第70話 武を極めし神が揮う修羅の剣

「上にいるぞオオオオオオオオッ!!」


 喉を潰さんばかりに俺は叫んだ。

 約二十の松明が一斉に頭上へと掲げられ、天井を明るく照らし出す。


「なン……だ、ありゃァ……」


 注意を喚起した俺自身が目を疑ってしまう。

 そいつは巨大だった。

 その全体像を一目で把握できないほどに。四肢を四方に広げて天井に貼りついているが、地面に降りて直立すれば4mくらいになるだろうか。


 そいつは異形だった。

 彼●島にいそうなというか、フ●ーザの二回目の変身形態というか、頭が後ろに突き出し、手足はやけに長細い。同じく細長くて先端の尖った尾が生えている。


 そいつは一つ目だった。

 頭を縦に割いて埋め込んだみたいな単眼を、叫んだ俺にぎょろりと向けた。


「オイオイ、どう見ても、初戦で出会っていいモンスターじゃねェだろ」


 悪魔。これだという特定の形を持たない呼称だけど、見る者の恐怖を煽る存在のことを指すのなら、あの怪物にはピッタリの呼び方だ。


 瞬く間に第三小隊に震撼が走った。

 敵が前方から現れていたなら、騎士たちはすかさず隊列を戦闘に適した形に組み直しただろう。だけど、真上に現れた場合を想定したことはないのか、前後左右、どう陣形を展開していいのか判断できず、行動に遅れが生じた。

 アーガス騎士長の指示を待っているのかもしれないが、そんな余裕はねェ。


「ぼさっとしてンなアアァァ!!」


 最後尾にいた俺は、騎士たちに向かって飛び出した。

 モンスターが、天井にしがみつく手足の力を緩めようとしたのを見たからだ。

 その仕草を捉えた瞬間には、後に起こる被害を予想できた。

 予想した時には走っていた。足の裏を少し切ったが、痛みは無視した。

 手前にいた数人を掻き分け、俺は真下にいた騎士二人を両腕に引っ掛けるようにして倒れ込んだ。鎧を着込んでいるせいか、思ったより距離を稼げない。


「な、何をす――」


 自分の命が消えようとしていたことにも気づいていないのか、押し倒した騎士が声を荒げた。


 ――ゴグシャ!!


 直後、騎士二人が半秒前に立っていた場所に巨体が落下した。

 硬い地面が踏み砕かれ、石片が周囲に飛散する。

 あの重量に踏まれていたら、鎧を纏っていようが関係なくミンチだった。

 天界人の反応速度がなければ、この二人はそうなっていただろう。


「た、助かった。ありが――」

「礼はいいから立て! 背中の剣を抜け!」


 躊躇なく即死級の攻撃を仕掛けてきたことから、友好的に話し合いで解決できる相手じゃないことは明白だ。戦闘は不可避。いや、既に始まっている。


 最悪なことに、一団のド真ん中に着地しやがったせいで隊列はめちゃくちゃだ。

 早く立て直しを。

 しかし、そんな暇を敵が悠長に与えてくれるはずもなく、ファーストアタックを外されたとわかるや、追撃を狙っている。

 全体との比率で細く見えるが、女性の腕くらいなら余裕でありそうな人差し指を俺に向けてきた。どうでもいいことだけど、指が五本ではなく四本しかないので、あれを人差し指と決めつけていいのかわからない。


 つーか、俺かよ! こっちは鎧も武器も無い丸腰だぞ!?

 今からお前を殺すという指差し宣告――ではなく、指そのものがギュンッ! と凄まじい勢いで伸びてきた。

 異形の怪物らしい攻撃だと思った。

 喰らえば人体なんて簡単に貫くだろうなとも思った。

 さっきは天界人の反応速度に助けられたけど、今度は少しばかり恨んだ。

 攻撃は見えている。見えているし、体も動いているが、それでも避けきれない。

 一歩間に合わず喰らう。肉を貫かれる。臓腑を撒き散らす。

 その過程を刹那のうちに理解したため、俺は迫り来る恐怖と、それに伴う痛み、そして自分の死を、はっきりと知覚させられることになってしまった。


 ヤベェ、死んだ。


「――ぬぅううん!!」


 俺の胴体に怪物の攻撃が届く寸前。

 ギロチンの刃を落としたみたいに、アーガス騎士長が敵の指を切断した。

 ここで初めて大口を開けた怪物が「キイイィィ!」とヒステリックな声を上げ、伸ばしていた指を元に戻した。


「うおォ、アーガス騎士長グッジョブ、惚れる!」

「気色の悪い賛辞はいらん! カリーシャ!」


 呼ばれたカリーシャ隊長が右手でVサインを作り、中二っぽく右目に当てた。


「敵種族名は【ホログレムリン】、レベルは――」


 そこでカリーシャ隊長が、わずかに言葉を詰まらせた。


「レベルは27、上級――いえ、特級悪魔です!」


 俺の予想は当たっちまったってことか。迅速なフラグ回収ですこと。


「……いかんな」


 カリーシャ隊長の報告に、アーガス騎士長が渋面を作って呟いた。

 いかんの? そりゃまあ、アーガス騎士長よりレベルが一つ上だけど。こっちは一個小隊なんだし、なんとかなるンじゃ。


「総員、剣を盾にして撤退に備えよ!」

「なんだ、そんなヤバい状況なのか?」

「レベル15までを低級、20までを中級、25までを上級、それ以上のレベルを持つ悪魔を特級に指定している。このホログレムリンはレベル27。これはもう、単体で一つの都市を滅ぼせるレベルだ」

