第69話 黒くてでかい変な形のナニか

「ところで、今ってどういう任務中?」


 敬語に直すタイミングを逃してしまったが、二回りは年上のアーガス騎士長と、嫌味女――もといカリーシャ隊長も、言葉遣いについて特に指摘してこないので、このままタメ口で通させてもらう。


「この洞窟に濃い瘴気が溜まっていると報告を受けたのでな。その解決が目的だ」


 アーガス騎士長が、男の耳でも惚れ惚れする渋い美声で答えてくれた。

 俺も年食ったら、こんなアダルティーな中年になりてェな。


「瘴気って?」

「悪魔が吐き出すガスのようなものだ。人体にそこまで影響はないが、一定基準を超える濃度に達すると、ゲートが発生してしまう」


 ゲートとは、一方通行の転移門のことだ。アーガス騎士長はそう補足した。

 それでもさっぱりなので、俺も質問を続ける。


「それが発生すると、どうなるンだ?」

「往々にして良からぬ場所と空間が繋がる。王都から十数キロしか離れていない、こんな洞窟の中に、突然凶暴なドラゴンが湧き出るという可能性もある」

「うへ、そりゃヤベェな。つまり、今回の任務はゲートの発生を未然に防ぐこと。瘴気を出している悪魔を討伐することってわけか」

「そのとおり。ただ、少々困惑している。一匹二匹の下級悪魔程度では、ゲートが発生するほどの瘴気は溜まらない。そのため、少なくとも百匹以上の殲滅戦を想定していたのだが、まだ一度も悪魔と遭遇していないのだ」

「俺も結構奥から歩いて来たけど、悪魔どころか、ネズミ一匹見なかったな」

「そうか。では、そこの分岐を突き当たりまで進んでしまえば、この洞窟の探索は終わってしまう。瘴気の報告自体、誤報だったのやもしれん」

「実際に濃い瘴気を感じたから調査してンじゃねェの?」


 言いながら、そういや自分は何も感じていないなと思った。


「瘴気は高い魔力を持つ者ほど敏感に感じ取れるが、我々人間は、魔力をほとんど持たない。この隊では、唯一カリーシャだけがわずかに魔力を持つが、はっきりと瘴気の有無を知覚できるほどではない。どうやら、それは天界人も同じらしいな。報告はエルフから受けたものだ」


 エルフか。イイね。金髪巨乳エルフ、いないかねェ。お知り合いになりたい。


「質問ばっかで悪ィけど、せっかく調査しに来たンなら、なんで魔力を持ってる奴を同伴しねェの?」

「もっともな疑問だ。さっき、人体にそこまで影響はないと言ったが、高い魔力を持つ者にとっては別だ。瘴気は体内の清浄な魔力を汚染し、頭痛や吐き気を催す」


 なるほ。魔力を持たないことがメリットになる場合もあるわけか。

 そもそも魔力ってのが、どういうものなのかもわかってねェけど。


「俺もこのまま同行してイイのか?」

「戦闘に入れば、その実力に期待したいところだが」


 つっても、俺自身、まるで把握できてねェからな。

 とりあえず邪魔にならないよう隅っこで見学かな。なんてことを思っていると、カリーシャ隊長が、不躾に俺の鼻先に指を突きつけてきた。


「私の【磐座具視シークレット・アイズ】で確認しましたが、この男、レベル16です。一般人としては高い方ですが、冒険者として見れば平均か、それ以下です。戦力になりません。転生者というのも確証があるわけではないです。任務中に足手ま――身元不審者を連れ歩くのは危険ではないでしょうか」


