第6話 呪術師と最初の少女

「暑い」


 六月末の太陽はもう夏本番と言っても良いくらいの日差しだった。腕や足のむき出しになった部分を容赦なく焼いてくる。休みの日はやっぱり家でゴロゴロしてるに限るんだなあと思いながら、もう出てきたものは仕方がないと諦めて、取りあえず駅前に向かうことにした。友人のなのは は部活の練習試合だ。一人で時間をつぶすしかない。


 今日は土曜日。マンガの設定を決めた後に、昼過ぎまでアングルを変えながら絵の練習をしていた。いきなり描いても最近では大崩れしないようにはなっていたが、一応公式なものに描くので作画崩壊しないように練習だ。それで、いい加減に肘を痛めそうな気がしてきたので引き上げてきた。


 マンガを描くことについて、意味を考えるようにと呪術師には言われたけど。あたしはまだ見つけられてはいない。自分の趣味として、楽しむために。今まではそうだと思っていたのに、いざ決めようとしたら何かが違う気がした。


「おお、人全然いない」


 たどり着いた駅前にはほとんど人通りがなかった。中年の女性二人が連れ立って歩いていたり、若い男三人がカラオケから出てきたり。広い駅前にたったこれだけしかいなかった。みんな、さっそくバテているのかもしれない。


 取りあえず、あたしも避暑がてら近くの雑貨屋に行くことにした。最近聞いたが、わりと可愛いものが揃っているそうだ。


 水鳥の置物が置いてある噴水をぐるっと迂回していると、目的の雑貨店から誰か出てきた。真っ白なワンピースに底の厚いベージュのサンダル。風に揺れるロングヘアーにはヒマワリの髪飾りが止まっている。スッと背筋を伸ばして歩く姿は涼し気で楚々としているが同時に高貴さも感じさせる。手にはお店の紙袋を下げている。


 美人だなあ、と思って顔をよく見ようとして気がついた。見知った顔。東雲だ。どうして気がつかなかったんだろう。認識した途端に、腕の辺りが総毛だってくる。この前、言い負かしたとはいえ、あたしの天敵であることに変わりはない。体が勝手に拒否反応を起こすのだ。


 気づかれない内に、回れ右して逃げようかと思った時に視界の隅で黒いものが動いた。まるで霧が晴れるように、自然に出現したのは若い男だった。


 穏やかな笑みを浮かべた男が東雲に近づいていく。真昼間に会えば、見ただけで暑くなってくる上下黒の服装は、呪術師だった。


 呪術師の方は気さくに声をかけているが、東雲の方は驚いたように一歩後ずさった。それでも、逃げずに二人で何やら話している。


 全くの異色の組合せにがぜん興味がわいてきた。二人が並んで移動するのをこっそり尾行する。一体、何を話しているんだろう。


 間を置いてついていくと、二人でクレープ屋に向かっていった。呪術師の方が二つ買って片方を東雲に渡す。あんまりにも自然な動作。まさか、恋人? ……いや、東雲は美人だけど、あの性格のキツさではなあ。でも、異様に人当たりの良い呪術師ならもしかすると……。


 二人が手近な植え込みに腰掛けるのを確認してから、そっと近づいていく。クレープの横にあったフランクフルトを買いながら、耳をそばだてる。


「なんで今頃来たの」

「ははっ。相変わらずの言い方だねえ。君のことはずっと気にしていたんだよ。なにせ、僕が縛りを与えた、記念すべき第一号なんだから」


 衝撃の事実だった。あの、東雲が呪を受けていた? 他人の手なんか借りなさそうな彼女が。しかも、最初って。フランクフルトのおじさんが何か言っているが、適当に流して会話に集中する。


「どうだい。今のところは」

「どうって。別に。うまくいってるわよ。おかげさまでまっとうに、現実を見据えて生きてるわ」

「伯父さんは?」


 お金を渡して、熱々のフランクフルトを受け取る。良い具合に、クレープの反対側に簡単な椅子が置いてあるから、その一つに腰掛ける。


「中学に上がってからは、会ってないわ。私のこと、苦手らしい。ま、こっちとしても願ったりかなったりだけどね。そのくせに、私がいない時を見計らってお母さんにお金の無心に来るらしいから、馬鹿にしてる」