「マジ、かよ」


 その都市って、どの程度の規模? なんていう質問は挟まなかった。

 俺の認識とアーガス騎士長の認識にズレがあろうと、目の前の怪物が脅威であるということは十分に伝わってきた。

 ホログレムリンという名らしい怪物が、ギザギザに並ぶ歯を見せ、その口内からドス黒い息を吐き出した。


「人間の目にも視認できるほど濃い瘴気を吐き出すか……」


 アーガス騎士長の声に緊張が現れている。

 不意に、ホログレムリンの口から漏れていた瘴気が黒から赤へと変じた。

 赤い瘴気? ――じゃない。あれは火だ。

 口元に火をちらつかせたまま大きく吸気し、腹部がボコンと膨らんだ。


「気をつけろ! あいつ、火を吐くぞ!」

「タクト、カリーシャ、私の後ろへ!」


 初撃で隊列を崩されたのは好ましくないが、考えようによっては敵を取り囲んでいるとも言えた。が、そんなイレギュラーは、やはりデメリットでしかなかった。

 ホログレムリンが、腹で生成した炎を一気に、全方位に向けて吐き出した。

 グオオオォォ、と火炎放射器さながらのファイヤーブレスが騎士たちを襲う。


「う、あ、熱ゥ……」


 騎士によって大きさに個人差はあるようだが、アーガス騎士長が構えているのは中でも特にでかい両刃のブロードソードだ。

 そんな大剣を盾にしてアーガス騎士長は炎を防いだが、空気を伝わる熱波だけは背中で守られている俺にも届いた。とはいえ、ちりちりと肌を焦がす程度で済んだのは、ひとえにアーガス騎士長の働きあってのことだ。


 他の騎士たちは、そうはいかなかった。

 暴風の如き熱波は、騎士たちをその場に踏み止まらせることすら許さず、半数を壁面に叩きつけ、もしくは重い火傷を負わせて地面を舐めさせた。

 かろうじて炎を防いだ残りの半数は、さっきも見せた伸縮自在の攻撃――今度は指だけでなく、腕そのものを伸ばし、ゴミを片すように騎士たちを薙ぎ払った。

 アーガス騎士長だけが、剣を斜めに構えて敵の腕を滑らせることに成功した。


 一方的だった。

 ちゃんとした陣形を取れていたら、ここまで酷い状況にはならなかっただろう。

 アウトレンジの攻撃手段を持つ相手に、この場所は悪すぎる。敵の攻撃範囲内にいるくせに、こちらの攻撃は届かない。距離を取ろうにも岩壁がそれを邪魔する。そんな絶妙に最悪な間合いだ。


「オイ、これどうすンだ!?」


 どうやって勝つのか。そんな意味では訊いていない。

 ホログレムリンと遭遇して、まだ一分足らず。なのに、まともに立っているのはアーガス騎士長と、彼に守れられた俺とカリーシャ隊長だけだ。

 戦闘に関してド素人の俺でも、これが絶望的な戦局だってことはわかる。


「動ける者は近くの者に手を貸し、直ちに撤退せよ!」


 殲滅戦のつもりが、一転して撤退戦。

 アーガス騎士長と、その命令を受けた騎士たちの判断は早かった。


「騎士長、私は戦えます!」

「ダメだ! お前はタクトを連れて逃げるんだ!」

「で、ですが、騎士長お一人では!」

「これは命令だ!」


 カリーシャ隊長には悪いけど、彼女がこの場に残ったところで役には立てない。

 それどころか、アーガス騎士長の足を引っ張るだけだ。


 ホログレムリンが、とうとう両腕を使い出した。

 地面を抉り、壁を削りながら、腕を鞭のように縦横無尽にしならせる。

 アーガス騎士長は、剣一本で攻撃をかち上げ、受け止め、逸らし、弾く。

 防戦一方だ。

 だけど俺は、その見事と言う他ない剣捌きから目を離せなかった。


「なあ、カリーシャ隊長。ここって、【ラバン】とかいう国か?」

「そうだが、それがどうした!?」

「んじゃ、アーガス騎士長が使ってる剣術って、なんて名前?」

「なんなんだ、今そんな質問をしている場合か!?」

「いいから答えてくれ。アーガス騎士長だって長くはもたねェ」


 有無を言わせず強い語調で言った。


 ――大国【ラバン】でとされる攻防一体の両手剣技。


 だったら、可能性は高い。

 俺が真剣であることを汲み取ってくれたのか、カリーシャ隊長は「――神剣だ」と答えてくれた。

 ビンゴ! 俺が転生特典として選んだ剣術だ。

 その手本が眼前で、しかも実戦形式で披露されている。


 剣を盾のように駆使するが故の攻防一体。なるほど、そういう剣術か。

 敵の攻撃も、アーガス騎士長の動きも俺には全て見えている。

 あと必要なのは、自身の反応速度を活かす技術だけだ。

 傷ついた他の騎士たちが落としていった剣の一本を、俺は拾い上げた。


「タクト、何をしている!? 逃げろと命じただろう!」


 剣を取った俺に気づいたアーガス騎士長が、怒鳴るように言った。


「俺はアンタの部下じゃねェ。命令を聞く義理はねェな」


 なんて強がってはみたものの、正直ガクブルだ。

 全員で逃げられるなら、迷う余地もなく逃げてェよ。

 でもな、試しもしないうちから見殺しにするってのは、後味が悪すぎンだよ。


 なんのために【技能習得】で強くなることを選んだ?

 考えるまでもねェ。まさに、こういう戦況を覆すためだろうがよ。


 前世も含めて初めて手にした剣は、ずしりと重かった。


「行くぜ。転生者、新垣拓斗の初陣ういじんだ」

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