第36話 イチオシおっぱい

 一風変わった見た目のその客は、閉店一時間前という遅い時間にやって来た。

 マリーさんのように、ベースは人間で、部分的にアニマルチックといった種族であれば何人も来店していたが、明確に人型ではない客は初めてだった。

 装いこそ、冒険者が身に着けているような銀色の薄い板金鎧を纏っているけど、光沢のある体躯は濃い緑色の鱗に覆われている。


「あの人、昼間の……」


 日中に大通りで会い、スミレナさんと少し話をしていたリザードマンの彼だ。

 ――と思う。

 装備品から推測したものの、もしかすると同種族の別人かもしれない。オレにはまだ、リザードマンにどれくらいの個体差があるのか知識が無い。もっと言うなら性別も年齢も、何も判別できない。


 両手に一つずつ持っていた【ラバンエール】を注文客に届けた後、オレは早足でリザードマンの彼の所へ向かった。

 余談だけど、この国の名前は【ラバン】というらしく、王都【ラバントレル】の〝トレル〟は〝首都〟の意味があるんだとか。


「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

「今晩はずいぶんと盛況であるな。一人だが、席は空いているだろうか?」

「大丈夫ですよ。すぐに案内しますね」

「かたじけない」


 この武士口調、なんか好きだな。


「失礼ですけど、昼に会った人、ですよね?」


 席に案内しがてら、オレは念のため確認をした。


「いかにもである。もしや、リザードマンと会うのは小生しょうせいが初めてであるか?」

「はい。実は、他種族のいる町に出て来たこともないような田舎者でして」

「そうであったか。リザードマンを見分けるコツは、頭に付いているトゲのようなイボである。個体によってイボの数が違い、付いている場所も違う。小生みたく、トサカ状に真っ直ぐ並んでいるリザードマンはあまりいない。密かな自慢である」

「了解です。ええと」

「ギリコと申す。冒険者の真似事のようなことを生業にしている」

「リーチ・ホールラインです。昨日からここでお世話になってます。カウンター席とテーブル席、どっちにされますか?」

「では、テーブル席をお願いする」


 リザードマンの豆知識を一つ覚え、簡単に挨拶を交わしたオレは、ギリコさんを一人用のテーブル席へと案内した。おしぼりと水を添え、注文を取る。


「それでは【ペロメナのゲソ焼き】と【エビル貝の酒蒸し】、【コング芋の火酒】をロックで所望いたす」

「お通しと飲み物は、すぐにお持ちしますね」


 スミレナさんから卑猥なモンスターとして紹介されたことのあるペロメナだが、意外や、食材として重宝されているらしい。こういう危険な食材を集めてくるのも冒険者の仕事の一つなのだとか。

