第5話

「失礼しました」


 緋鞠が顔を上げると、扉の隙間から柚羅がにこやかに手を振っていた。保健室で結果報告と着替えを終えて、教室へと向かう。


(午前中の授業は何だっけなぁ)


 少しぼーっとしながら廊下を歩いていると、曲がり角から声が聞こえてきた。怒りをぶつけるように吐き捨てる男子生徒の声。


「なんであんなやつが当主なんだよ!」


 またこっちでもか……。

 どこもかしこもそんな話ばかり。正直うんざりしてきたぞ。鉢合わせしたくなくて背を向けた瞬間。


「三國は玄翁げんのうに敵わないしな」


(……三國?)


 思わず足を止めて振り返ってしまった。ちょうど角を曲がってきた男子生徒と目が合ってしまう。


「なに見てんだよ」

「あれ? こいつ鬼狩科の一年じゃねぇ?」

「はぁ? あいつと一緒じゃん」


 チッと舌打ちをして視線を逸らされる。口ぶりからして上級生だろう。ガラが悪そうだし、正直関わりたくない。けど、さっき聞こえた会話が気になった。


「あの……三國って、三國翼くんですか?」

「他に誰がいんだよ。あんなやつ二人もいてたまるか」

「あれ? もしかして君知らないの?」


 もう一人がニヤリと笑うと、隣の目付きの悪そうな少年の肩を肘でつついた。


「じゃあ教えてやろうよ」

「やだよ。めんどくせぇ」

「だってこのままじゃムカつくじゃん」


 にやにやと気味の悪い笑みを浮かべながら近づいてくる。緋鞠は一瞬、後ずさりしそうになったのをぐっこらえる。


「あいつが三國の当主って知ってる?」


 確か、瑠衣がそのようなことを言っていた。翼のことを“三國の当主”と。


「あれ、母親の実家のおかげなの」

「え?」

「あいつの父親は三男坊だから、本来なら家名を継ぐことなんて無理なんだよ。大抵は長男や次男の息子が継ぐものだ。でも、あいつに当主の座が渡されたのは母親の影響が強い。しかも、妹は玄翁家の跡継ぎ。これほど恵まれた兄妹はだろうな」


 彼の語り口に、嫌な含みがある。それを振り払うように、始めの疑問を口にした。


「でも、それなら普通そんな権力がある家と婚姻を結んだりしないのでは?」

「そうそう。だからね、駆け落ちなの。あいつの母親は婚約者がいたにも関わらず、そっちを裏切ったんだよ」


 その言葉で、緋鞠は先日の出来事を思い出した。

 あの日、瑠衣が言っていた“情で繋がった家族”。そういう意味だったのか。でも、それは普通の恋愛結婚と一緒だ。何が悪いのだろう。そういえば、あの時翼が怖いほど怒っていた。触れられたくないみたいに。

 緋鞠が不思議そうな顔をしていると、目付きの悪い方の少年が驚いた表情をした。


「マジで知らねぇの? 婚約も契約の一種。一度した契約を一方的に破ることはご法度だ」

「駆け落ちは、犯罪と一緒なんだよ。つまり、本来ならあいつら一家は罪人で、あいつは次期当主なんかなれなかったはずなのにな」

「玄翁の奴らがしゃしゃり出てきやがって……!」


 緋鞠はまるで、水中にいるような息苦しさを覚えた。なんなんだろう。制約だの、婚姻だの。本人の意志がまったくないではないか。緋鞠がこれまで生きてきた世界とまったく違う。それでも、順応していかなければ行けないと思っていたけれど。

 ──この世界はまるで、自由のない鳥かごではないか。


 この沸き上がってくる感情が怒りなのか、悲しみなのかわからない。けれど、それが噴き出さぬよう拳を握りしめる。


 その様子に気づいていない少年は、馴れ馴れしく緋鞠の肩に手を置いた。まるで、楽しんでいるような表情がひどく不快だった。


「君は、どっちだと思う?」

「……何が?」

「あいつが前当主を殺したかどうかだよ」

「!?」


 緋鞠は手を振り払うと、少年を睨み付けた。


「そんなことする人じゃない!!」

「だってさ、じゃなきゃおかしいんだよ」


 遮ろうと声を上げようとするが、耳に入ったその言葉。


「あいつ以外一族全員死んだのが」


 一族全員死んだ──?