 そこまで言って、東雲は八つ当たりみたいにクレープにかみついた。クリームが口の端にくっついてる。なんとなく、つられてあたしもフランクフルトにかじりつく。途端に口から頭まで衝撃が貫く。


「ぐあっ」


 カエルがつぶれたみたいな声が出た。今更ながら見ると、マスタードがこれでもかとかかっている。あたし、こんなこと注文してたのか……。


「一昨日も、来てたらしい。『姉さん、五万でいいから貸してくれ』って玄関で近所に聞こえるくらいの大声で。だったら、働けばいいのに売れない同人誌に描いて、赤字出しまくって。『俺は漫画家だ。芸術家のプライドがある』とか抜かしてバイトもろくにしない。こっちがどんだけ迷惑してるか、考えてもないんだから! しかも、何年も、何年も、何年も!!」


 東雲が怨嗟の声を上げる。自分の言葉にヒートアップしているらしく、どんどん声が大きくなっていく。地獄の炎みたいな声はあたしの身をチリチリと焦がす。まさか、東雲に漫画家志望の親戚がいたなんて。しかも、言ってしまえば穀潰しみたいな人とは……。そりゃあ、マンガを描いてる人が嫌いにもなるか。


 呪術師がそっと背中を叩いてなだめている。そのまま、しばらく二人は黙っていた。穏やかな時間が流れている。あたしの方は、仕方なくマスタードを選り分けながら齧っていた。うん、まあ普通にすれば美味しい。


 しかし、正直に言うと頭は自分の不吉な将来のことで頭がいっぱいだった。将来、漫画家になるなら賞にどんどん、応募していくつもりだったし、仲間が見つかれば芽が出るまで同人誌というのもアリかなと思っていた。つまり、東雲の伯父とかいう人と同じルートを歩んでいく可能性があったのだ。いや、流石にあそこまでのクズ人間にはならないと思うけど……。もしもが頭から離れない。大人になって、家族全員から白い目で見られ続ける。それが、マンガを描き続ける意味……。嫌だ、嫌だ。考えたくもない!


 そんな時、スマホが震えているのに気付いた。なのは からのメッセージ。


「試合勝ったよー。真宵のおかげ(^^)V。

ところで、月曜日なんだけど。お昼一緒に食べない? 返したいものがあるから。いつものベンチで待ってるよ♡」


随分と上機嫌なメッセージだが――。三回読み返してみても分からない。あたしのおかげで試合に勝ったってどういうことなんだろう。応援にも行ってないのに……。


「それで、なんで今ごろになって来たの」

「う~ん。この近くに来た時は実は毎回確認してたんだよ。まあ、年に一、二回。 ただどうしてるのかっていうのを遠くから見て、それで満足して終わるだけだったんだけどね。ところが、最近君の話を聞いたらそういうわけにはいかなくなったから」


 落ち着いた声で話し始めた二人だったが、東雲が急に動いて呪術師から離れた。顔を呪術師の方に向けたので、こっちからは表情が見えない。ただ、出てきた言葉は氷みたいに冷たく固かった。


「聞いたって、保坂じゃないの? 保坂真宵」


 唐突に、あたしの名前が出てきて心臓が飛び上がる。危うく、喉にパンが詰まるところだった。多分、呪術師が言っているのは昨晩あたしが話したことだろう。でも一体、どうして分かったんだ?


