第68話 どう見ても変質者です
裸足のため、足の裏を切らないよう一歩一歩確かめるようにして歩く。
「ないわァ……。マジないわァ……。ハァァァ……」
手探りで壁を伝いながら、この世の終わりのような溜息をついた。
華々しいデビューを飾るはずだった第二の人生が、異世界到着わずか三分にして脆くも崩れ去ってしまった。
勃起時限定強化って何? 盾の代わりにエロ本、剣の代わりにナニを握れとでも言いてェのか。これをオイシイと思えるのはヨゴレ芸人だけだろ。
俺だってね、異世界転生なんつーフレーズを聞いて、少しは期待した。
物語の主人公になって、世界を股にかける大冒険も悪くねェと思ったよ。
何より、チートで無双はデフォルト仕様。無条件で可愛い女の子たちに愛され、囲まれ、うっひょーひゃっはーハーレム万歳な展開はお約束。
それが異世界転生だろうが。
しまらねェ。これじゃ何を言っても、何をやってもしまらねェ。
ヒロインを敵から庇う時も。
『俺の後ろにいな。安心しろ。必ず守ってやる』(※ただし勃起)
最終決戦を前に、仲間たちを奮い立たせる時も。
『俺たちは勝つ! 魔王を倒し、世界に平和を取り戻すんだ!』(※ただし勃起)
絵にならねェ。
こんなンじゃ女の子が寄りつくどころか、毛虫の如く嫌われるわ。
「もうあれだ。肉体強化は諦めて、技能習得で得た剣術に望みをかけるしかねェ」
こっちは期待できる。なンせ、名前からして超強そうなのを選ンだからな。
武を極めし神が
そんな感じのだ。
「いっぺん、誰かが使ってるのを見てみてェな――……と?」
風上に向かって歩いていると、前方で人の話し声のようなものが聞こえてきた。
こんな薄暗い洞窟に人? 炭鉱夫か何かだろうか。
ガヤガヤとした声は一人や二人じゃない。
岩陰に潜みつつ、その集団に近づける所まで近づいて行った。
俺のいる細い通路とは違い、開けた場所にいる連中は十人以上いそうだ。
手には
背負うようにして帯びた剣は大きく、どう見ても片手で扱う代物じゃない。
野盗って感じじゃねェな。RPGでいうところのパーティーとも違う。
整然と隊列を組んだ様は騎士団を思わせる。
その中の一人、四十代の前半くらいかな。180cm近い俺より、さらに体格の良さそうなオッサンが仲間たちに向けて言った。
「五分間の休憩の後、洞窟の最深部まで行く。各自、装備の確認を怠らぬように」
声しっぶ。重低音のバリトンボイスがめちゃカッケェ。
連中の目的はわからないが、ピリピリと張り詰めた、いつでも戦闘に入れるぞ、という緊張感は肌に伝わってくる。
「雰囲気が明らかに観光じゃねェな」
どうすっかな。なんらかの任務中なのは間違いないとして、それはおそらく戦闘ありきのものなンだろうと予想できる。
さて問題。洞窟の中で明かりも持たない全裸男がいきなり現れたとします。
印象として、それは危険なモンスターと何が違うのでしょうか?
……俺なら問答無用で攻撃するね。
少し惜しいけど、ここで出て行くのはやめておこう。この洞窟に何がいるのかは知らねェが、連中の歩いて来た方向を辿って行けば安全なはずだ。
また水に浸かることになるが、岩陰に隠れながら連中を迂回できそうだ。
そろり、そろりと、俺は物音を立てないようにして、影から影へと移動する。
仮に見つかったとしても、まあ殺されることはないだろうという楽観のせいか、ステルスゲームでもやっているような気分だ。
壁に半身を擦り、小山になった岩の影に滑り込む。ここから一気に水辺へ。
「うォ、と」
「ん?」
岩陰に人がいた。
向こうにいる連中と同じく青い鎧を着ているが、下はスカートを穿いている。
ボブカットの若い女性騎士だった。
予想外だ。こんな所に一人で、こそこそと忍ぶようにして何を?
その疑問は瞬時に晴れた。
女性騎士は、ぷりっとした尻を俺に突き出し、パンツを膝まで引き下げていた。
なるほど、お花摘みをされていたわけですね。
「キ――」
事前だったのか、事後だったのかはわからない。
俺はこの時、天界人が持つ神速のインパルスを初めて発揮することになった。
用を足していた女性が悲鳴を上げられないよう、口を塞ぐという最低の形で。
「悪い! でも頼む、叫ばないでくれ!」
「んんーーーーーー」
女性騎士の背後に回り、抱きかかえるようにして拘束する。
泣きたくなる。傍から見れば、完全にアウトだこれ。
なんて思っていると、口を封じていた俺の指を、女性騎士が思い切り噛んだ。
「ァ痛ったあああ!!」
「放せ、下郎め! 私に触れるな!」
拘束は継続したが、俺自身が発した声と、女性騎士の怒声によって、他の連中が異変に気がついてしまう。なんだなんだ、どうしたどうしたと集まって来る。
そして見つかってしまう。
「き、貴様、そこで何をしている!?」
いやホント、何してンでしょうね。俺が訊きてェよ。
「どうして全裸なんだ!?」
これには山よりも高く、海よりも深くて恥ずかしい事情が。
「まさか、隊長を襲っていたのか!?」
隊長? この子、隊長なのか?
「見ろ! 隊長のパンツが下げられているぞ!」
下げたのは俺じゃねェェェし!!
