第5話 縛られた上で望むもの

 夕日が沈みかけ、濃紺の空には街の明かりに照らされた雲がぼんやり漂っていた。ほとんど風がないのか、もたもたと動かない。


 あたしは一人で放課後の道を歩いていた。すっかり遅くなっている。今日は体育委員との打ち合わせに出席していた。今年の体育祭用パンフレットに載せるマンガの打ち合わせだ。取りあえず、締め切りと今後のざっくりとした段取りを決めて、どんなキャラでいくかも決定した。


 今のところ、順調にことが進んでいる。でも、足取りが重い。一歩一歩が沼に沈んでいるんじゃないかっていうくらい。理由は分かっている。なのはだ。


 今日の委員会で、友達のなのは も出席していたが、彼女は一度も話しかけてはこなかった。何か言おうとする素振りは見えるのだが、どう言えばいいか分からないという様子だった。そしてその後、別のクラスの女子のところに行って騒いでいた。心なし、あたしといる時よりもテンションが高い。もちろん、なのは にだって別の友達がいることくらい分かるけど、その姿に居た堪れなくて、あたしも彼女を避けてしまった。


『お前、そんな奴じゃなかったろ』


 昨日の言葉が、何度でも蘇ってくる。昨日、あたしは東雲を打ち負かした。自分のことがみんなから認められて、相手の立場が崩れていて。それが分かっていてやってしまった。


 ただ自分の正しさを述べただけじゃない。あの時、今まで自分を傷つけていた東雲が崩れ去る姿を見て、ざまを見ろ、と思ってしまった。あたしは変わってしまっていた。それが、まっすぐな なのは には耐えられなかったのだろう。


 中学生の頃、彼女の試合を見に行ったとき。二塁に向かっていた走者が、打球を取ろうとしたセカンドと接触しそうになった。その結果取れたはずのボールをセカンドが落とした。審判は何事もなく続行した。これなら、ただの事故だが客席から見ても走者が当たりに言っているように見えた。それでも、審判が言うならとみんな引き下がろうとした時に、なのは は頑強に抗議した。試合は中断し、セカンド本人が彼女をなだめようとしても折れなかった。結局十五分もの抗議の末に、判定を翻させた。


 なのは は間違ったことが少しでもあるとそれを正すまで戦い続ける。そういう人だ。だからこそ、昨日のあたしの声が純粋な反論だけではなく、悪意も混じっていることに気づいたんだろう。


 どこかから聞こえてくるテレビの音が虚ろに聞こえてくる。イヤホンをした男が自転車に乗ってあたしを追い越していった。


 どうして、あたしは変わったのか。転機は、そう。あたしの絵が認められるようになったからだ。今まで、くだらないことをやってる、無意味なことをやっていると思われていたことがようやく認められてつい天狗になっていたからだ。皮肉だ。あたしを孤独から救ってくれたことが発端で親友が離れてしまうとは。


 目を瞑って考える。今のあたしと昔のあたし。どっちが幸せだっただろう。


「寝ながら歩くと危ないよ。お嬢さん」


 体に染みこむような低い声。目を開けてみると、傍らの公園の中。街頭に照らされたベンチに座って、若い男がこちらを見ていた。黒のTシャツに、黒のジーンズ。屈託のない表情でピザを掲げてこっちに挨拶している。


 呪術師。あたしに不思議な世界を見せ、絵の才能を与えた張本人。


 思わず、駆け寄っていた。目の前のことが信じられないあたしに、ピザの箱をどけて座るように促した。


「ずいぶんとお疲れのようだね」

「どう、して。ここにいるの」


 彼は放浪の身だと言っていた。それからそろそろ三週間になろうとしている。もうてっきり、どこか遠い町に言っているとばかり思っていた。なんでまだここにいるんだ。


「ああ。流離さすらいの身というだけで、目的地があるわけじゃないから。彷徨さまよって、彷徨さまよい続けて気づいたら戻ってきていたというだけだよ」


 あっけらかんとした答えだった。身もふたもなさ過ぎて言葉もない。あたしが黙り込んだのを良いことに、箱からピザを一切れ取り出して口に運んでいる。どうやってせしめたのか、出来立て熱々らしく、口の中でハフハフやっている。一口噛めばチーズが伸びる、伸びる。


 半分、呆れた顔で見ていることに気づいたらしく口にほおばっていた分を飲みこんでから口を開く。ごくんと飲みこむときに頭を動かすところが子供っぽい。


「どうやら、お悩みみたいだね。あの呪に関連することかな」

「なんで、それが」

「いや、前に会ったときよりも浮かない顔をしてるからね。だいたい、多いんだよ。縛りを受けて急に変化することに対応できない人が」


 図星をあっさり刺されて、狼狽した。てっきり、呪術を使ったのかとまで勘ぐったのだが、意外と普通だ。見た目も言動も普通なのに、いきなり世界のありようを変えたりする。どうにも、捉えどころがない人だ。


「それで、どんな悩みなの? 一応、気にはなるからね。話してくれる?」


 優し気な瞳に照らされて、あたしはするするとこれまであったことを話した。今まで、マンガについてバカにされていたこと。コンクールで金賞が取れたこと。突っかかってきた人と口論になったこと。それが原因で、親友と不仲になってしまったこと。


 あたしが話をする間、呪術師は何も言わなかった。ただ、時々頷いているだけ。あたしが言い淀んでも、ただジッと待ち続けていてくれた。そのことが何だか、心地よかった。いきなり、呪術にかけられたなんて話、誰にもできなかったから。隠さずに話せる相手が欲しかったのかもしれない。


「人付き合いが変わる……か」


 ひと通り聞き終わると、彼は空を見上げた。口元には笑みがあるが、なんとなく苦笑いに近い。諦めが漂っているというか。いつも優し気な笑みだったので、妙に不安になる。あたしたちを照らす蛍光灯がゆっくりと瞬く。


「それも、多い話だね。なかなか、避けがたい話だよ」

「避けがたいって……!」


 ゆっくり述べられた言葉に噛みついてしまう。あたしに呪をかけたのは彼なんだから、アフターフォローとは言わないまでも、何かしらの方法を教えてくれるんじゃないかと思っていたのに。あたしは、なのは と別れ別れになるしかないっていうの!?


