに敵意は無いようなので、その心配はしておりません」
騎士たちは別として。パストはそう付け加えた。
「起きろ! こら変態、目を覚ませ!」
利一がザインの頬をぺちぺちぺちぺちと叩いて覚醒を促した。
ぴくりと眉が動き、ザインの目蓋がゆっくりと開いていく。
「む、う……ここは……」
ザインが薄く目を開けた。
「そこにいるのは……リーチ……か?」
まだ寝ぼけているのか、焦点が合っていないようだ。
「リーチ……もう少し、近う寄れ」
「なんだよ?」
言われるままに、リーチが身を乗り出して顔を近づけた。
そこへ、あろうことか、ザインは――
ズキュウウウン!!
と、濃厚で、熱烈で、貪るようなキスをかましやがった。
「チュウウウ、レロレロレロレロ、チュパッ、ペロペロペロペロ、チュルルルル、ルレロルレロ、ズズズズ、ペーロペロペロペロ、ルロロロロロ、クチュクチュッ、チロチロチロチロ、チュッチュッ、ヌレロンペロチュルズピュッパチューチュー」
凄まじく淫靡な音が店内に響き渡った。
ザインは金髪に指を差し込み、頭を固定している。あれは逃げられない。
された方は、ビクン! ビクン! と痙攣している。
「ふぅ。やはり男を目覚めさせるには、乙女の唇が一番よ」
ディープすぎるキスは息が切れるまで、実に十数秒に及んだ。
二人の唇と唇には糸が引き、離れるのを惜しむように繋がっている。
利一は放心している。俺もだ。
あまりにも予想外の出来事を前に、事が終わるまで一歩も動けなかった。
それは他の連中も同じ。ただ一人を除いて。
「む、リーチではない。誰だ貴様は?」
ザインにキスされた女の子が、ぱたりと糸が切れたように倒れた。
危うく利一がキスされそうになったところへ、あの子が割り込んだのだ。
結果、利一の身代わりとなってしまった。
「…………て、んん?」
あれってもしかして。
エリム・オーパブじゃね?
あの線が細くて生意気な面は忘れもしない。間違いない。エリム・オーパブだ。
なんで女装してンのかは知らねェけど、とにかくファインプレーだ!!
「ああああ、なんてことや!? エリム君――やのうて、エリコちゃんの初チューが奪われてしもた!」
いち早く我にかえった犬耳の女性が、演技臭い台詞を大げさに言った。
「この娘、初めてであったのか」
「いつか好きな人ができた時のために、十六年間大事に取っておいた初チューやのに、それを人違いで済ませるんはあんまりやで! 男としてあかんのとちゃう!? 責任取ってや!」
「ふっ、当然であろう。我が責任をもって、愛人として一生不自由の無い暮らしを約束しよう。エリコと言ったか。リーチ共々、我の物となる栄を与えよう」
エリコ――もとい、エリム・オーパブは、さめざめと涙を流すばかりで目が虚ろになっている。時折「リーチさんの前で……」と呟いている。さすがに哀れだ。
「泣くほど喜ばれるとは。我も罪な男よ」
完全復活したザインは前髪を掻き上げ、自身の美に陶酔した。
「おのれ、魔王め……。少女の唇を奪っておいて、あの態度は許せない」
憤るカリーシャ隊長に、俺はこっそりエリム・オーパブが男だと教えてやった。
「あの少年をスカウトしてくる!」
「話がこじれるからやめなさい」
なんのスカウトだよ……。
責任は愛人ではなく、リザードマンの彼を治癒するということで話がついた。
パストが言ったように、それは時間の巻き戻しだった。
ザインがリザードマンの傷に手をかざすと、致命傷が独りでに塞がり、ついでにプロテクターの損傷まで元に戻っていったのだ。
まだ目は覚まさないが、苦しそうだった彼の呼吸は落ち着いていった。
「この特能は無から有を作るものではない。失った血と体力までは戻らん。その点は注意せよ」
「ギリコさん、よかった……。ありがとう! 変態だけど、本当にありがとう!」
「リーチよ、礼をしたいと言うのならば、今宵我と――」
「もう用はないから帰っていいぞ」
「相変わらずつれぬな。だが、それでこそ攻略のしがいがあるというもの」
利一とザインの間に何があったのか問い詰めるタイミングを窺っていると、店にスミレナさんがやってきた。
「首尾は上々のようね」
「よく戻ったの。拘束されたりはせんかったかや?」
「一応捕まりはしたけどね。突然魔物が現れて、それどころじゃなくなったみたいだから、隙をついて逃げてきたわ」
ロリサキュバスが一頻り笑うと、その笑みに邪気めいたものを含ませた。
スミレナさんも同じ顔をしている。
「さて、落とし前をつけさせに行きましょうか」
「カカ、これほど優位に交渉を進められるとは思いもせなんだわ」
自業自得とはいえ、俺はほんの少しだけ騎士団に同情した。
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