 一瞬、思考が停止する。


「玄翁家は元々呪術を扱う家名では名門中の名門。当主の座が欲しがったら当主と候補を殺すしかない。生き残ってるのは、あいつだけ」

「なんで……」

「さぁ。一族全員外傷もなく、眠っているかのように死んでたって話だぜ。そんなこと出来るのは呪術だけだろ」

「母親と妹が呪術の専門家なら出来ないことはないだろ。それに、二人もその日に火事で死んだらしいし。あらかた証拠隠滅に殺したんじゃ」

「ふざけんな!!」


 ──パンっ!


 頬を打つ乾いた音と、緋鞠の怒声が廊下中に響いた。もう、我慢できなかった。握りしめた拳から血が滴り落ちる。けど、そんなのどうでもよかった。緋鞠は二人を睨み付けた。


「さっきから聞いてれば誰かを殺しただの、呪いだのふざけんな!! 人のことなんだと思ってんのよ!! 人の不幸を笑って、それで有利になったつもり? ばっかじゃないの!」

「んだと! なにも知らないくせに!」

「知らないわよ! だけど、あんたたちのような卑怯ものが翼を語るな! あんたたちなんか翼の足元にも及ばないんだから!!」

「言わせておけば……!」


 目付きの悪い少年がうちポケットから札を取り出すのが見えた。緋鞠も即座に戦闘体制に入る。


オン!」

「月姫!」


 少年が放った札を月姫で払いのける。そこにもう一人が錫杖を振り下ろしてきた。一歩横にずれて避けけ、体勢が崩れたところに蹴りを放つ。


「ぐっ」


 一瞬怯んだところに拳を突きだすも、バックステップで距離を取られた。二対一でも、問題はない。緋鞠は月姫を構えたまま、にらみ合う。


「チッ! なんなんだよ、あいつ」

「鬼狩科は化け物ばっかだな!」


 本気を出すつもりか、二人とも札を一気に懐から取り出す。だったら、月姫で凪ぎ払うだけだ。

 すると、緋鞠の右手人指し指が光り、ぽふんっと小さな煙が上がる。いつもの狼姿の銀狼が姿を現した。


「銀狼! 起きてきて大丈夫なの?」

『ああ。それよりも、なんとなく嫌な予感がしてな。来てみて正解みたいだ』


 二人の上級生の放つ殺気に、銀狼は顔をしかめる。緋鞠は銀狼の体調が心配だった。けれど、手早くすませれば、あまり負担はかけないですむ。


「それじゃあやっ……」

「おまえら! そこでなにやってるんだ!」


 振り返ると、隊服に身を包んだ男性教師がこちらに向かってくる。武器を持ってる緋鞠たちを見て顔が怒りに染まる。


「それは……」

「こいつが仕掛けてきたんです!」

「なっ……あんたたちが先に!」

「しかもこいつ、妖術まで使ってきたんですよ!」

「本当か!? こいつ」


 教師が緋鞠の手首を捻るように掴んだ。緋鞠が痛みに顔を歪めるのを見て、銀狼がその手に噛みつく。


「このっ……!」


 緋鞠から手を離し、振り上げた拳が銀狼に向かって振り下ろされる。いつもなら身軽に離れる銀狼だが、反応が遅れた。


「銀狼!」


 緋鞠は庇うように覆い被さり、後頭部に衝撃が走る。当たりどころが悪かったのか。そのまま視界が暗くなった。


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