第4話 好転、逆転、暗転

 なのは と東雲のぶつかり合いから二週間が経過した。あの日以来、あまり なのは と話せる時間が取れなくなった。最大の理由は、外部のグラウンドを借りるための下見や、交通の手配などの雑用に彼女が駆り出されているからだが、東雲の件はあたしのせいで巻き込んだ手前、どうしても気にしてしまうということがあった。


 一人で過ごす時間があんまりにも増えてきたので、普段描いている4コマではなく、ストーリーマンガを描くことにした。タイトルは気取って英語で”Sink to the token ocean”と名付けてみた。インターネット上にAIが放たれ、大騒動を引き起こすというお話だ。創った科学者同士の恋愛とか、政府の思惑、凄腕ハッカー出現とか。どんどんアイデアが出てきて、止まらない。またぞろ、東雲が「いい加減にすればいいのに」とか言っていても気にしない。


 むしろ逆だ。いつか見返してやる。そう思った。こっちが正しいということを見せつけてやる。


 あたしを取り巻く環境が大きく変わったのは、そんな日の放課後だった。下駄箱に向かっていると、前から美術の担当教師が足早に近づいてきた。


「あ、保坂さん」


 眼鏡越しに見える目が嬉しそうに輝いている。なんだ? あたしを見て喜んでる? あたし、ものすごくこの先生と仲が良いとかそんなつもりなかったけど。


「あのコンクール金賞だよ!!」


 ……コンクール? あのイラストの? あたしが……。


「ホントですか」

「ホント。選評も読んだけど、鷹が迫ってくる姿がとっても力強くて意思が感じられるって好評だった」


 終業式の時に表彰もされると思うわよ。そう言う先生の顔をあたしは信じられないと思ってみていた。確かに、自分でも出来が良いほうだとは思っていたけど。ちゃんとしたコンクールなんかで評価してもらえるほど表現ができていたとは。その瞬間、思い出した。


『あたしが表現したいものを、描きつくせるだけの才能が欲しい』


 願いがかなったんだ。そのことをようやく実感できた。本当に――あたしが。自信が溢れてきて体の内側を焼き尽くしていった。


 コンクールの件は翌日にはクラスメートに知れ渡っていた。あたしは誰にも言っていなかったのに、噂は風よりも早く伝わっていた。


「すごいね、保坂さん。金賞だって」

「すげーな。俺、絵とか無理だわ」

「いっつも、何か描いてるよね。見せて!」


 噂はあたしへのみんなの対応を大きく変えた。コンクールのことではみんなが褒めてくれた。あたしが描いていた新しいマンガも、まだ途中なのに面白いと言ってくれる。


「今回評価されたところで、今までとやっていることなんて変わらないじゃない。周りに合わせて変わろうとしていないだけよ。後悔するわ」


 ……東雲だけは相変わらずだったが、彼女に賛成する者は今までの四分の一もいなかった。それだって、流石に大っぴらには動かない。


 今までの重圧が一気に軽くなった気分だ。あとは東雲さえ何とかなればもう言うことなし。そんな夢のような日々に突入したころ。なのは がクラスにやって来た。いつもはクラスの方には来ないのに。聞けば、教科書を借りるとか言うことでもないらしい。


「実はね、体育委員で毎回注意事項をまとめたパンフレットを作ってるんだけど、そこに補足でマンガを描いてもらえないかと思ってね」

「……え?」


 学校行事のプリントにあたしのマンガが載るってことか。今まで考えたこともなかった。呆然としていると、サラリとしたショートカットをグチャッとやりながら事情を説明してくれた。


「みんな、注意書きなんか面倒で読まねえだろ。でも、マンガなら珍しいし読んでくれるかもって意見が出たんだ。まあ、冗談みたいな意見だったんだけど、ほら、真宵が金賞取った話が出てさ。あの人ならみんな納得するんじゃないかって。その気になっちゃてるんだけど、どう?」


 こう言われたら、断れるわけもない。最近、クラスの人が読んで面白いと言ってくれている。なら、もっと多くに読んでほしいと思うに決まってる。それになのは の頼みならば是が非でも。


「うん、やるよ。頑張るよ」


 そう言うと、なのは は気さくに笑ってくれた。いつも彼女が向けてくれる素直な笑顔。これを見るためなら、どこまでだってやれる気がした。


 明日の打ち合わせ前でも、マンガを描く上で準備すべきことがある。すなわち、キャラクターづくり。どんな格好のどんな性格のキャラを作るか。お話の基本になるのはここだ。ここがしっかりしていれば、作者自身思ってもいなかったところに連れていってくれることもある。彼ら彼女らがあたしを引っ張っていてくれる。あんまりに突拍子もなさ過ぎて、こっちが「どうどう」となだめるくらいが理想的。


 放課後、教室に残って作業開始。慣れている自分の部屋でやろうかとも思ったけど、学校向けなら学校でやった方が良いアイデアが出そうな気がした。


ベタなのは、生徒役と教師役を作るとこかな。そんなところから、キャラの風貌にイメージを膨らませようとしていたとき。


「へえ、さっそくね。精が出ること」


 決して褒め言葉ではない揶揄があたしの思考を吹き飛ばす。あとちょっとだったのに。


「なに」

「いやあ。随分と担ぎ上げられてるなと思ってね。読んでくれないからマンガで。どっかの寂れた役所が考えるみたいだよね。もっとやるべきことがあるのに」

「……」

「もっと見てほしければ、無駄をなくすことだ。簡単に、簡潔にまとめりゃあいいのに。シンプル・イズ・ザ・ベスト」


 違う? そう尋ねた来た顔を間近で見てあたしは気づいた。東雲がかなりやつれていることに。以前は艶のあった髪が今では光沢を失い、制服も心なし乱れている気がする。話し方も入学したころの上から目線とは違って、必死になっている気がする。