「保坂さんね。名前は聞いてなかったから、その人かは――」

「私と同じクラスの奴よ。背が小さくて、髪は肩くらい。肌が作り物みたいに白い女子」

「ああ、その人かもね」


 呪術師の答えを聞いた瞬間、東雲が足元の小石を蹴った。思いきり振り抜かれた足は小石を見事にとらえ、ポチャンと音を立てて噴水に落下した。彼女は、苛立たし気に足をドンドンと踏み鳴らしている。スカートがバサバサ揺れる。


「やっぱり。妙だと思ってたのよ。あいつ、半月ほど前から急に絵が上手くなりだして。上達具合が普通じゃなかった。あんた、あいつにも呪を渡したでしょ」


 不満げな声で聴いたのは、ちょっと意外な話だった。まさか、あの皮肉屋があたしの絵が上手いと思っていたとは。自分ではあんまり気が付かなかったのに。でも、考えてみれば毎日皮肉を言い続けていたということは、毎日読んでいたっていうことでもあり――。一番あたしを嫌っていた人が一番の読者になっていたわけか。これが一番の皮肉。


「なんで、そんな真似したの!? あんた、私の味方なんじゃなかったの」


 陰のある、絶望したような声を受けながら寂しげな笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振る。そして、呪術師は細くてしっかりした腕を伸ばして、相手の肩に手を置く。


「僕は、どちらの味方というわけでもない。ねえ、美里ちゃん。君は、なんのためにあの縛りを受けたか、覚えている?」

「それは。あの男みたいにならないために。まっとうな人間として生きるために」

「違う。それももちろんあったけど、もっと深く。君が見ていた、僕に昔叶えたいと言っていた意味が。あの呪の、本当の意味を覚えていないのかい?」


 呪の意味。それは、昨晩同じことをあたしも言われた。発した言葉の意味。あたしは、まだそれを見つかられていないけど。東雲は、それを持っていたのか。


 ジッと正面から見据えられた視線を外すように、うつむくと東雲はハーッと息を大きく吐き出した。長い髪が白いワンピースの上をサラリと流れ落ちる。


「みんなが協力して、お互いのために努力する世界。自分のことだけにこだわらずに、全員が互いに関わりあって、嫌なことから逃げ出さずに立ち向かう世界。 ……そんなものが欲しかった。大それたもんだけど、せめて自分の周りだけでも」


 しんみりした声だった。懐かしむような、寂しがるようなそんな声。一瞬、目の前に小さな子供が浮かんだ。白いワンピースで、髪がサラリと長い、無邪気な女の子。


「それが、今頃どうしたっていうのよ」

「今の君は、それを目指せているかい? 見失っていなかったと、心から胸を張って言えるかな」

「……何が、言いたいの」

「君は自分の理想を君なりに追っている。でも、そのせいで誰かをはじき出さなかったかな。『みんなが協力する世界』に引き入れるために手を差し出せたといえるかな?」

「……お説教ってわけね。言っとくけど、私は子供じゃないから」


 寒々とした声で突き放す。周囲の気温がリアルに下がった気がする。全身にかかる圧力に耐えられなくなる。正直、抜き足差し足で離れたいくらい。それでも、呪術師は笑っている。しかも、より優しさが増してすらいる……。


「僕にとっては、君はまだ子供だよ。全然変わってない。五年前『伯父さんのバカヤロー』って叫びながら全力疾走していたころと。そして、『現実を見据え続ける強さが欲しい』といって、『うつつ』の縛りを受けたあの頃と」


 呪術師は、クレープの最後の一口を食べ終わると包んでいた紙をクシャッと丸めてゴミ箱に入れる。そして、立ったままこう告げた。


「呪は言葉で相手を縛る。そして、一つの言葉にはね、たくさんの意味があるんだ。使い方によっては真逆の意味すら。だから、自分の中での意味を強く持ち続けないといけない。ねえ、美里ちゃん。僕はあの頃の君がまだいると信じてる。だから、思い返してくれ。君はあの頃見つけ出した意味を失わずに持っているかい」


 そう言うと、彼は顔を上げてお茶目にウインクしてみせた。――バッチリ視線が合っている。ううっ。一体いつからあたしに気づいていたんだろう。もしかして、最初からか。


 まさか、東雲も。そう考えて彼女の顔に注目してみたが、焦点の合わない目で俯いているだけだった。気づいてなさそう。


 もう一度視線を上げた時。ほんの二、三秒だった。呪術師の姿はなかった。陽の光に影が照らされるがごとく。その姿は消えていた。

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