第2夜 古都大和
第1話
意識が浮いてくる。
閉じていた目を開くと、緋鞠の前に白い絵の具で塗りつぶしたような不透明な世界が現われた。
(ああ……これは夢だ)
緋鞠はそのままあたりを見回す。振り返った先に、幼い自分と同じくらいの少年が立っていた。
――あの子だ。
幼い頃、緋鞠が出会った少年。朧気な記憶のせいで、顔も思い出せないあの子。
それでも、あの子と交わした約束は覚えている。
小指を差し出して、そっと指を絡めて――。
『いっしょに探そう。 君のお兄さんも、俺の父さんも』
──ふたりでならきっと見つけられる……。
名前も知らない。
顔もわからない。
だけど、今もはっきりと覚えている約束。
(……大和に向かえば、会える?)
淡い期待を抱きながら、緋鞠はふたたび目を閉じた。
◇
「……まり」
「う……ん?」
ゆるゆると瞳を開くと、いつの間に変化した銀狼に揺り起こされていた。
「なに? もう大和に着いたの?」
「いや……」
珍しく困ったような様子の銀狼に首をかしげる。
うーん、と背を伸ばすと、こきり、といい音が鳴った。電車のクッションってあんまり寝心地よくないよね、と思いながら、目の前の青年を見る。
「どうかしたの?」
というか、なんで変化してるの?
「すまない……俺が迂闊だった」
「え?」
銀狼が指し示す方向に視線を向ければ、制服に身を包んだ車掌さんが立っていた。
「おやすみ中申し訳ありません、お客さま。切符を拝見させていただけますか?」
◇
太陽が中天に昇り、穏やかな時間が流れている午後。うらびれた大和駅のプラットホーム内を、穏やかではない雰囲気で歩いている少女と青年がいた。
先を歩く緋鞠のアホ毛は怒りのためか、みょんみょんと大きく左右に揺れており、その後ろには人型にも関わらず、伏せられた耳としょんぼりした尻尾が見える銀狼がが続いている。
ことの始まりは電車に乗ってしばらく経ったあと。
「銀狼! いい景色だよ!」
修学旅行以外に遠出したことがなく、また、銀狼との電車旅は初めてであったため、かなり浮かれていたのだろう。
公共の場なので霊体化している銀狼に話しかける緋鞠は、端から見ればなにもないところに向かって、大きな独り言を言う不思議ちゃんである。
きゃっきゃとはしゃぐ緋鞠から、周囲はどんどん離れ、遠巻きにうかがっている。
幼い子どもが「あのおねーちゃん、ヘン」と緋鞠を指を差せば「しっ! かかわっちゃダメ!」と母親がたしなめた。
銀狼は、空気の読める狼だった。
『……おい、緋鞠。少し離れるぞ』
「いいよー気を付けてね」
気を付けるもなにも霊体なのだが……銀狼はいったん緋鞠から離れると、電車内のトイレに入って実体化する。
話は簡単だ。銀狼が実体化して、緋鞠につきあってやればいいのだ。
「緋鞠、待たせた……な」
人型に変化し緋鞠の席に戻ると、緋鞠はすっかり夢の中だった。起こそうかどうか迷いながら、緋鞠の席のとなりに腰かけると、車掌に声をかけられた。
銀狼は目立つ。お世辞抜きで、モデルが出来そうだ、と緋鞠がほめるほどだ。
「お客さま、切符を拝見させてください」
「え……」
そうだ。電車に乗るには切符が必要だったのだ。
「切符を……」
「あ、待て。切符はこいつが……緋鞠! おい、緋鞠。起きろ! 助けろ!」
そして緋鞠は、銀狼の分の切符代を払うことになり、靴下の中に隠してあったお金まで出すことになってしまった。
ついに、所持金ゼロ―—由々しき事態である。
ちらりと銀狼の様子をうかがう。
いつものクールな雰囲気はどこへやら、しゅんとした姿はまるで叱られた子供のようで、緋鞠は何だかおかしくなってしまった。
「銀狼、もう怒ってないよ。私のためを思って、変化してくれたんだもんね?」
頭ふたつぶんは背の高い銀狼の頭を、腕をせいいっぱい伸ばして撫でる。
銀狼が緋鞠の顔色をうかがっている。にっこりと笑ってあげれば、銀狼の表情がほっと和らいだ。
「それじゃ、行こうか。銀」
「銀?」
「うん。今の銀狼は人間だから……銀って呼ばれるのは嫌?」
「いいや」
銀狼が首を振った。
銀のストレートの髪がさらさらと揺れて、まるで光のカーテンみたいだった。
歩き出すと手をつかまれた。やさしげな金色の瞳を向けられる。
「迷子になったら大変だからな」
銀狼は狼なので、鼻が利く。手など繋がなくても、緋鞠がどこで迷子になっても、必ず見つけてくれるだろう。
「ふふ。いい子だね」
けれども、手から伝わってくるぬくもりが素直に嬉しかった――。
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