 スミレナさんに酒を、エリムに料理をそれぞれオーダーする。


「ギリコさんが来てくれたのね」

「常連さんなんですか?」

「週に一回ってところかしら。とても礼儀正しい人だから、リーチちゃんも丁寧な接客を心掛けてね」

「意外です。リザードマンって、もっと気性の荒いイメージがありました」

「ある程度の性質は種族で括れるかもしれないけど、それだって万人に当てはまるわけじゃないわ。リーチちゃんがいい証拠でしょ?」

「そのとおりですね。先入観は捨てます」


 オレはスミレナさんの言葉を噛みしめ、頭を切り替えてから丸いトレイに酒と、お通しである【栗豆の塩茹で】を載せてギリコさんのテーブルへ運んで行った。


「お待たせしました」


 平鉢に入った【栗豆の塩茹で】を見たギリコさんの鋭い目が、さらに細まった。


「今日は、よほど繁忙を極めているのであるな」

「あ、豆の皮のことですか?」


 今日だけで何度も客に説明したことだ。


「いつもであれば、中身を取り出された状態で出てくるのであるが」

「それなんですけど、なんか、皮付きの方が美味しいってことになったみたいで」


 何気ない、ちょっとした一言だった。

 皮を剥かれた状態で見せられても、オレはそんなことを思わなかっただろう。

 まず栗豆を見て、オレは黄色い枝豆だと思った。ほんのり甘味のある豆を塩茹でして味を引き締めることで、手軽なおつまみになるのだそうだ。


 お通しの準備で、栗豆の皮を剥いていたエリムを見たオレが「こっちの世界では皮を剥いて出すんだな」と呟いた。それがきっかけだった。

 その一言を受けたエリムが、「もしや……」という顔をして、試しに皮付きの状態で塩茹でした栗豆を口に運んだのだ。

 その直後、雷に打たれたみたいに驚いたエリムのリアクションは印象的だった。


 ギリコさんは、四本指の鋭い爪で栗豆の一つを摘まみ上げた。


「ふむ、こうであるか?」

「軽く咥えたら、皮は食べずに中の豆を口で引っ張り出すように食べてください」

「もむ、もむ。……おお。確かにこの方が、皮に含まれている塩分も出汁のように口の中へ染み出し、より味わい深くなっているのである」

「気に入っていただけましたか」


 自分の発案ということもあって、その感想がとても嬉しかった。


「店を手伝うのは今日からだと聞いていたが、問題無く働けているようで何より。表情がきているのである」

「もしかして、気になって様子を見に来てくれたんですか?」

「酒のついでである」


 酒のついで。渋い台詞だな。オレも飲める年になったら言ってみたい。


「いやはや、初日からこれでは、明日以降も大変であろうな。この時間であれば、いつもは空席も目立つのであるが」

「やっぱ大入りなんですね。昨日、店を臨時で休みにしていたからでしょうか」

「さにあらず。可憐なリーチ殿を眺めるのに夢中で、つい長居してしまうのであろう」

「か、可憐!?」


 初めて言われる表現だ。スミレナさんたちのせいで、可愛いって言われるのは腹いっぱいっていうか、もうやめてっていうか、いい加減にしろって言いたいけど、可憐はなんか、容姿だけじゃなく、立ち居振る舞い全部を含めて表す言葉っていうのか、だからその、ええと、なんだ。


「ほ、他の料理も、できたらお持ちしますね!」


 ぺこりとお辞儀をし、オレはそそくさとその場を退散した。

 うへぁ、なんか、めっちゃくちゃ恥ずかしかった。オレ今、絶対顔赤い。


 ギリコさんの言葉は、身内の欲目でも、お世辞でもなかった。

 ただ事実を口にした。そんな感じがしたから、余計に気持ちを揺さぶられた。


「あれ? マリーさんは帰られたんですか?」


 熱くなった顔にトレイを押しつけながらバーカウンターに戻ると、マリーさんの姿はなく、空になったグラスをスミレナさんが片づけていた。


「ええ。もう遅いから、ペペが迎えに来てくれたの」

「いい旦那さんですね」

「『今夜は気分がええから、趣向を変えて騎乗位でガンガン攻めまくったるでー』と意気込んで帰って行ったわ」


 それ、ペペが潰れませんかね……。


「あら、リーチちゃん。少し顔が赤くない? まさか、今のでまた幻肢げんしぼっ――」

「それより! お通し、ギリコさんにも好評でしたよ」

「うふふ、よかったわ。リーチちゃんのおかげね」

「ギリコさんって、男性ですよね?」

「そうよ。人間で言うなら、二十五歳くらいだって言っていたと思うわ」


 言われて、オレは改めて店内をぐるりと見渡してみた。


「今さらになって思ったんですけど、この店って、男性客が多いですよね」


 女性客も来るには来るが、見た感じ、客層の八割方が男性だ。


「そうなのよねえ。上品なお店というわけでもないし、仕事帰りに、ちょっと一杯ひっかけて行くか、みたいな感じで立ち寄る男性が多いかしら」


 スミレナさんの口振りは、そのことを良くは思っていないようだった。


「何か問題があるんですか?」

「あまり偏りすぎるのはどうかと思うのよ。店の中に男性しかいなかったら、新規で女性客が入って来にくくなるでしょ? ただでさえ、今後さらに男性客が増えていくはずだし。なんとかしたいと思っているのよ」

「男性客が増えていくって、なんでですか?」

「そこにおっぱいがあるからよ」

「おっぱい? ああ、ミノコのミルクを目玉商品にしていくってことですね」


 今日のところは、オレを仕事に慣れさせることを第一に考えてくれているため、お酒と一緒に新商品のミルクはいかがですか? といった営業はしていない。


「あれ? でも、ミルクを目玉にすると、なんで男性客がふにょわあああ!?」


 言い切るよりも早く、カウンターに乗り出してきたスミレナさんが、真正面からオレの両胸を鷲掴みにしてきた。


「ミルクじゃなくて、これよ! このおっぱいがあるからよ! いくらアタシでも、リーチちゃんのボケを全部通すと思ったら大間違いよ!」

「ちょ、スミレナ、さん、揉ま、揉まないで、あ、んあ!」


 男の時だったら、絶対に出ないような声がオレの口から勝手に漏れる。


「アタシね、さっきので気づいちゃったの。あ、ウチにはツッコミが不在だって。この環境はリーチちゃんの情操教育に良くないなって。エリムに期待したいところだけど、ヘタレすぎて頼りになるのか怪しいじゃない? だから、リーチちゃんがボケた時は、こうやってアタシがちゃんと拾ってあげることにしたの」