ヤベェ……。連中が次々に背中の剣を抜き放っていく。
異世界生活は始まったばかりなのに、早くも人生最大のピンチだ。
どうする、どうする。
一瞬、肉体強化で逃げる案が思い浮かんだが、無理無理。こんな状況でおっ勃つわけがない。この女性騎士の体を揉みくちゃにすれば、あるいは――なんてゲスなことも考えたけど、それをやったら誤解が誤解でなくなり、有罪になる。
別案を考えていると、一団を掻き分けるようにして、さっきの渋声のオッサンが前に出て来た。オッサンは剣を抜いていない。
「尋ねるが、我々に危害を加えるつもりなのか?」
「そんなつもりは一切無い。見てのとおり、何も着ていないから、怪しまれるのはわかりきってた。だから隠れてやり過ごそうとしたら、この子に見つかっちまって反射的にこうなった」
「なら、放してやってくれないか?」
「放した途端、斬りかかってきたりは?」
「しない。約束しよう」
「……わかった」
俺はオッサンの言葉を信じた。というか、信じる他無かった。
力を抜くと、女性騎士はするりと腕の中から放れ、すかさずパンツを上げた。
「貴、様!」
「カリーシャ」
女性騎士の名前だろうか。オッサンに諌められた女性騎士は、俺に殴りかかろうとしていた拳を収めた。この子が隊長で、一番偉いわけじゃないのか?
オッサンは自分が羽織っていたマントを外し、俺にひょいっと投げ渡した。
「露出は趣味でないと思いたいが?」
「助かる」
俺はいそいそとマントを腰に巻きつけた。このオッサン、話がわかるぜ。
とはいえ、後ろの連中の剣を下ろさせようとはしない。
「質問させてもらうが、構わんか?」
「ああ。むしろ、俺からいろいろ話したいくらいだ」
「では尋ねよう。お前は人間か?」
「元は人間だ。でも、今はよくわからねェ」
「自分のことだろう? 何故わからない?」
「つい今しがた、ここに転生してきたんだ。転生ってわかるか?」
「転生者だと?」
ここでオッサンは、カリーシャと呼ばれた女性騎士に目をやった。
他に女性の騎士はいない。紅一点のようだ。
女性騎士は、俺をじっと見つめたまま言った。
「……この男、種族が【天界人】とあります」
「天界人? 死後の魂に道を示すという、あの天界人か」
「俺が人間じゃないってわかンの?」
「彼女の特能、異能と言ってもいい。他者のステータスを見ることができる」
「それってすげェの?」
「特能が発現している人間は、この国で五人といない」
「へえ、そりゃすげェ。だから女だてらに隊長なんて役職に」
口を滑らせた瞬間、キッ、と女性騎士に鋭く睨まれた。失言だったっぽい。
「と、とりあえず、俺が転生者だってことは信じてもらえたのか?」
「今のところ、疑う要素が見つからないというだけだがな」
そう言って、オッサン騎士が、殺気を出していた騎士たちの剣を収めさせた。
「なんにせよ、ありがてェ。カリーシャさんだっけか。アンタのおかげだ」
「恥をかかされた恨みは忘れんぞ」
「悪かった。せめて、見ちまった尻は綺麗な思い出として残しておくよ」
「即刻直ちに消去しろ!」
俺たちが戯れている間に、オッサン騎士が、カリーシャさんだけをここに残して他の騎士たちを休息に戻らせた。素性はともかく、俺に危険は無いとわかってくれたようだ。
「私はアーガス・ランチャック。王都騎士団の騎士長だ」
「騎士長ってことは、隊長より上?」
「彼女はカリーシャ・ブルネット。年は
「畏れ入ったか。本来であれば、貴様のような変態露出覗き魔が、おいそいれとは言葉を交わすことができない人だ。一言一句に幸せを噛みしめて口をきけ」
相当嫌われちまったようだな。
「俺は
「勝手に野垂れ死ね」
「野ションしてた奴に言われたくねェ」
「忘れろと言っているだろう!」
謝ったのに、いつまでもぐちぐち嫌味を言われたら、俺だって反撃したくなる。
騎士長さんからすれば、小僧と小娘の遣り取りに見えるんだろう。呆れたように肩を竦めた。
「この任務が終われば手配しよう」
「イイのか!? 恩に着る!」
「これは親切ではなく、打算だ。お前が本当に転生者なら、必ずや魔王勢力に対抗する力となってくれるだろうからな。恩を売ろうとしているまでだ」
「そういう言い回し、わりと好きだぜ。つーか、魔王とかマジでいンの?」
なんていう質問をすると、ここぞとばかりに嫌味女が口を挟んできた。
「ふん、そんなことも知らないのか。先が思いやられる無知さだな」
「アンタこそ、たいそうムチムチした尻と太ももをお持ちだったじゃねェか」
「斬る! 斬り捨てるううう!」
「よさんか、お前たち」
騎士長さんの一喝で、嫌味女がしゅんと縮こまった。
よし、よし。どうなることかと思ったが、幸先イイぞ。
これならすぐにでも利一を探し始められそうだ。
「カリーシャ、お前のマントもタクトに貸してやりなさい。洞窟内は冷える」
「騎士長がそう仰るならやぶさかではありませんが、変態男の汗と体臭がつくかと思うと、もう二度と使うことはできなくなってしまいますね。ほら、くれてやる。涙に暮れて感激するといい」
俺は笑顔で「ありがとう」と言って受け取った。
そして騎士長から借りたマントをわざわざ上半身に羽織り直し、嫌味女から頂戴したマントを下半身に巻きつけてやった。
くれてやると言ったくせに、嫌味女がまたしても喚き出した。
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