第89話 カリーシャの潜入調査

 王都騎士団第三小隊隊長カリーシャ・ブルネット。

【メイローク】の領主邸が【オーパブ】の関係者によって襲撃されたという報告を受けた日の夕刻、私は現地へと飛んだ。


 与えられた任務は至って単純。

 以前より危険視していた【オーパブ】、その店員三名のステータスを確認する。

 これだけだ。

 実行犯の少女が人間ではないことは間違いないと思われるが、後ろで手を引いている人物がいないとも限らない。特に【オーパブ】店主の存在感と、その影響力は無視できない。彼女もまた、人間ではない可能性がある。


「ずいぶんと賑わっているな」


 店内のがやがやとした喧騒が表路地まで聞こえてくる。

 驚いた。開店間もない時間帯なのに――だからではない。領主邸襲撃などという事件を起こしておきながら、普通に営業していることにだ。


「入ってもいいのだろうか」


【メイローク】を訪れたことはあるが、二十歳になるこの歳まで酒場など縁の無い店であったため、足を踏み入れるだけでも緊張してしまう。

 いや、本当の原因は別にある。

 初の単独任務。しかも、私の調査結果次第で捕獲任務になるか、討伐任務になるかが変わってしまう。責任重大だ。

 だが、これは私にしかできないことだ。

 そう考えると遣り甲斐もある。


「頑張るぞ」


 入り口付近をうろうろしながら店の中を覗き込んだ。入って案内を待っていればいいのか。そのまま空いている席へ向かえばいいのか。

 後者に決定。入ってすぐの所にあるテーブルを囲む客たちが厳つい。女が一人でキョドっていて、変に絡まれでもしたら厄介だ。

 潜入調査は、とにかく目立たず、揉め事を起こさずが鉄則だ。

 私は店に入ると、空いているカウンター席へと一目散に早足で向かった。


「ここ、座っても構わないだろうか?」

「ええ、どうぞ」


 カウンターを挟んで、物腰の落ち着いた若い女性が微笑んだ。

 私とそう変わらない歳だと思われるが、聞いていた特徴と一致している。

 この人物が【オーパブ】の店主、スミレナ・オーパブだ。

 早速一人目。

 私は目に力を入れ、自身の特能である【磐座具視シークレット・アイズ】を発動させた。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

【スミレナ・オーパブ】

レベル:8

種族:人間

年齢:22

職名:【メイローク】の影の支配者

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 ごくり、と息を呑んだ。

 人間ではあった。しかし、影の支配者……だと。

 さすが、騎士団が危険視している首謀格なだけのことはある。要注意継続だ。


 本命の少女はどこだ?

 金色の髪に大きな胸。一目でそれとわかるということだったが、該当する人物はフロアに見当たらない。休憩中だろうか。


「何か作りましょうか?」


 影の支配者が人のいい笑みで訊いてきた。

 作る? 料理のことか? いや、この場合は酒か。

 実を言うと、私は酒を飲んだことがない。なので、自分がどれくらい飲める体質なのか全く把握できていない。調査任務が即日でなければ試しておいたのだが。


「では、あまり強くない酒を適当にお願いしたい」


 任務中に酒を飲むというのも若干後ろめたくはあるが、酒場に一人で来ておきながら酒を頼まないというのも、逆に目立ってしまうかもしれない。


「ちょうどよかった。女性にオススメしたいお酒があるの」

「なんという酒だ?」

「【リーチのしぼりたてミルク酒(しゅ)】よ」

「個性的な名前だな。……ん? リーチ?」

「ウチの看板娘の名前から取っているの」


 リーチ。

 その名は確か、アラガキタクトの友人、もう一人の転生者と同じではないか?

