第5話

『メェェー、メェェ~』

「きゃー!」

「わぁぁ!」

「ちょっ、いてぇ!? 」


 グラウンドに響く悲鳴を、愛良は日傘の下で微笑みながら聞いていた。手にした懐中時計で時間を確認すれば、早くも十分が経過。しかし、未だに羊たちは百匹全て顕在している。


「あらあらぁ。羊ちゃんたち~あまりはしゃぎすぎてはダメよぉ~?」


 しかし、その声は届くはずもなく、羊たちはグラウンド中を縦横無尽に走り回っている。愛良は頬に手を添えるとコテンと首を傾けた。


「やっぱり、あの子達にはまだ早かったのかしらぁ……?」

「――大丈夫じゃねぇの?」


 テスト開始直後、木陰で昼寝をし始めた大雅が、いつのまにか愛良の隣に立っていた。


「相変わらず、気配のない人ですねぇ」

「ありまくりだろ。気が付かねぇとしたら、おまえが俺に関心がないだけだ」

「ああ、確かにぃ」


 愛良は鉛筆を取り出すと、暇をもて余すようにペンを指で回し始めた。くるくると回転する鉛筆を眺めながら、大雅は口端を歪める。


「相変わらず、俺が嫌いだな。星宮のご令嬢は……」

「当たり前ですぅ。無名にも関わらず、得業生をかっさらっていった人なんかぁ」


 愛良は、ピンっと鉛筆を弾くと一瞬で大雅の首元にびっと突き付けた。刺す気はないものの、眉ひとつ動かさずに涼しい顔をされると、やはり腹が立つ。


「ふーんだ。私は貴方なんか心底嫌いなのに、どうして私の可愛い可愛いけいちゃんは入れ込んでいるんでしょう?」

「知らねぇよ……ていうか、おまえが引き取ってくれてもいい……」


 ぐっと、黒鉛が首に食い込んだ。痛い。


「そんなことしたら、私が京ちゃんに嫌われちゃいますぅ。あーあ……貴方みたいな人のどこがいいんだかぁ」

「八つ当たりすんな! 生徒見てろよ、生徒を!!」

「貴方に言われたくありませんよぉーだ!」


 愛良はふんっと鼻を鳴らして、腕を下ろす。

 これでしばらく攻撃はないだろうと、大雅が気を抜いたところに、すかさず日傘が振り下ろされる。


「……いてぇよ」

「それでぇ、貴方はどう見ますぅ? 私はあの子達はまだまだ未熟だと感じておりますがぁ」

「そうだな」


 大雅は生徒をひとりひとりをじっくりと観察する。

 メカ羊から逃げる者、挑む者。そして、なにか手立てがないかと観察している者。それぞれ、個人的に動いている生徒が多い。


「俺はやれると思うけどな。何人か、陣形を組み始めてるし」

「けどぉ、全員が気づかないと意味ないしぃ」

「気付かせる人間がいればいいだけの話だろ」


 愛良は日傘の下から、隣に立つ同僚をうかがう。


 ――大雅こいつはわかってない。


 月鬼はひとりで狩れるほど甘くはない。しかし、他人を蹴落とすことで成り立ってきた術師の世界では、協力関係を結ぶことは難しかった。


 実際、壱組は本家、弐組は分家と決まっている。

 本家と分家、その境界が交わることはない。境界線を踏み越えていける人間など、愛良は見たことがなかった。きっとこれからもそうだろう。


「いますぅ? そんなお人好しな人間」

「いるぞ。超絶お人好しなのがひとり」

「は……?」


 驚いて顔を上げれば、なにかを期待するような横顔があった。愛良はぐっと口を引き結ぶと顔を背ける。


「……貴方にそこまで言われるお馬鹿さんがいるなんて、世も末ですねぇ」


 本当にそんな子がいたとしたら、ほんの少しだが羨ましい気がする。

 愛良はすべてのしがらみを捨ててまでは、大切な友人の手を取れなかった。


(自由って、どんな気分なんでしょう?)


 終わりの見えない、果てしない大空を飛べたなら、どんなに良いだろうか。

 そんな気持ちを消し去るように、愛良は日傘の影に隠れた。

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