 しかし、弱っている見た目とは裏腹に、目だけが強い。以前よりも明らかに。禍々しいと言っても良いくらいの光を帯びている。背筋が凍る姿だった。そこには強烈なまでの執念がある。


「マンガだとか、アニメだとか。そんなもの。色んなものをデフォルメして現実から切り離して。目を背けてるだけだよ。嫌なことがあれば逃げるだけのお子様の考えだ。そういう奴を見てると心底腹が立つ! お前みたいなのが目の前にいるだけで我慢ならない」


 咄嗟に周囲に視線を巡らせる。隣には、あたしが描いていた“Sink to the token ocean”のマンガを読んでいるグループがいた。彼女たちと視線が合う。瞳が揺れている。戸惑っている。


「美里、どうしたんだろ」

「えべーな、東雲のやつ」


 そんな声がぽそぽそと、教室のあちこちから聞こえてくる。その声がスッとあたしの混乱した気持ちをなだめてくれた。そうだ、おかしいのは東雲の方なんだ。怯んじゃなダメだ。


「おかしいのは、そっちでしょ。見やすくて何が悪いの。自分だけの世界があって何が悪いの。他人のことにいちいち口を突っ込んで。自分だけが正しいなんて思ってさ。そういうのが、独りよがりなんだよ」


 東雲の目が細められる。鋭さが増す。でも、そんなの怖くなかった。だって、こっちには大勢の人がついてる。東雲なんか、もう相手にならない。


「自分の好きなことをやればいいのよ。みーんな、それでうまくやってるよ。マンガだって、楽しければいいじゃない。そうでしょ?」


 御託並べて、見下して。現実、現実ってそれに縛られてるだけじゃないの? そんなの他人に振り回されてるだけだよ。


 あたしが言葉をぶつけるたびに、どんどん向こうの憎しみが堪ってくるのが分かる。今では薄く唇を開き、威嚇するような形になっている。それでも、何も言ってこない。


 頭がガンガンする。視界の端が揺らいで、自分の声が水の中みたいに遠く反響する。


「みんなだって、そう思ってるよ。新しいことして楽しんで。自分のやりたいことやって。それが出来ないのは、ただ古くさいだけだ!」


 周囲を見渡す。東雲も目だけを左右に動かして確認しているのが分かった。誰も、なにも言わない。ただ、黒板を消していた女子は東雲から目をそらした。奥の方にいる男子は、あたしの4コマを眺めている。東雲の取り巻きは、息をひそめてお互いを力なく見ている。


 あたしの言葉は止まらない。頭に血が上ってきたのか、何を言っているのかも判らない。言葉が頭をすり抜けていくみたい。


ただ、心の中にあったのは思い知れば良いという感情だった。今まで、一方的に屁理屈でからかってきて。なのは を嘲笑って。報いを受ければ良い。そう思った。


 ガタンッ。イスを蹴って東雲が教室から出て行く。勝負あった。


 自分が間違いだと思い知っただろう。乱暴に開け放たれた扉から、東雲が姿を消すとその向こうになのは の姿があった。夏に近づいてさっぱりとした陽が窓から入り込み、彼女を照らしている。今日は部活なのに、わざわざ寄ってくれたらしい。思わず駆け寄る。


「なのは、さっきね。言ってやったよ。あたしが正しいんだって。言い負かしたんだよ!」

「――ぁぁ」


 いつもと全く違う、覇気のない声。どうして今まで気が付かなかったんだろう。あの明るい なのは から、表情が抜け落ちている。


「どうかした?」

「なんで、あんなことした?」

「あんなことって?」


 真顔で、虚無そのものみたいな目であたしを見つめるなのは。訳が分からない。上から見下ろされて、奇妙な威圧感を感じる。


「それは、体育祭にマンガなんておかしいって言われて」

「そうじゃない。なんであんな言い方したのかって聞いてるんだ。さっきのお前、この前のあいつとおんなじだったぞ」


 そう言われて、気がついた。あの時、今までの鬱憤を晴らしながらも心のどこかでそれを喜んでいる自分がいた。憎々し気な、それでいてあたしに反論できない東雲の姿に。考えればゾッとすることだった。慌てて否定する。己の心を否定する。


「あれは、ただ今までやられた分を返しただけで」

「それって、あいつと同じになるってことだぞ。あいつと同じで見下すってことだぞ」


 なのは が、あたしの肩に手を置き体をかがめて目を合わせてくる。表情のない、それでも悲痛な声。


「真宵。お前、そんな奴じゃなかったろ」


 ……何も言えなかった。あたしは、別に聖人でも何でもない。ただの女子高生だ。嫌なことがあれば嫌いもするし恨みもする。でも、それを相手にぶつけたことは確かに無かった。


 買いかぶりだと言ってしまうことはできた。でも、それを言ったら、何か大事なものを永遠に失う気がした。


 どれだけの時間が経ったのだろう。十秒とも、一時間とも言える時間。黙ったままのあたしから、なのは が視線をそらす。肩からぬくもりが消える。


「部活だから行くな」


 彼女は去っていく。あたしは声をかけたくても、どう言えばいいのか分からなかった。頭が、心が痺れていた。なのは は振り返らない。窓の外はいつの間にか、灰色の雲に覆われていた。

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