第3話 東雲の嘲笑、なのはの怒り

 呪術師と会った日から三日が経った。あの時に見せられた言葉まみれの世界は強烈すぎてたまに目を瞑ったら出てきてしまうのだが、それ以外には特に日常に大きな差はなかった。


 あの時に願ったマンガの腕は確かに上がった。線の描き方とか、人や背景のバランスなんか。今まで苦労して何回も描き直してきたものがほぼ一回で納得いくものを描けるようになった。


 ただ、今一つ劇的な感じがしない。上手くなったのは、別に急激な変化があったわけでなく、今までの努力の延長線上という気がしてくる。勝手に期待してしまった分、なんだか肩すかしを受けた気分だった。


 学校での生活も相変わらず。クラスであたしと話す人は全然いない。だから、本日最後の授業、美術でもあたしは黙々と作業に没頭している。周りはいつもの教室から離れた開放感からおしゃべりに夢中だというのに。


 今日の課題はイラストだ。割と珍しい課題らしいが、与えられたテーマを表すポスターサイズの絵を創るという課題だ。ちなみに、テーマは「チャンス」漠然としていて、なかなか掴みどころがない。どこかのコンクールの課題らしいけど……。


 目に見えない物をまともに描くのは無理だから、なにかシンボルを与えよう。あたしが、すぐにそう思いついたのはマンガとかアニメ・小説でよくある王道だからだ。バッジとか刀とかそういうのを心のこもった受け継いでいくのは、誰でも知っているだろう。ベタだけどエモい。


 騒々しい周りの声をシャットダウンしてあたしが描き始めたのは、一羽の鷹の絵だった。普段の描き方が出るのでマンガっぽい絵になるけど、ポップな感じじゃなくてできるだけリアルに寄せていった。見ている人に向けて大きく爪を広げて急降下する姿。眼光は鋭く、大きな翼が太陽を遮っている。


 質感を出すために、羽根の一本一本まで丁寧に。でも、何が何でもつかみ取るという意思を出すために、現実よりかぎ爪は大きめに。目も、黄色を濃い目にしておいた。


 荒々しさを出すために、草を強風で飛ばす。青い空が希望を見せる。


 時間のかかる作業だけど、五、六時間目ぶっ通しの作業だったからギリギリのところで、鷹が描きあがった。自分でも「おお……」と言葉が出るほどに鬼気迫る表情だった。バックの抜ける青空もなかなか……。


 ラストに、赤で大きく文字を書く。普通、イラストと言われたら絵だけで完結させようとするだろうが、あたしにはそこまでのこだわりはない。どっちかと言うと、ポスターの感覚に近い。イラストでは反則と言いそうな人だっていると思うけど、相手に想いを伝えるのが目的なんだから構いはしない。変なこだわり持つ方がバカだとさえ思う。


 ワザと毛羽立たせた筆を使って、「チャンスは一度」と荒々しく書く。迫ってくる力。これは、三日前に見た文字世界での『呪術師』の影響だろう。


 フーッと軽く息を吹きかけながら乾かす。ついでに、チラチラ他の人のを見てみるが、正直何を描いているのか分からなかった。形が分からないというより何がしたいか。人がいっぱい並んでいるのを見てそれがどうしてチャンスになる?


 チャイムが鳴って、描きかけでも提出していく。元々、ためしにやってみようくらいのノリでの課題だったから、先生も大して何も言わなかったが――。


「保坂さん、これ」

「はい?」


 帰ろうとしたあたしの背に、ぼんやりと投げかけられた声。一瞬自分に向かってだと思えなくて、そのまま歩いていきそうになった。振り向いてみても、眼鏡をかけた地味な先生は手元に視線を落としていて聞き違いかと思った。


「ええわ、これ」

「はい?」

「これ、コンクールに出しても良い?」

「コンクール……。別に構いませんけど」


 人に見られたくないとか、そんな考えはあたしにはない。まあ、マンガじゃなくてイラストというのは不思議な感じもするが、断るものでもない。それに、50近くの先生が子供みたいに目を輝かせているのを見ると悪い気はしない。


