中編 其の三十四
三十四
―4月27日(火)夜1時17分―
―あきる野市 秋川渓谷 嘉手名別邸地下一階 食肉加工室―
何かに気付いたか、松田リカが両手で顔を覆い、俯く。
貴代子「あっ…あっ…! ああああ! 視えない…! 右目が…!」
クリフ「眼…?」
突如狼狽え絶叫した松田リカ=嘉手名貴代子に眼を落とす。
黒い男「…"ランの奇跡"を再現か」
ユックリと貴代子に近付きながら呟く。
クリフ「ランの…? 十六世紀の出来事ですね…!」
気付き、納得するも、直ぐ様哀れむような眼で貴代子を視る。
貴代子「イヤぁ…! イヤよぉ…! それに…"力"も無い…! これじゃあ…もう食べられない… 維持出来ないぃぃ…! 観て貰えなくなるぅぅッ…!」
黒い男「ッ…!」
この状況での幼稚なエゴ発言の上での号泣は、最高に不快だった。
クリフ「…アナタは…まだ自分の事しか考えていないんですか…?」
クリフは目前の"女性(大人)"に呆れた。
貴代子「だってッ…観て貰えないのよ?! 私の存在は無いのと一緒…そんなの…生きていないのと一緒じゃないッ…! 私は…褒めて…認めて欲しいのぉぉぉぉ~~ッ!」
クリフ「そんな…理由で…?」
その返答に、クリフは金槌で頭を叩かれた様な衝撃を受けた。
こんな幼稚な大人は視た事が無かったからだ。
クリフ「…可哀想な…人ですね…」
思わず口に出る。
それは虚飾ない、純粋な憐れみだった。
貴代子「えッ…?」
思ってもいなかった言葉がクリフから発せられ、驚いた顔を向ける。
その見つめる右眼は白濁し、白内障の様になっている。
クリフ「アナタは…この状況になってもまだ…自分の事しか言わないんですね…」
貴代子「え…? …え?」
そのキョドり振りは、幼い少女の様だった。
クリフ「大人なのに…多分何か理由はあるのだろうけど…それだけの頼られる役職に着いていながら…そんな姿を見せるなんて…人がそれをどう考えるとか…考えられないんですか?」
いつもの語調だが、その言葉にはハッキリとした批判が籠もっている。
貴代子「!…わかってるわ…! こんな姿じゃ…私を視て貰えないって…!」
その言葉にクリフは落胆する。
クリフ「そういう意味じゃ…!」
言い出したクリフの肩に手を掛けて止める。
黒い男「…もういい …帰るぞクリフ」
そう言って踵を返し、壁に空いた穴に向かい、キッチンで脱いだコートを拾いに向かい、見付け出して羽織ると、再び歩いて出口のエレベーターへと戻る。
クリフ「え?? でも…」
先程の執着が何処へいったのか、全く興味を無くし、もうどうでもいいといったその言動はクリフ的に筋が通らず、混乱させた。
貴代子の横を通り過ぎる瞬間、ふと足を止め、視線を降ろす。
黒い男「…ずっと気になってた…さっき蠅の王(ベルゼブ)が言っていた"罪を背負わせた"、"無力さを感じろ"…」
見下す様な目線…それでいて冷たく言い放つ。
黒い男「オマエ…どれだけの人間を喰らった? 半年間ズッとか?」
その強烈な圧迫感に視線を上げられず、小さく頷く。
黒い男「…そうか なら、あと十年は余生を楽しめ」
そう言うと、眼もくれずエレベーターへと向かう。
クリフはその言葉の意味が解らなかった。
エレベーターのスイッチに触れ、ドアが開くと早々に乗り込む。
黒い男「行くぞ クリフ…!」
急かす言葉にクリフは"はい"と答えると、貴代子に視線を落とす。
クリフ「理事長…アナタはどうであれ、理事長としての責務を果たすべきです そのために単純な見栄えは捨てて、あなたの行動がどう思われるかで動くべきだと…僕は感じます」
黒い男「クリフ!」
クリフ「…それじゃあ…さようなら」
そう言うと、クリフは足早にエレベーターに向かった。
もう貴代子が自分の意見で何を感じ、どんな顔をしているかは解らない。
だが、振り返って解ろうと想う気持ちは生まれなかった。
ただ一つ、クリフの心には、一つの目標が出来た。
人を救う―この仕事とは別にも、そう―人の命を救う…医者になろう―と。
そのクリフの決意と共に、エレベーターのドアが閉まる。
それと同時だった。
政府お抱えの実働部隊が、屋敷内に突入してきたのは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます