字句の海に沈む

黒中光

第1話 あるマンガ好き女子の一日

 息が苦しい。あたしの近くだけ、空気の重さが十倍になってるんじゃないかと思うくらい。


 今は教室で一人ポツンと席に着いている。周りではクラスメートたちが、お姉ちゃんが彼氏を自慢してきたとか、昨日のサッカーの話題だとかで四、五人のグループを作って騒いでいる。一人でつくねんと黙り込んでいるのは私だけだ。


 誰か話し相手が欲しいとは思う。思うけど、すでに入学から二か月以上が経過したこの時期では、すでに仲良しグループが出来上がっている。今から入ろうにも入れない。どうしたって、話についていけない。


 だから、あたしはいつも休み時間になると絵を描いている。要らなくなったプリントの裏に少しずつ。絵というのは、デッサンみたいな美術系のものじゃなくて、マンガ系の物だ。


 マンガはあたしが子供の頃から好きなもので、読むのが好きで好きでしょうがなかったが、ある日なかなか自分の感性に合うものが見つけられずに描き始めることを思い立った。それが、小学校の五年の頃だった。


 これがあたしの心の支え。だって、現実世界の居心地が悪すぎるんだもん。だったら、想像の世界に浸って何が悪いの? マンガの中では、素敵な恋愛も、現実ではありえない冒険もなんだってできる。嫌なことを乗り越えるストーリーを用意できる。そこから力をもらって何が悪いの?


 でも、それを許さないものもいる。


「へえ~。また描いてるんだ。誰も読まないのに、自分だけの世界に引き籠ってんの」


 通りすがりに、あたしの描いている物をのぞき込んでくる。いつもいつも。その高い声で、あたしの心をえぐり取っていく。プリントを抱え込んで、体を丸めてももう遅い。


「これだけ言っても、まだ保坂、殻が破れないんだ。どうすりゃいいのかな~」


 悪意を込めて、空々しく。そう吐き捨てて去っていった。ツヤのある髪を見せびらかすみたいに揺らしながら、東雲美里が去っていく。細く左右から伸びる編み込みを留めるブローチが蛍光灯の光に輝く。


 毎日、こうだ。


 彼女は、あたしのことをネクラオタクとバカにしている。そして、こうやってスキを見ては『アドバイス』をしていく。嫌味満載で。あたしの趣味を、弁解もさせずに断罪していく。


 声高に、当然のように述べる彼女の声にみんな従っている。暗黙の了解というやつだ。声の大きい奴は強い。整った顔立ちの奴はそれだけで正しい。そんなルールはこの世の中に、確かにある。


 あたしは、確かに引っ込み思案だし、人との交流を積極的に持つタイプではない。でも、ここまでひどくなった原因は、彼女のせいだと思う。入学して三日目に、東雲が「え~っ、自分でマンガなんか描いてんの? ちょっとクラ過ぎないー!」と言ってから、あたしに積極的に話しかけてくる人がいなくなった。それが原因だ。


 みんな、次の標的になるのが嫌で怖がってる。だから、あたしから会話に加わろうとすると、その場のテンションが一段下がる。


 そうやって、休み時間が過ぎていく。授業が救いだと思っている高校生なんて珍しいんじゃないか。ただ黙々と小難しい話を聞くのが安心できる時間なんて。おかげさまで勉強にはついていけるが、なんとなくそれが情けなくなる。


 昼休憩になると、あたしは一目散に教室からお弁当を抱えて走り去る。一秒だってここに留まりたくない。だって、机を突き合わせる相手がいないことが嫌でも目についてしまうから。


 校舎を出て、息を切らせながら中庭に面したベンチに向かうと、梅雨時だというのにもう日焼けし始めた女子が背筋をすっと伸ばして座っていた。


「おーい、遅いぞ。真宵」

「なのは が早すぎるんだよ」


 運動不足だろ、と朗らかに笑いかけてくれたのは中学時代からの友人、福井なのは。私立に合格したせいで、あたしは大半の友人と別れたが、彼女だけは同じ学校に進学した。クラスは違うのだが、お昼時は一緒に過ごす約束になっている。なのは がいなければあたしは不登校でもおかしくない。


「さーて、さっそく食うか」


 そう言っていつもの三段弁当を広げる。一段目に肉団子とポテトサラダ(ミニトマト付き)。二段目に肉みそ炒め、三段目にごはん。 ……なかなかにボリュームがある。ソフトボール部だから、帰宅部のあたしより消費カロリーが多いのは分かるんだけど。


「多すぎない?」

「真宵が少ないの。それじゃあ、いつまでたってもちっこいままだぞ」

「太るよりいいの」


 小さめの水筒から味噌汁を注ぎながら答える。あたしは、結構小食で小さめの二段弁当の内、一つが唐揚げ&卵焼き。もう片方が昆布と梅のおにぎりだ。


 身長差15cmの凸凹コンビはいつもこんなやり取りだ。サバサバした話し方はあたしと対照的だが、一緒にいて全然苦にならない。むしろ清々しい。


「あ、そう言えば。この前ジョギングしてた時にな、めっちゃ可愛い犬がいたんだよ。毛がもうフワッフワでさあ」


 他愛もないおしゃべり。よく晴れた空に緩やかな風が頬をくすぐる。ああ、幸せだなあ。昼と放課後、彼女とこうして過ごすのだけが楽しみ――。


「そうだ。真宵。あたし、体育委員だからさ。当分一緒に帰れないわ」

「え。なんで?」

「ほら、もうすぐ体育祭だろ。その打ち合わせが今日からなんだ。準備とかで忙しくなるからさ」


 唖然として、絶望しているあたしを なのは が励ます。

「体力つけとけよ。昔みたいに倒れんようにな」


 あたしは、中学一年のとき、熱中症で倒れて なのは にお姫様ダッコされて医務室送りになったことがある。でも、そんなことよりも。


 あたしはそれまでどう生きていけば良いんだ?


 気分が落ち込みすぎて、食欲がさらに落ちた。弁当箱には梅にぎりが孤独に取り残されている。


 沈み込む気持ちを代弁するかのように、午後からは雨が降ってきた。お経のような古文の後に、黒板に書かれては瞬殺される数式を追い、事務的に掃除を終えれば下校時間だった。それまでについたため息の数、八回。窓の外を眺めた回数十三回。現実逃避の4コマが三つもできた。


 よく耳をそばだててみると、あちこちから何の種目に出るかという言葉が聞こえてきた。ああ、嫌だ。聞きたくない。100m走みたいな個人技は別に良いのだが、団体はダメだ。ポツンと取り残されて人数不足のとこに放り込まれるのが目に見えている。あの時の侘しさ。居場所のなさを味わわされる。


 雨の中、足早に歩く。折り畳み傘に頭を突っ込むようにして。校舎から離れる。靴に雨がしみ込んだって構ってらん無い。


 下ばかりを見ていたせいだ。いきなり柔らかい衝撃が前から飛んできた。傘に溜まった水がボタボタこぼれる。


 若い男の人だった。黒の綿パンに、黒のTシャツ。背はひょろりと高い。なのは よりも明らかに高い。傘もささずにずぶ濡れだ。異様な風体に後ずさりすると、男の体がふらりと揺れた。今にもその場に崩れ落ちそうな有様だ。


「えっと……大丈夫、ですか?」

「ああ、大丈夫」


 体に浸み込むみたいな、いい声で返事が返ってきた。頭をぷるぷる振って、猫のように水滴を振り払う。また、体が揺れて、おなかが鳴る。


「あの、おなか空いてるんですか」

「ああ、これは。恥ずかしいところを」


 照れたように男は笑った。最初の不気味な印象がすっかり消えた。優し気な、あたしより年上なのに、クラスメートたちと比べてもよっぽど澄んだ表情だ。


 その言葉につられて、心がなんだか浄化されたように感じる。今まで、鬱々としていたものが、ちょっとだけ軽くなる。


「良かったら、どうぞ。あまりですけど」

 弁当箱に残っていたおにぎりを差し出すと、目を丸くして驚いていた。高校生から施しを受けるのは嫌がるだろうかと思ったが、そんなことは微塵もなかった。しきりにお礼を言って受け取った。


「うん、美味しいね。すうっと力が戻ってくるよ」

「何をなさってたんですか?」


 嬉しそうにお握りをパクつく彼に問いかけた。物腰も柔らかいし、きっと事情があるんだろう。


「旅だよ。放浪の身の上なんでね」

「放浪って、お仕事は?」


 言ってしまってから、思った。放浪っていうのは聞こえのいい言葉で、実際はフリーターじゃないのか、と。最近就職難民とかって言うし。


 聞いてはいけないことだったかと、一瞬で後悔していたあたしに返ってきたのは予想外すぎる答えだった。


「僕は呪術師だよ」

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