 いつもよりもちょっとだけ、上機嫌で終礼が終わった。最近、なのは が忙しくなっているせいで学校に来るのが本気で憂鬱で心が沈んで浮いてこなかったから、結構嬉しい。


 いつもよりも足取り軽やかに歩いていると、タッタッタッと軽快なリズムが迫ってきて、肩を叩く。


「よっ! 真宵。お昼ぶり」


 ガバッと抱きついてきたのは、なのは だった。うう、重いよ。こういう時はされるがままだ。


「眼鏡っ子さん。嬉しそうだね。何か良いことありました?」


 なのはがトーンを変えて大人っぽい声を出す。元が少し低めの声なので、イケボだ。耳元でくすぐるようにされると、もう、もう、もう! なのは が男だったらイチコロだ。


 心の奥がゾワゾワする。腕を振りほどいて距離を空ける。危ない。下手したら、百合に目覚めそう。落ち着くために深呼吸してから事情を話す。


「実は、授業で描いたイラストがね。上手く描けてるから、コンクールに出さないかって言われたの」

「へえ、すごいじゃん。ああ言うのって、美術部しか参加しないと思ってたけど。それだけ見どころあるってことなんだな!」


 パン、パン、パン。廊下に拍手が響く。目を丸くして素直に感心してくれる、なのは。その姿に、また嬉しさがこみ上げる。こんな風に、ストレートに褒めてもらえるなんて幸せだ。なのは がいて良かった。


「良いなあ。見たかったなあ」

「それほどでも」

「ホント、それほどでもないよ」


 唐突に割り込んできた冷ややかな声。いつも聞く声に条件反射的にあたしは身をすくめてしまう。だが、会ったことのない なのは はそんなことしない。怪訝そうに、むしろ若干睨むように声の主を見る。


 止めて、そんなことしないで。そんな叫びは口から出ることなくただただ胸の中で反響するだけ。


 張り詰める空気の中、あたしは身を小さくすることしかできない。自分よりも体格の良いなのは に睨まれながら、東雲美里は不敵に笑っている。何も、恐れるものなどないように。


「提出の時にチラッとだけ見たけど、やっぱりデフォルメっぽい絵だったよ。緊張感がないというか、ね。しかも、絵の中に標語みたいなの入れてさ。広告のポスターじゃないんだからね。真面目にやれって思うよ」

「真宵は、真面目にやったさ」

「あなたは別のクラスなのに? 見てもいないのにそんなことが言えるの」

「言えるさ。昔っから見てたからな。真宵は、絵を描く時は真剣だよ。いつも良いものを作ろうとして頑張ってるさ」


 混ぜっ返すような東雲の言葉に力強くなのは が反論する。普段の性格が豪放磊落。細かいことは気にしないというなのは が、そんなにあたしのことを見ていてくれたなんて驚きだ。思いがけず聞いた親友の言葉に胸が熱くなる。


 しかし、それでも東雲には届かない。ふうん、と笑って切り口を変えてくる。編み込み部分についたブローチをいじると、髪をゆっくりとすいてみせる。余裕の態度。しかも、つやのあるロングヘアーも相まって、嫌になるくらいに決まっている。


「じゃあ、方向性が間違ってるんだね。そりゃあ、余計にマズいよ。どこにも行けないなら0にしかならないけど。なまじ、変な方に進むとマイナスだ」

「てめえ、何が言いたい?」


 マズイ。なのは の言葉遣いが荒っぽくなってきている。これは、相当に怒りが溜まってきてる。あたしのためを思っているのは分かるけど、下手に問題を起こしたらなのは の立場が。


「コンクールって言う、みんなが真面目に、教養を持って取り組むべきところに下手な小細工してるっていうのよ。そりゃあ、奇をてらったものは目に着くわよ? 物珍しさはある。けどね、所詮は邪道。結局は王道を行くものには叶わない」


