第6話

 どうして、私は抱きしめられているのだろう。

 兄や銀狼と違って、なんだか落ち着かないというのだろうか。驚きもあって、胸がうるさい気がした。だけど、その腕の温かさに、やっと息が出来た気がした。


 緋鞠は抱きしめられたまま、少し肩の力を抜いた。コツンと額を当て、目を閉じる。これなら、嫌な記憶から離れられる気がした。


「どうして、翼が謝るの……」


 迷いなく、答えが返ってきた。


「泣かせた」

「泣いてないよ」

「泣いてる」

「泣いてないもん」

「あと、心配してくれたおまえに、ひどい言葉で突き放した」

「……うざいって、思ったから?」


 そうだって言われたら、やっぱり立ち直れないかも。

 けれど、翼はすぐに違うって言ってくれた。


「他人……誰かに心配されたことがなかった」

「え?」


 ぱっと顔を上げると、すぐ目の前に翼の顔があった。薄暗い灯りでも、表情がわかるぐらい。その顔には、寂しげな色が浮かんでいた。


「心配されたことがなくて、嘘か、本当か。どうしたらいいか。わからなかったんだ」


 嘘じゃない、その目でわかった。

 昼間に聞いた、あの上級生の話。嘘だけじゃなかったのかもしれない。


「おまえが本心で心配してくれてたのに。全然向き合おうとしなかったから、すぐに信じられなくて……ごめんな」


 そういって、俯いてしまう。緋鞠はふるふると首を振った。そんなこと言われたら、全然向き合えてなかったのは自分も同じだ。


「私もごめん。翼のこと、なにも知らずに勝手に距離縮めようとしたから。だから、間違えちゃって」

「それは、俺が話そうとしなかったから」

「でも、勝手に順番すっ飛ばすところ、悪い癖だって弟からよく言われてるから、やっぱり私が」

「じゃなくて俺が」


 二人で自分が悪いと言い合いになり、白熱しかかったところを全力で折り鶴たちに止められた。

 しかたなく、またベッドに並んで座ると、折り鶴が水を持ってきてくれる。今度は緋鞠も水を飲んで、ふぅと息をついた。


「決着つかなかった」

「おまえ、本当頑固な?」

「翼こそ」


 じーっと二人で軽く睨みあって、笑う。なんだか、久しぶりに笑ったみたいで、とても気持ちよかった。

 しばらくして、翼がポツリと小さな声で聞いた。


「聞いたのか、俺の過去」

「……うん」

「どこまで?」

「お母さんの旧姓が玄翁で、妹さんがいて。で、とっても仲がいい家族だってこと」

「それ、後半は絶対言われてないだろ」

「私が聞いて感じたこと。間違ってないでしょ?」


 にっと笑うと、翼も珍しく素直に笑った。瑠衣に家族のことを言われたとき、本気で怒ってた。それは、本当に大事にしているからだろう。すぐにわかった。

 翼は床を見つめながら、懐かしむように優しい目をしていた。


「俺の両親は恋愛結婚だった。当時、玄翁家当主の母は家から出ることが許されていなかった。そこに、偶然父が空から降ってきたらしい」

「え!?」


 予想外の出会い方に思わず声が出た。翼はそりゃ驚くよな、と返事をくれて話を続ける。


「近くで手合わせしてたら、軽々と吹っ飛ばされたって笑ってた。そんで、それを母が助けたのをきっかけに、二人とも一目惚れだったらしい。けど、陰陽師は家の利害とかで基本恋愛結婚はなし。これは聞いたんだよな?」

「えっと……駆け落ち、とだけ」

「そうだ。で、二人でひっそりと暮らしてたんだけど、ある日転機が訪れる。それは」


“十二鬼将を狩ることができたなら、結婚を認める”。


 その条件に、緋鞠は一瞬息が止まった。どれだけあいつらが危険かなんて、陰陽師なら誰だって知っているはずだ。それを命ずると言うことは、遠回しに死刑宣告をされているのと同義だ。