「ま、待って、くださ。さっきのって、いうのは、エリムにしたこと、ですか?」

「他に何があるの?」

「でもスミレナさん、言ってくれたじゃない、ですか。オレを、家族同然だって」

「言ったわ。もちろん本心よ。それがどうかしたの?」

「なら、エリムも家族、ですよね? 家族に下着を見せたって、別に変なことは」

「あらあら、それって暗に、アホなオレが心の底から反省するまで、もっと激しくいやらしくテクニカルに揉んで揉んで、足腰立たなくなるまで揉みしだいて叱ってくださいってリクエストされているのかしら?」

「反省してます超してます! 家族でも男女間では気を遣えってことですね!?」

「100点の解答とは言えないけど、とりあえずはそれで良しとしましょう」


 むぎゅ、とわずかに痛みを伴うひと揉みを最後に、スミレナさんは自称ツッコミを終えてくれた。


「ええと、なんの話をしていたかしら」

「ハァ……ハァ……男性客ばかり、増えすぎるのは、問題だって……」

「そうだったわね。そうなのよ。今朝、ミノコちゃんにお酒の試飲をしてもらっていたでしょう? 女性客の間で人気が出そうなお酒が作れないかと思って、新しい商品を考えていたからなの。あれも出来は悪くないんだけど、もうひと工夫欲しいところなのよね。何かいい案はないかしら?」


 そう言われても、酒に関して、未成年のオレにアドバイスできることなんて。


「ああ、そういえば、スミレナさんは、新しいお酒とミルクの販売を別々に考えているみたいですけど、ミルクを使ったお酒は作らないんですか?」

「…………え?」

「いや、だってエリムは、オレのために牛乳を使った料理を再現しようとしてくれているじゃないですか。お酒では試さないのかなって。オレは飲めませんけど」

「お酒とミルク? え、合うの? 向こうの世界にはあったの?」

「飲んだことないですけど。なんて名前だっけな。うーん、出てこないや」

「待って待って待って! 名前はなんでもいいとして、あるのね!? ミルクを使ったお酒で、女性にも人気が出そうなものが!」

「すみません。人気があるかどうかは知らないです」

「構わないわ。可能性を示してくれただけで十分よ」


 スミレナさんの瞳が燃えている。本職の血が騒いだようだ。

 ここでエリムが、ギリコさんの注文した料理が完成したことを報せた。

【ペロメナのゲソ焼き】と【エビル貝の酒蒸し】、どっちも食欲をそそる香りだ。

 それらをトレイに載せると、熱々の湯気がさらに鼻腔をくすぐってきた。


「ペロメナって、イカみたいな匂いがするんですね」


 と言っても、ほんのちょっぴりだ。サキュバスになったことで、嗅覚がわずかに鋭さを増したからこそわかるっていう程度だろう。


「ペロメナが、イカの匂い?」


 ほんのちょっぴりですけどね。サキュバスになったことで、嗅覚が微妙に鋭さを増したからこそわかる程度だ。だからオレの感想に、スミレナさんが首を傾げたのも不思議じゃない――のだけど、何故かスミレナさんは、次いで驚愕の表情をエリムに向けた。


「エリム……アナタまさか、リーチちゃんのブラ見せに興奮して、さっきトイレに行った時、早速解禁してきたんじゃ!? それで、手にべったりついたまま料理をして、そのせいで!?」

「いきなりとんでもない疑いが飛んで来たよ!?」


 何やら急に騒ぎ出したけど、この姉弟のスキンシップはよくわからないからな。


「それじゃ、料理運びますね」

「リーチちゃん、待って! その料理、持って行って大丈夫なの!?」

「姉さん、飲食店でその冗談は洒落にならないよ! リーチさんも言ってやってください!」


 なんか知らんが、後にしてくれ。せっかくの料理が冷めちゃうんで。


 料理に続き、酒の分野でも活躍できたことが嬉しいオレは、そろそろ客にラストオーダーを告げる時間になって、ようやく自然なスマイルで接客に当たれるようになったのだった。

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