 邪道。その言葉がドスンと音を立てて心にのしかかる。あの絵が。あの力強くて美しい鷹が、邪道だなんて許せない。あの、あたしの会心の一作が汚されたように感じた。


「じゃあ、東雲さんは何を描いたの?」


 他人のことなら何とでも言える。でも、あたしが見た限りではみんな何を描きたいのかも分からないものばかりだった。あれが、王道だって? その思いが、普段やられっぱなしのあたしの心を奮い立たせた。どう考えても、おかしい。その一念で小さくとも反論する。しかし。あの東雲美里がこんなことで打ち倒せるわけもなかったんだ。


「カイロス」

「かいろす?」


 平然と返ってきた答えだが、意味がさっぱり分からない。馬鹿みたいにそのまま疑問形で返してしまった。それを見て、東雲がやれやれという表情は作って芝居がかった仕草で首を横に振る。


「知らないのー。ろくでもないものばっか読んでるからだよ」

「落ち着いて聞いてりゃあ――」

「カイロスは、ギリシャ神話で『チャンス』そのものを示す神だよ。前髪が長くて、後頭部は禿げ頭。通り過ぎれば後ろから掴むことはできない。まさに、

 あたしの方を見て、わざとらしく言ってのける。「こっちの方がぴったり。なんで鳥なんか描いたの?」と。


 ニヤニヤ笑いに腹が立つ。それでも、自分の頭がジンジンするのを感じる。反論……できない。自分の描いた絵が間違いだとは思っていない。自分が表現したかったこと。「チャンスは何が何でも自分の意志で掴み取る」それはあの絵じゃないと表現できないと今でも思う。けれど、あのテーマにカイロスというものがぴったりだということは認めざるを得ない。あたしは知らなかった。


「もちろん。極力人間に寄せていったよ。リアリティを求めて。自分の世界の中だけを表現するんじゃなく。みんなが共有できる世界を追求してね」

「でも、自分の思っていたことを表現するのが、絵でしょう」


 最後に、なんとか言葉を絞り出す。視界には、廊下しか映っていない。まともに目を合わせる気力もない。でも。ここにはなのは いる。それがあたしを勇気づける。


「自分の心で思ってることを表現するのが、絵でしょう?」

「自分の世界が、そんなに大切?」


 今まで自慢げだった視線が、冷めたものに変わる。まるで、見る価値もないとでも言うように。心底、呆れ果てている。端正な顔から表情が抜け落ち、作り物めいた美貌があたしを照らす。


「自分の価値観でしか作られていない世界が、そんなに大切? 世界はみんなで作るものでしょ。無人島でどれだけ良い生活しても、誰にも知られず消えるだけ。ささやかでもみんなが作るものに参加して、ルールを守って、その中で認められる。それが社会だよ」


 私が何言っても、あんたには一生分かりっこないみたいだけど。


 軽蔑した視線をもう一度送って立ち去ろうとする。


 悔しい。哀しい。あたしの価値観を、今まで心躍らせた様々な経験が片っ端から否定された気がした。


 立ち止まってしまいそうなあたしの代わりに動いたのは、なのは だった。後ろから、東雲の細い腕をがっちり掴む。


「何」

「謝れ。勝手にベラベラ好き放題罵倒しやがって――」

「罵倒ね。間違ったことを言ったつもりはないけどね」


 なのは の右手が拳をつくる。あたしはその腕に咄嗟に飛びついた。一瞬引きずられそうになるが、辛うじて止まった。運動部らしい引き締まった腕だ。全力でしがみつかないと怖い。それでも、東雲の言葉は止まらない。


「実力行使ね。それ、頭じゃ敵わないって認めてるだけだからね、おバカさん」

「……行こう。行こうっ、なのは!」


 これ以上、続けるわけにはいかない。その必死さを汲んだのか、なのは 踵を返す。


その背を押しながら振り返ると、東雲は涼しい顔でこっちを見ていた。許せない。あたしに対してならともかく、友達想いの なのは まで暴言を。絶対に、許さないっ!

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