 レベルとかあンのか。

 ……て、低いの? 転生者なのに? わりとヘコむンですけど。


「あ、でも、それについては一つ言わせてもらいたい。怒らないで聞いてくれ」

「なんだ? 私は嘘などついていないぞ。本当に貴様のレベルは」

「そのレベルだけど、多分、勃起したらいくらか上がると思う」


 顔面に拳が飛んで来た。

 ひょいとかわしたものの、カリーシャ隊長の顔は怒りに染まっている。


「これでも私は貴様の身を案じているんだ! フザケるつもりなら斬るぞ!」


 俺だって冗談だと思いたい。

 アーガス騎士長が、またもや子供のじゃれ合いを見るように嘆息した。


「転生者であるかどうかはともかく、天界人であることは間違いないのだろう? 未だかつて、天界人の存在は一人も確認されていない。戦力にはならずとも保護はしておくべきだ」

「保護することに異論はありませんが」

「なら、お前がタクトを連れて、先に外へ――」

「いえ、私は調査任務を全うします」

「そうか。では、しんがりを任せよう。タクトについていてやってくれ」


 言って、アーガス騎士長が他の騎士たちの所へ向かった。

 そろそろ五分が経つ。休憩を終え、行軍を再開するんだろう。

 そんなアーガス騎士長の背中を見つめるカリーシャ隊長の表情は、なんつーか、捨てられた子犬みたいに悲しそうだった。


「しんがりを任せる……か。物は言いようだな」

「不満そうだな」

「当然だろう。騎士長の中では、私も貴様と同じように、戦力に数えられていないのだから。最も安全な最後尾に置いておこうという考えだ」

「ちなみに、カリーシャ隊長とアーガス騎士長のレベルは?」

「私は19。騎士長は26だ」

「そんな違いがあンのか?」


 RPGで言うなら、レベル10代や20代なんて、かなり序盤じゃね?


「レベル20までなら、1、2は誤差の範囲だ。しかし、レベル20以上になってくると、2つ違えば格が違う。4つ違えば次元が違う」

「騎士団員の平均レベルは?」

「……21だ」


 あれま。


「じゃあ、レベル30以上っていねェの?」

「いるわけがない。そんなレベルは、もはや神域に足を踏み入れている」


 隊の騎士たちが全員立ち上がり、列を成し始めたので、俺たちはその一番後ろについた。数えたところ、俺とアーガス騎士長を除けば、カリーシャ隊長の第三小隊は二十人で構成されていた。

 騎士長の号令に従い、俺が歩いて来た道とは別の分帰路を進み始める。

 こっちの道はかなり広い。二車線道路のトンネルくらいの大きさがある。


 一糸乱れぬ足並みには感心する。するが、同時に見ていて複雑だ。

 騎士長は全騎士のトップ。その指示に従うのは当然だ。

 だけど、この隊の一番はカリーシャ隊長だ。その隊長が、黙って最後尾を歩いている。並んで歩いていると、どうにもこうにも空気が重いじゃねェかよ。

 なんか明るい話題ないかな。沈黙がキツい。


「そうだ。なあなあ、ここ数日で、俺以外に転生者が現れたって噂はねェ?」

「他の転生者? いや、聞かないな」

「マジかー」


 利一りいちの奴、いったいどこで何をやってンだ。

 おっんだ、なんてことだけはやめてくれよ。何か探す手がかりはねェのか。

 あ、そういやあいつ、生まれ変わったらドラゴンになりたいとかワケのわからんことをたまに言ってた気が。まさか、本当にドラゴンに転生したのか?

