第2話 与えられた呪

「僕は呪術師だよ」そんなセリフを聞いて最初に思ったことは、この人は頭がおかしいんじゃないかっていうことだった。


 見た目二十代後半。優しそうな顔だちに、上下黒のカジュアルなスタイル。ここまでなら、いたって普通の男だ。それが、土砂降りの日に傘もささずに空腹を訴える。やっぱり、頭のねじが外れているからだったんだと妙に納得してしまった。


 こういう時は……。そう、口答えせずに愛想笑いだ。適当に合わせて早く逃げよう。


「呪術師ですか、すごいですねえ。どんなことをされるんですか」


 自分でも白々しい感じの言葉になったが、幸い相手は態度を変えなかった。気づいてないのだろう。雨に濡れるのも構わずに話し出す。


「そうだね、呪術といっても、映画とか見たいに大掛かりな儀式をする訳じゃあないんだ。言葉を使って、ちょっと縛りを与えるだけ」

「はあ、呪文ですか」

「いや、呪文って言うほどでは……。というより、全ての言葉には物を縛る力がある。いや、縛るからこそ言葉なのかな。物事に言葉を付け加えることで性質を変える。それが僕のやり方だよ」


 そこまで言ってから、あたしがついていけていないことに気づいたらしい。顎に手を当てて考え込む。いや、そんなことしなくていいよ。


「例えば、猿と人間の違いって判る?」


 いきなり話題が変わった。さっきまでのオカルトから割と誰でも考えたことがありそうな話になって、思わず答えてしまう。


「二本足で歩くかどうかじゃないの?」

「うん。一番多い意見はそれだね。でも、猿が二本足で歩く時もあるし、人間だって車いす生活で歩くことができない人もいる」


 まあ、揚げ足取りみたいな言い方だが、そうなんだろう。本来二本足で歩くに答えを変えても、先天的に足の悪い人はいるから……。下手すりゃ差別とか言われそうだし。


「火を使うかどうか」

「今後IHが広まってガスを使わなくなれば、人間は猿になるかな?」


 さわやかに笑いながら反論された。腹立つなあ。今までのテンプレを最新家電が邪魔するとは。なにより、放浪生活の相手にIHで崩されたのがなあ。


「じゃあ、どこが違うの」


 自分でも感じ取れるほどにいら立ちが混ざった声だった。気がふれた相手かもしれないけど、だからって怒らないわけじゃない。そんなあたしを見て、自称呪術師は人差し指をぴんと立てて見せた。


「簡単だよ。それを指さして、みんながヒトだと言えば人間、サルだと言えば猿なんだ」


 みんながどう認識するかだよ。そんな、分かり切ったような反則じみた答えには唖然とするしかなかった。


「そして、その認識を決めるものが言葉だ。逆に、言葉を与えてやれば認識を変えられる。それまでただ赤と呼んでいたものを、紅、朱色と呼ぶともう同じ色には見えないようにね。そんな風に、世界のあらゆるものは言葉で作られている」


 う~ん。よく分からない。色の区別で言われてもなあ。一応理屈っぽいものがあるから、一概に狂ってはいなさそうだということは分かったけど。呪術師というのは何かの比喩かな?


 それが顔に出ていたのだろう。人懐っこそうな顔でこっちをのぞき込んでくる。うわ、なんかドキッとした。


「実際、見てもらおうか」


 そういわれた瞬間、視界が一瞬だけ暗くなる。ゆっくり目を開くと、すぐ前には

『呪術師』が立っていた。


『これが、世界の本質だよ』


 あたしの前にいたのは、人ではなかった。『呪術師』という文字が、筆で勢いよく書かれた黒々とした等身大の文字が立っていた。


 焦って周囲を見渡す。辺りにはクリーム色の『家』の字が無機質に立ち並び、遠くには『信号機』の文字が緑、黄、赤の順で並んでいる。空は無数の『雲』の字で覆われ、漢字の『雨』が細かく降り注いでいる。花も、傘も、人も、犬も、車も。全てが言葉になり、蠢き、流れ去る。


 色とりどりの文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字、文字――。


 辺り一面が、字句の海だ。そこにどっぷりと沈められて、息が苦しくなる。思わず、叫びだしても、そこから出てくるのはやっぱり文字でしかない。気が違ってしまいそうになる。思わずうつむくと、そこには色白の『手』という言葉が見えた。ゾッとする。あたし自身まで、言葉に代わっている。信じられるものが一気に消えた。世界のすべてが文字で、あたしの体まで文字なら、ここにいるあたしはいったいどこまでが本当の『あたし』と呼べる?


『これが世界だ。あらゆるものは言葉によって縛られる。そこに別の縛りを与えるのが呪というものだ』


 声が聞こえているわけではない。ただ、『呪術師』の口の部分から言葉が一文字、一文字弾丸のようにあたしに向かって飛んでくる。そして、心の中で直接響く。


 『呪術師』から、『晴』という青く大きな文字が天に向かって放たれる。それが空に溶け込んでいったと思うと、『雲』の字がゆっくりと白く変わり、それまでの小さくてゴシック体の『雨』が、輪郭のぼやけたポップ体で大きく書かれた『光』の字に代わる。


『元に戻そう』


 また、世界が暗くなった後、柔らかい光を感じた。いつの間にやら雨がやみ、雲の間から柔らかく差し込む光。濡れたアスファルトの道が所々輝いている。文字じゃない。普段よく見る、でも普段以上にきれいな風景。体の力が抜けて、手に持っていた傘の柄が頭にぶつかる。ああ、いつもの世界だ。そのことが無性に嬉しかった。


「どうかな、感じ取ってもらえたかい?」


 傘を持ち上げて、視界を確保すると背の高い呪術師がニコニコと笑っていた。突然、とんでもない世界にあたしを叩き込んだ張本人だが、今は戻してくれてありがとうと言ってしまいそうだった。


 あたしがこっくりと頷くと、呪術師は両手を広げてにこやかにこう言った。どこかから、嬉しそうに小鳥が鳴く声が聞こえる。


「お握りのお礼だ。君に一つだけ呪を与えよう。なんでも良い。君自身を変えてしまうような力だ。ただし、呪は贈り物でもあり、呪いにもなる。ようく、考えてね」


 いきなりのことに呆然としてしまう。さっき見た光景のインパクトが強すぎた。世界そのものを変えるような、あんなものを、あたしに? 恐ろしさもあったが、とんでもないチャンスに心が沸き立つ。こんなの、一生に一度、いや、普通なら一生ない。


「本当に、何でも良いの」

「もちろん」


 心臓がバクバク音を立てて疾走するのをなんとか抑え込みながら、考える。自分が一番変えたいもの。欲しいこと。自分のこれまでの人生を振り返る。自分がやりたいことを考える。あたしが欲しいもの……。


 思いついたのは一つだけだった。


「絵の才能が欲しい」


 あたしが周りから白い目で見られながらも、マンガの練習に勤しんでいた理由はこれだ。描けば、描くほどに自分で、才能の限界というものを感じる。なのは は「上手いなあ」と言ってくれるけど。プロには遠く及ばないことはあたしが一番知っている。


 それでも、あたしは諦められなかった。あたしが、普通の人よりも持っていることといえば。マンガを描くということくらいだと思ったから。読むことが好きで、描くことが好きになって、これで将来も描いていたいと思ったから。練習して、練習して、限界を知って、それでも諦めたくない。だから――。


「あたしが表現したいものを、描きつくせるだけの才能が欲しい」

「なるほど」


 良い願いだね。呪術師はそう言うと、そっと手のひらをかざして触れるかどうかというささやかな力であたしの目を閉じた。額に温かい指が一本突き立てられた感触がする。そのままゆっくりと書道のように全体がつながったような書体で『描』という文字が書かれる。


 自分ではまだ分かっていないこともある。それでも、暗い世界の中で何か大きなものと対峙している感覚が体中を巡る。畏怖。例えるならば、神社の前で手を合わせる時のような。そんな感覚。


「いいよ」


 優しい、それでいてどこか厳然とした声に導かれて目を開ける。自分のどこかが変わった。そんな風には感じなかった。いつも通りのあたし。それでも、世界が少しだけ明るく感じた。


「それじゃあ、僕はこれで」


 片手を上げて挨拶すると呪術師はくるりと踵を返して歩んでいった。明るい世界の中に、その黒い姿は不思議とマッチしている。このまま、溶け込んでいっても全然おかしくなんてない。


 あたしは、閉じていた傘の雫を払うと後ろを眺める。久方ぶりに見た、大きな虹が浮かんでいた。

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