 慌てるあたしに、呪術師が向き直る。穏やかな表情だ。風が吹き抜け、肌が冷やされる。


「当然だよ。言葉で縛りを与えることで、君に新しい性質を付け加えたんだ。極端に言えば、君自身を変化させた。それ以前の君とは本質的には別人になるということだ。違う人が全く同じ交友関係を築くなんて。そっちの方がおかしな話だろう?」


 淡々と述べられた言葉はあんまりにも当然で。否定できないことだった。あたし自身に与えられた縛り。それが持つ意味をようやく理解した。そうなったら、我慢できなかった。


「じゃあ、あの呪を外してください!」

「え?」

「友達を失くすくらいなら、いりません。外してください」


 将来もマンガを描いていく。みんなに認められて、みんなを喜ばせる。それがあたしの夢だった。それは今でも変わらない。でも、親友を失ってまで叶えたいことだとは思わない。


 昔の自分と今の自分。どっちが幸せなのだろう。大勢から受け入れられた方が幸せという人もいるだろう。でも、あたしは。お昼になのは となんてことのないことで笑いあえる方が良かった。あの屈託のない笑顔が好きだった。素直でストレートで、大雑把なくせにまっすぐな彼女と一緒にいたかった。


「あの縛りを外してください。こんなことになるくらいなら、自分の力だけで目指します」


 夢は叶わなくなるかもしれない。それでも、こっちの方が後悔しない。そう信じている。


 呪術師はしばらくあたしの顔を見た後、ゆっくりと下唇を噛んだ。そして、思わず立ち上がっていたあたしに、座るように促すと、口元に手をやった。


「悪いが、呪を外すことはできない」


 耳を疑う言葉だった。彼は、あたしの話を聞いていなかったのか? どうして、解いてくれないんだ? 怒鳴りつけそうになったあたしを、彼が手で制した。


「呪は、相手に言葉で縛りを与えるものだ。言葉で性質を変えるものだ。そして、言葉というのはね、一度出してしまえばそれを取り消すことはできないんだよ。よく間違った言葉を撤回するということをテレビなんかで報道するから勘違いしているのかもしれないけどね。発言した言葉が記録から消えても記憶には残り続ける。絶対に消えないんだよ。消したと思っているのは、ただ上から別の言葉を重ねただけ。その下には前に発せられた言葉が残り続けているんだよ」


 俯いた顔を手で覆う。熱い吐息がこもる。呪術師の言葉は理解できた。あたしが元には戻れないということを理解してしまった。


「すまない」

「……あなたは、どうして呪術師になったんですか」


 ポツリと出た質問。ただ話を変えたかったのか、当てつけなのか。目の前をトラックが通り過ぎる。呪術師はそっと答える。


「言葉が好きだから」


 申し訳なさそうな目で、照れくさそうに頬を掻いて、それでも誇りと喜びを声に込めて。そのことが、何故だか無性に綺麗に見えた。悔しいけど。


「言葉は人を慰め、鼓舞するものだ。もちろん、傷つけあうことだってあるけれど、互いを繋ぐのもそれしかない。近しい人も、遠く離れた人も。もちろん、人以外のペットにも。言葉をかけることで信頼も、友情も、愛情も伝えられる。過去の人々の声を伝え、僕らの声を未来に伝える。見ただろう。言葉は世界そのものだ。そんな言葉がたった一人を助けるために使われるって素晴らしいことだと思う」


 だからこそ、言葉で人を助けたい。その力を信じたかった。


 呪術師は確信をこめてそう言った。切実な声。あたしの価値観はその言葉によって変えられたんだけど、彼が心から信じての行動だったことは分かる。だから、自然と許せた。


「じゃあ、もう行きます」

「ああ、一つだけ伝えたいことがある」


 立ち上がったあたしの腕がそっと掴まれる。強い力ではないけれど、それに従ってあたしは歩みを止めた。またぞろ、蛍光灯がゆっくり点滅した。


「一度、出してしまった言葉は取り消せない。でもね。言葉は同時に移り変わるものだ。長い時の中でゆっくりと、あるいは短い時に急激に意味を変える」


 ゆっくりと彼は深呼吸した。あたしの心臓がゆっくりと緊張しながら鼓動する。言いたいことはまだ分からないけど。それでも、大切なことを言おうとしているのは分かる。


「君は思いを伝えられるだけの画力が欲しいと願った。そのことは変えられない。でもね、その言葉の意味は変えられる」

「意味を変えるって。どんな風に?」

「それは分からない。。君は思いを伝えきれるマンガを描いて、それをどうしたい? マンガを描くということについて、君だけの意味を、意義を見つけるんだ。僕が与えた縛りはそれを叶えるためのものだ」


 そこまで言って。まだもどかしそうな表情をしながら、呪術師は手を離した。カサカサと音を立てて枯葉が飛んでいく。


「……アドバイス、ありがとうございます。――考えてみます」


 あたしは踵を返して、辛そうな物悲し気な彼を残して、公園から立ち去った。

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