 だが、奴の友人は男性のはず。関連性は無いか。


「どうかした?」

「……そのリーチという者は、本当に女性なのか?」

「ええ。だけどミルクと言っても、母乳じゃないから安心してね」

「そうではなく、我々の――」

「我々?」

「あ、いや、やっぱりなんでもない」


 我々の探している人物の名も。そう言いかけてしまった。

 危うく、自分が騎士であることをバラしてしまうところだ。

 このタイミングで騎士が来店する理由など、敵情視察しか考えられないからな。


「姉さん、何か料理の注文はあった?」

「いいえ、まだこれからよ」

「じゃあ、お通しの【栗豆の塩茹】だけ置いておくね」


 カウンター席の向こうにはもう一人、線の細い少年がいた。

 影の支配者の弟だ。

 彼女の血縁者なら、職名の項目にはさぞ仰々しい称号がついていることだろう。

 私は二人目のステータスを確認した。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

【エリム・オーパブ】

レベル:5

種族:人間

年齢:16

職名:内なる性欲と戦いし者

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 弱。

 あと…………いや、何も言うまい。

 私の前に、冷えたグラスに入った小麦色の飲み物と、黄色い茹で豆が置かれた。


「皮ごと咥えて、中の豆だけ食べてね」

「面白い食し方だな。まずは飲み物をいただくとしよう」


 努めて冷静に、けれど内心ではビクビクと、私は初めての酒を口にした。

 瞬間、口の中いっぱいに甘さが広がり、喉を通って行く最中も続く濃厚な味わいが私の味覚を魅了した。


「美味しい!」


 酒とは、こんなにも美味なものだったのか。それとも、この酒が特別なのか。


「うふふ、気に入ってもらえたみたいね。今日から始めた新商品なの」

「そうなのか。私は運の良い時に来たのだな」


 グラスを傾け、コク、コク、コク、と飲み干すまで私は口を離さなかった。

 甘味の中に、ほのかなコーヒーの苦味があり、味に飽きが来ない。


「同じ物をもう一杯いただけるだろうか」

「大丈夫? 飲みやすいけど、お酒はお酒だから」

「心配ない。これならいくらでも飲める」


 なんだ。私は酒に強い体質だったのか。


「お客さん、ウチに来るのは初めてよね。王都の人なの?」

「いや、この町の人間だが」


 時期が時期だから、王都の人間というだけでも怪しまれるかもしれない。

 そう考えてついた出任せだったが。


「それはおかしいわ。私はアナタを見たことがない。【メイローク】で暮らしている人の顔と名前と住んでいる場所は全部覚えているのに」


 面食らった後、すぐに冷たい汗が背中を伝い落ちた。

 いくら大きな町ではないと言っても、人口千人は下らないはずだ。

 それを当然のように、事も無げに、顔と名前と住所を全て覚えているだと?

 嘘が完全に裏目に出た。


「こ、この町に親戚がいるんだ。それでしばらく滞在を」

「ああ、そういうことだったのね。誰の親戚かしら」


 追及に、「それは……」と口ごもってしまう。

 まだ例の少女のステータスを確認できていない以上、逃げるわけにはいかない。

 一か八か、適当に珍しくない名前を出してみるか。


「ふふ、ごめんなさい。その人がお店に来た時、アナタのことを話題にしようかと思ったの。だけど一人でいらっしゃったくらいだし、その誰かさんは、お酒を飲まない人なのかもしれないわね」

「え、あ、そう、だな。うん、こういう酒場には来ないと思う」

「残念だわ」


 助かった……のか?

 相手から話を切り上げてくれたことに全力で安堵するが、胸を突き破りかねないくらい心臓が暴れている。私は二杯目の酒を飲み干すことで心音を誤魔化した。


「お代わりをもりゃおう」

「ペースが早いわ。お通しを食べながらね」


 必要以上に調査対象と会話なんて交わすものじゃないな。

 それは最初からわかっていたが、私は彼女たちの人間性を知りたかった。

 私情を挟むつもりなんてない。アラガキタクトに頭を下げられたからだ。

 私の判断一つで、この店の命運は大きく左右される。

 例の少女が本当に魔物なのか。

 彼女たちが本当に罰するべき悪なのか。

 奴も同行を望んだが、騎士として面が割れているので、それはできない。

 だから私の目で、ちゃんと見て来てほしいと頼まれたのだ。


「ああ、また。ダメよ、そんなに勢いよく飲んじゃ」

「まっらく、ありゃりゃきたきゅともめんろうなことを言ってくれる」

「ありゃりゃきたきゅと? なんだか間の抜けた名前ね」

「わらひの部下ら。それよぃ、まらお代わひを」

「もう呂律が回っていないじゃない。アナタ、相当お酒弱いわよ」


 酒が弱い? いやいや、そんなはずはない。

 だってほら、飲めば飲むほど、ふわふわと気持ちが良くなってくる。


「お酒はここまで。お水を用意するわ」

「けちけちしらいでほひい。わらひはきゃくらぞ」


 おや、影の支配者が躍っている。余興か何かだろうか。珍妙なダンスだな。

 ん、んん? 揺れている。店が揺れているぞ? どういう仕掛けだ。

 あれ? 浮いてる。私、宙に浮いてる?


「べろべろね。もしかして、お酒を飲んだのは初めてなの?」

「あろ、かんびゃんむふめはんはろこに」

「ごめんなさい。何を言ってるのか全然わからないわ」

「あひぇ~……」

「あ、潰れたわね」


 どうして皆、天井に立っているんだ?

 違う。床と天井が引っくり返っているのか。もう何が何やら。


「スミレナさん、洗い物終わりました。――て、その人どうしたんですか!?」

「酔い潰れちゃったの。悪いけどリーチちゃん、家に運ぶから、しばらく介抱してあげてくれる?」


 なるほど。これが酔うということか。

 暗転していく意識の中で、私はもう酒を飲むまいと誓った。

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