第3話

 あのときの私は、人見知りでいつも兄の後ろに隠れていた。孤児院にいても誰と話すこともなく、窓の外が暗くなるまで。部屋の隅で座り込んだまま、八雲が声をかけるまで、ひたすらじっとしていた。


 そんなわけで、初めて見たその瞳のきれいさと、知らない人、という二つの要素で大混乱。

 聞かれている質問の意味から探し始めてしまった。

 雨に濡れていることか。それとも、転んで座り込んでいることだろうか。


 緋鞠は、なんて答えたら分からず、再び紅い瞳は涙でいっぱいになる。それを見て少年は青ざめ、慌て始めた。


「ごめん、大丈夫じゃないよね! すぐそこに雨宿りできる#四阿__あずまや__#があるから、そこまで行こう」


 そういって、差し出される手。

 雨に濡れないように気遣って、前屈みになってくれる。緋鞠は少し手を伸ばして、一瞬躊躇った。不安そうな顔で見上げると、少年は空中で止まった手を取ってくれる。安心させるように優しく掴むと、そのまま立ち上がらせてくれた。

 その手は兄のように温かくて、少し安心した。すると、今度はジャケットを緋鞠に被せて雨を凌いでくれる。


「あ、の……」

「俺は平気だから」


 そうして再び手を繋いで、案内してくれる。


 兄のようで、兄とは違う。初めての優しさに、緋鞠は恥ずかしさを隠すように、ジャケットを深く被って顔を隠した。


 少し歩いて、古めいた四阿が見えた。蔦や草で覆われていたが、誰かが手入れしているようで、壊れている箇所は真新しい釘や板で直されていた。

 二人並んで座ると、少年がハンカチを差し出してくれた。


「よかったら使って」

「わ、私は大丈夫。あなたの方が、濡れちゃってるよ」

「平気だよ」


 自分のことはお構いなしに、世話を焼こうとする彼に緋鞠は頬を膨らませた。なんとなく、頑固で言うことを聞かなそうな人だと思った。

 仕方なく、渋々ハンカチを受け取り、少年の髪を拭いてあげる。


「え? 俺は大丈夫だよ」

「風邪引いちゃうよ。兄さんも大丈夫とか言ってたけど、風邪ひいて寝込んじゃったことあったもの。雨に濡れたらすぐ拭く、これ大事!」


 ビシッと人差し指を立てる。それを見て、少年は目を瞬かせる。


(……もしかして、うざかった!?)


 つい、いつも仕事関係で夜更かしやら、寝不足やらで体調を悪くしやすい八雲に言い聞かせような態度を取ってしまった。

 友達が一人もいなかった緋鞠にとって、初コミュニケーションである。善し悪しもわからない。誰か教えて、と叫びたい気分だった。

 すると、心配をよそに少年はふっと息を吹くと、目尻を下げて楽しそうに笑った。どうやら間違っていなかったこと、初めて誰かを笑顔にできたことに胸の辺りが温かくなる。


 次に少年は、緋鞠が転んでできた擦り傷を治してくれた。驚いたのは手当てではなく、そこにはじめから傷なんてなかったかのように、きれいに治してしまったことだった。

 聞いたことのない言葉の羅列。見たことのない奇怪な絵のようなものが書かれた短冊。それらを使って、あっという間に治してしまう。

 まるで、絵本に出てくる魔法使いのようだった。


「すごいすごーい! ありがとう!」

「全然すごくないよ。初歩の術だし」

「じゅつ?」

「君は見習いじゃないの?」

「なんの?」


 不思議そうに首を傾げると、少年も首を傾げる。よくわからないけど、少年はその見習いというものなのだろう。


「そうなんだ。でも、どうして雨のなか一人で泣いていたの?」

「そ、れは……」


 先ほど、斎場で見た光景を思い出す。空っぽの棺に、黒服の知らない大人たち。緋鞠が一番聞きたくない言葉を残して去っていく。

 その場の居心地の悪さに、思わず逃げ出してしまった。けれど、それをなんて説明したらいいのだろう。少年は黙り込んでしまう緋鞠を心配そうに覗き込んだ。


「大丈夫?」


 気遣わしげな優しい色合いに、つい、言葉がこぼれた。


「……みんな、意地悪を言うの」

「どんな?」

「兄さんが、死んだって」


 口にして、止まっていた涙が溢れてくる。信じられないからこそ、言いたくなかった言葉だった。


「死んだら、死体になるんでしょう? でも、兄さんの死体はなくて、見つからない。それなのに、ちょっといないぐらいで、皆そういうの」


 だんだん鼻声になって、目に涙が溢れた。


「それなのに……」


 俯くと、大粒の涙がこぼれ落ちる。それを柔らかいハンカチによって、そっと拭われた。


「俺も同じ事を言われたよ」

「えっ?」


 驚いてみると、少年はポケットから少しほつれている古い御守りを取り出した。それを、悲しげな瞳でみつめる。


「俺の父さんも死んだって言われた。けど、見つかったのはいつも持ってた、この御守りだけなんだ。君の言うとおりだよ。死体がないのに、信じられるわけないじゃんな……」

「そう……あの人たち、嘘ばかりつくのね。悪い人」

「本当に、そうだよね」


 その言葉に、重く苦しかった心が軽くなる。少し元気を取り戻した緋鞠は、少年に聞いてみた。


「あなたのお父さんはどうしていなくなってしまったの?」

「えっと……鬼狩りっていう、鬼から人を守る仕事をしてたんだ。信じられないかもしれないけど」

「え!? 兄さんと一緒!」

「君のお兄さんも?」


 うんうんと首を縦に振ると、驚いて緋鞠を見る。なんだ、と肩の緊張を解いた。


「同業者じゃないか」


 少年はそうだ、と何かを思いついたようだった。


「なら、一緒に探そう。君のお兄さんと俺の父さん」

「探す?」

「うん。鬼狩りになって、月鬼を倒しながら一緒に探そう」


その言葉に、緋鞠は大きく頷いた。


「うん! 私、鬼狩りになる!」


 二人で小指を差し出して、そっと絡めた。


「約束」

「うん!」

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