「なんで、十二鬼将なんか……」

「そのとき、たまたま暴れまわってたらしい。一日で村が三つも消えたって。だから、人員がほしかったんだろうな」

「そんな……」

「それで俺が二歳くらいで、妹はまだお腹のなかだった。母は止めたけど、鬼狩りだった父はやるって聞かなかった」

「どうして?」

「やっぱり、認めてほしかったんだろうな」


 俯いた顔に、うっすらと影が浮かんだ。その表情は、ひどく疲れているようにも見えて、痛々しかった。それを隠すように、無理やり笑顔を作ってみせる。


「結構きついんだぜ。陰陽師は繋がりを重んじられるから、途切れたら一斉に潰しにかかってくる。それこそ、世界が丸ごと敵に回るみたいに」


 きっと、私には想像もできないほどつらいものなのだろう。御家関係と無縁の私には。

 緋鞠はなんだか見ていられなくて、視線を床に落とした。祈るように手を握り合わせる。


「……それで、どうなったの?」

「勝ったよ。十二鬼将を一人だけど、倒せたんだ」

「よかった」


 緋鞠はほっと胸を撫で下ろしたが、それでも翼の表情は変わらない。どうしてだろう。


「けど、失ったものも少なくなかった。父の部隊は、 ほぼ全滅。参加した隊員もほとんど死んだ。父も、片腕を失くした」


 ショックで、喉の奥がつんと痛んだ。視界の端の小さな灯りが揺らいでみえた。


「それから、しばらくは平和だった。家族揃って、過ごすことも増えて、みんな笑顔で。……でも、鬼狩りは永遠に鬼狩りのまま。死ぬまで狩り続けなきゃならない」

「じゃあ、また危険な仕事に?」


 小さく頷くと、聞きたくなかった言葉が吐き出される。


「それで行方不明になった」


 雷に打たれたかのような衝撃だった。耳がぼんやりして、ぐらぐらと視界が揺れる。

 どうして。やっと認められて、家族みんなで幸せになれたはずなのに。

 それでも、翼は話を続ける。


「それから、母と妹の三人暮らしになって。俺は長男だから、鬼狩りになって……」


 言葉が、止まった。横を見ると、翼は俯いていた。組んだ手に額を乗せて、落とした肩は震えているようだった。


「俺が、守らなきゃいけなかったのに……」


 呻くように、こぼれた言葉。思わず、緋鞠は翼の頬に手を伸ばした。すると翼は驚いたようで、ぱっと顔をあげてこちらを見る。緋鞠は慌てて、弁解した。


「あ、あの。その……泣いてるのかと、思って」


 その言葉に、翼は目を瞬かせると、大きく波立つ瞳を伏せた。


 正直、よくわからなかった。あの日、火事で何もかもが燃え去った。けど、あの時感じたのは、怒りだった。

 何をしても間に合わなくて、守れない。不甲斐ない自分に対する怒り。俺ばっかり奪われてばかりだという怒り。涙は、怒りに呑み込まれて消えていた。けど、やはり心のどこかで、ずっと引っ掛かっていて──。


「わからない」


 それが、答えだった。あの日から、自分の感情さえわからなくなった。毎日が、苦しくてたまらない。どうして、俺だけ生き残った。どうして、母さんも空も死ななければいけなかった。


「わからないんだ。悲しみなのか、怒りなのか。悔しいのか、苦しいのか。もう俺、は……」


 そのとき、そっと頭を引き寄せられる。ぎゅうっと頭を抱えられるように抱きしめられた。


「無理しなくていいよ」


 ポタポタと、涙が雨粒のように降ってきた。それは、荒れた大波にゆっくりと落ちていくようで。


「悲しいなら、泣いていいし。怒りたいなら、怒ればいい。悔しかったら叫んでいい、苦しいなら休んでいい。わからないから」


 嗚咽が混じりながら、必死に紡がれる言葉。その言葉を聞き逃さぬよう、耳を傾ける。


「わからないなら、少しの間見なくてもいいと思うよ」


初めて言われた言葉に、翼は驚いた。

見なくていい。

だからこそ、これが彼女の優しさであることが心に沁みてくる。


「……見なかったら、逃げたことにならないか?」

「ならないよ。ちょっと目をつぶったって、いいじゃない」


 そう緋鞠に言われると、ストンっと突っ掛かっていた何かが胸に落ちていく。ずっと、見続けることもつらかった。だけど、目を背けることもできなかったんだ。


彼女の温かさは、揺りかごのようで。睡魔で体が重くなってくる。瞼を閉じる瞬間、聞こえた言葉。


「それでも不安なら、私が一緒にいるよ」


一人じゃないよ。そう言ってくれているみたいで、安心したんだ。


この日、翼は久しぶりにぐっすりと眠り込んだ。

──悪夢は見なかった。

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