 無事ならそれでイイんだけど……ドラゴンか。会話できンのかな。


「私からも質問させてもらっていいか?」

「ん、いいけど?」

「貴様の【職名】の項目だが、【元愛玩人形ラブドール】とはどういう意味だ?」


 前世のことでも聞かれるのかと思いきや。


「………………ステータスってのに、そう表示されてンの?」

「私の目はあざむけない。さあ、答えろ」

「人にはな、触れられたくない過去ってのがあンだよ」

「隠すとためにならないぞ」

「は? じゃあ、アンタは自分のバストサイズ、形、乳首の色を言えンのか?」

「な、何を!? 言えるわけがないだろう!」

「それくらい恥ずかしくて言いたくねェってことだ。騎士団がこの世界の警察――治安を維持している組織なんだとしても、なんでもかんでも答える義務はねェよ」


 苛立たしげに言った。

 言ってすぐに後悔した。気まずさを和らげようとしていたのに、自分から余計に険悪な雰囲気にしてしまった。それでなくとも、女性相手に今のはない。

 謝ろうとするが、それよりもカリーシャ隊長の謝罪の方が早かった。


「……そのとおりだ。すまない」

「俺も喧嘩腰になっちまった。許してくれ」


 力不足と失言のダブルパンチで、カリーシャ隊長が目に見えて落ち込んだ。


「えーと、あれだ、この任務が終わったら、改めて自己紹介させてもらうからさ。うん、何事もなく終わるとイイな」

「……そうだな」


 やーん、空気が重いわァ。


「あーと、んーと、この小隊って、下級悪魔との戦闘に備えてるんだよな?」

「そうだ。しかし、下級悪魔の力はそれほど強くない。本当に百匹いたとしても、この小隊だけで十分に対処できる」

「確認だけど、下級悪魔が大量に湧いた時に、そいつらが吐き出す瘴気が溜まってゲートが発生するんだよな? それ聞いて思ったんだけどさ、こんだけ歩き回って一匹も遭遇しないってことは、やっぱ大量になんていねェと思うンだよ」


 素人考えなので、トンチンカンなことを言っているかもしれない。

 それでも会話の繋ぎになればと思って俺は話を振った。


「だから誤報だと言いたいんだろう?」

「違う違う。瘴気は溜まってると考えての話だよ」

「要領を得ないな。何が言いたいんだ?」

「なんで下級悪魔って決めつけてンの?」

「どういうことだ?」

「一匹かそこらで、下級悪魔百匹以上に相当する瘴気を吐く奴がこの洞窟にいるんじゃねェのって、そう言いたいンだよ」


 言うと、カリーシャ隊長が足を止めた。釣られて俺も立ち止まる。


「ここに、上級悪魔がいるとでも?」

「いや想像でしかねェけど。カリーシャ隊長もアーガス騎士長も、下級悪魔以外の可能性を頭から外してるみてェだったからさ」

「……それは、だって仕方ないだろう。百年の歴史を振り返っても、上級悪魔が、こんな王都の近隣に現れたことなど一度もないのだから」

「それ、根拠あンの? これまで起こらなかったからって、今後も起こらねェとは限らねェだろ。俺だって、十七年間一度も事故に遭ったことなんてなかったのに、いきなり轢かれて異世界転生だぜ? 人生何が起こるかわかんねェよ」


 俺は笑い話のつもりだった。だけどカリーシャ隊長は表情を強張らせ、俺の言葉を吟味に吟味を重ねているようだった。


「あれ? もしかして、その可能性出てきた?」

「わからない。だが念のため、騎士長に進言して来ようと思う」

「あ、はい、行ってらっしゃい」


 カリーシャ隊長が列から抜け、最前にいるアーガス騎士長の所へ走って行った。

 嫌な予感がしてきた。

 まさか俺、すげェヤバいフラグ立てた?


「な、なんてな」


 自分でツッコミを入れ、首の後ろを搔きながら天井を仰いだ。

 漫画じゃあるまいし、そうそう簡単に――



 完全に舐めてた。

 異世界において、フラグを立てるのがどれだけ危険かってことを。



 見つけたのは偶然だった。

 一瞬のことだったから、最初は松明たいまつによる影の揺らぎを疑ったが、並外れた脳の処理速度がコンマ一秒とかからずにそれを否定した。

 完全に闇と同化しているため、もう一度明かりが天井に当たらない限り、たとえ目を凝らしても姿を確認できない。


 だけど、俺は見てしまった。

 行進している騎士たちを眼下に見下ろしているナニか。

 黒くて巨大な異形、エイリアンにも似たナニかが天井に貼りついていたのを。

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